町山智浩の言霊USA 第721回 2024/05/11
What kind of American are you?(どの種類のアメリカ人だ?)
ドナルド・トランプは今年11月の大統領選挙で勝ったら、2020年の選挙で彼から票を奪った(と彼は主張している)勢力に報復をすると宣言している。逆にもし負けたら、トランプ支持者は議会を襲撃するどころか、今度こそ銃を持って反乱を起こすかもしれない。
そんな内戦の不安が高まるなか、『シビル・ウォー(Civil war)』、つまり「内戦」という映画が公開され、北米興収(ほくべいこうしゅう)でナンバーワン・ヒットになった。
「19州が連邦から離脱しました」とニュースが告げる。大統領が反乱軍に対する空爆の成果を演説する。「我々、合衆国政府軍は、テキサスとカリフォルニアの、いわゆる“西部連合(せいぶれんごう)”に大打撃(おおだげき)を与えました」
テキサスとカリフォルニア? いちばんの右と左じゃないか。
テキサスは大統領選でずっと共和党が勝ち続けた「赤い州」。どんなに乱射事件があっても銃規制に反対し、人工中絶をどこよりも早く禁止し、不法移民をバスに乗せて他州に送りつけるゴリゴリの右翼州(うよくしゅう)。
カリフォルニアは自動ライフルに10発以上装填できる弾倉(だんそう)を禁止し、人工中絶の権利を守る州法を持ち、多くの市が不法移民を摘発しないサンクチュアリ(聖域【Sanctuary】)宣言をしたリベラル州。
この両極端(りょうきょくたん)がどうして手を組むの? その答えは映画にない。
『シビル・ウォー』は、既に内戦が全米に広がった状況から始まる。内戦の原因は、大統領が憲法で定められた2期4年間ずつの任期を超えて3期目を宣言したこと以外に説明されない。
主人公たちは内戦に参加しない。それを取材する記者たちだから。女性ファッション誌「ヴォーグ」のカメラマン、リー(キルスティン・ダンスト)。ロイター電の特派員ジョエル、ニューヨークタイムズ紙のベテラン記者サミー、それに戦場カメラマン志願の少女ジェシー。
この4人は大統領にインタビューしようとするが、首都ワシントンは反乱軍に包囲されており、飛行機は使えない。4人はニューヨークから自動車に乗って、『地獄の黙示録(じごくのもくしろく)』のように戦場の闇の奥へと遡って行く。
監督のアレックス・ガーランドの興味は内戦そのものより、戦場レポーターにある。彼の父親は新聞の政治批評マンガ家で、家を訪れる友人には報道記者やカメラマンがいて、彼らの武勇伝を聞いて少年アレックスはワクワクしていたという。
主人公リーの名は実在のカメラマン、リー・ミラーに基づいている。彼女は元ファッションモデルで、ヨーロッパでファッションやアートの取材をしていたが、第二次大戦が始まると、「ヴォーグ」の従軍カメラマンとしてロンドン大空襲、パリ解放、ダッハウのユダヤ人強制収容所を撮影した。ベルリン陥落時にはヒットラーが住んでいた部屋で浴槽に入った写真を撮り、ヒットラーのベッドで寝た。
リーにはもう一人モデルがいる。隻眼(せきがん)の女性従軍ジャーナリスト、メリー・コルヴィンだ。1986年、米軍に空爆されているリビアでカダフィ大佐にインタビューし、2001年、スリランカ内戦で反乱軍であるタミル人団体を取材中に政府軍に撃たれて左目を失った。彼女はその時「ジャーナリストです!」と叫んで白旗(しろはた)を振っていたのだが。アイパッチになってもコルヴィンは戦場取材をやめなかった。2012年2月、彼女はシリア政府軍に包囲されたホムスに潜入して世界に現場から報告し続け、シリア政府軍に狙い撃ちされて(ねらいうちされて)死亡した。
メリー・コルヴィンは常に、弱い側、声の小さい側に寄り添った。1999年の東チモール紛争では、インドネシア政府軍に包囲された地元民と共に残って交渉し、女性や子ども1500人の命を救った。だが、『シビル・ウォー』のリーは違う。ワシントンまでの道で、虐殺や拷問をいくら見ても、ただ淡々と写真を撮り続ける。大統領政府軍と反乱軍のどちらの側にも決してつかない。
テキサスとカリフォルニア連合?
それこそが、アレックス・ガーランドがテキサスとカリフォルニアを反乱軍として連合させた理由なのだ。テキサスなど南部の赤い州に多いトランプ支持者たちは、トランプこそが本当の大統領で、バイデンは選挙で票を盗んだと信じている。もし、反乱軍が「赤い州」ばかりだったら、彼らは独裁的な大統領にバイデンを投影しただろう。逆に、反乱軍を民主党支持が強い「青い州」にしていたら、リベラルな観客は反乱軍を応援し、大統領にトランプを投影しただろう。しかし、『シビル・ウォー』はテキサスとカリフォルニアのねじれた同盟によって、観客を立場のない不安定さに追いやる。
そもそも『シビル・ウォー』に登場する兵士たちは、どちらが大統領政府軍で、どちらが反乱軍なのか見分けがつかない。たとえば戦闘服を着た兵士とアロハシャツを着た民兵が銃撃戦をしている。アロハシャツはブーガルーと呼ばれる反政府武装主義者たちがその証として着る服だ。彼らはたいてい白人至上主義者だが、この映画でのアロハシャツ民兵たちはアジアやアフリカ系などのマイノリティで、しかも捕虜を虐殺する。服装や肌の色では彼らが保守かリベラルか、善か悪か、敵か味方か判断できない。
主人公たちは虐殺した民間人の大量の死体を埋めている軍服の兵士から銃を向けられる。手を挙げて記者証を示し、「撃つな! 私たちはアメリカ人だ!」と言うと、兵士は尋ねる。
「どの種類のアメリカ人だ?」
同じアメリカ人じゃないか、という理屈が通用しないほどの分断。それは今、アメリカだけの問題ではない。