町山智浩の言霊USA 第723回 2024/05/25

I detest club culture as deeply as I detest anything on earth.(クラブカルチャーが嫌いだ。この地上にある何もかもと同じくらい)

 スティーブ・アルビニが亡くなった。自分と同じ1962年7月生まれなので61歳。心臓発作(しんぞうはっさ)だった。

 アルビニの名前にピンとこない人でも、80年代にディスクユニオンの常連だったなら、横山まさみち先生のマンガ『やる気まんまん』の、感じている女性の絵がデザインされたLPジャケットを見た覚えがあるだろう。あれはアルビニのバンド「ビッグ・ブラック」の、『Songs About Fucking(セックス・ソング集)』というミもフタもないタイトルのアルバムだった。

 日本のマンガが好きなアルビニが次に組んだバンドの名前は「レイプマン」。みやわき心太郎先生が繊細な筆致(ひっち)で描いた、今はもう許されない内容の劇画(げきが)を引用していた。

 アルビニは見た目もオタクそのもの。小太りでメガネでいつも黒Tシャツの姿は、いかにもディスクユニオンと「まんがの森」をハシゴしてそうだった(俺も)。しかもライブでは、ギターを肩じゃなくて腰のベルトからぶら下げて、どうにもダサかった。

 アルビニの音楽はノイジーでラフでパンクでアングラで……非商業的だった。

 最も知られた歌「ケロシン」も人生に絶望して灯油(とうゆ)をかぶって焼身自殺する歌詞だった。「キム・ゴードンのパンティ」という歌は、オルタナ・バンド「ソニック・ユース」のボーカルのキム・ゴードンのこと。「オレの友達のサーストン・ムーアがキム・ゴードンみたいなロクでもない女とバンド組んでやがる!」と怒る歌詞。人前で歌うことじゃない。

 レイプマンの次のバンドは「ラン・ニガー・ラン(RUN NIGGA RUN)」。名前からしてアメリカでは放送禁止だ。わざと売れないようにしてるとしか思えなかった。

 そのアルビニが93年、なんと天下のニルヴァーナの3枚目のアルバム『イン・ユーテロ』のプロデュースを依頼された。カート・コベインがアルビニのファンで、ドラムセットがそこにあるかのように聴こえるアルビニの生々しい録音技術を求めたからだ。

 ニルヴァーナのセカンドアルバム『ネヴァーマインド』は、全世界で3000万枚も売れた。通常ならプロデューサーはアルバム1枚につき、1〜1.5%の印税を受け取る。それは莫大な金額になるだろう。でも、アルビニはニルヴァーナ宛の手紙で「そんな大金を手にしたら眠れなくなるよ」と言って印税を断ったのだ。

『イン・ユーテロ』のアルビニの録音は生々しすぎたのでミックスし直して発売されたが、彼の名は世界に知れ渡り、ブッシュからジミー・ペイジとロバート・プラントまで数えきれないミュージシャンのレコーディングを依頼された。

 アルビニは自分をプロデューサーとは呼ばず、レコーディング・エンジニアと呼んだ。音楽ができない「プロデューサー」への抗議だ(日本にもいるでしょ)。印税は決して受け取らず、日給750ドルでレコーディングし続けた。年収は2万4000ドルといわれた。

 金は取らない代わりに言いたいことを言った。わずか1500ドルでレコーディングを担当したピクシーズが売れると「レコード会社に鼻輪(はなわ)で引かれる牛」と表現した。スマッシング・パンプキンズもパール・ジャムもアルビニにかかれば商業的すぎた。

 イギー・ポップが言った「ロウ・パワー」つまり生の力こそロックと信じるアルビニがいちばん憎んだのは、スティーリー・ダンだった。このソフィスティケートされたおしゃれなジャズロック・バンドをアルビニは「結婚式バンドのレパートリーを増やしただけ」とこきおろした。

 しかし、アルビニにとってどんどん生きづらい世の中になっていった。デジタルの時代になり、音は軽く聴きやすくなっていった。ハードコアなロックは廃れ、チャラいEDMとクラブの時代になった。

何もかも、何もかも

 2015年、EDMのミュージシャン、オスカー・パウエルがアルビニの過去の音源をサンプリングする許可を求めると、アルビニはOKしながらもクラブ・カルチャーへの憎しみを長々と書き連ねた。

「クラブも嫌いだし、そこに行く奴らも、そいつらがやってるドラッグも、そいつらが話すたわごとも、着てる服も、何もかもが嫌いだ。この地上にある何もかも嫌いだが」

 パウエルは面白がって、アルビニのメールを街頭のビルボードに拡大して公開した。

 アルビニにとってネット時代でよかったのは、巨大化しすぎたレコード産業が滅んだことだけだった。

 2021年、アルビニはツイッターで謝罪した。レイプマンとかのヒドいバンド名でヒドい歌詞を歌っていた80年代を。

「俺はダメな白人男性だった」

 それでも、アルビニはSNSで「地上にある何もかも」を呪い続けた。反イスラエル運動をナチと比べたFOXニュース(右翼テレビ局)の記者にこうツイートした。「モンキーレンチで自分の頭を殴れ。ただしハンマーが無い時に限る」

 ラスヴェガスに超巨大な球形スクリーンのイベントスペース「スフィア」(チケットが超高価)がオープンすると、「ジョン・レナード・オアを呼べ」と。オアは消防署長で1984年から91年にかけて2000件を超す放火を行った。

 最近も、齢(よわいk)80歳で世界ツアーに出たローリング・ストーンズの新譜を「ケツの穴」と評した。「(そう書いたオレを)彼らは訴えるかな?」

 できないよ。それは5月7日、アルビニ最期の言葉だったから。

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