2024/05/08

《デコピンに「No!!」、親族にウソ》大谷真美子夫人(27)の覚悟

 快進撃を続けるドジャース・大谷翔平を支える真美子夫人。長身がコンプレックスだったネガティブなバスケ少女は、友人や親族にも極秘の交際を経て、スーパースターと結ばれた。その過程には、彼女の“覚悟”があった。

▶︎パーティ2日前「服がない!」コーデは「全身お任せ」 ▶︎友人が驚いた「私にはバスケしかない」からの電撃引退 ▶︎「あなたも商売だから」祖父が見せた気遣いの伝統

 西海岸らしい、からりとした快晴の火曜日。とある日本人女性が、通訳の男性を伴ってそのショッピングモールに滑り込んだのは、太陽が傾き始めた午後4時ごろのことだった。

「パーティのために注文していたドレスが手違いで届かなかったんです」

 不安げな表情を浮かべる彼女に、女性店員がぴったりのドレスを見繕うと、ようやくホッとした様子で笑顔になった。

 2日後、テレビの映像を見た女性店員は仰天した。ドジャースタジアムのステージ上。大谷翔平(29)の隣で背筋を伸ばして微笑んでいたのは――。

大谷真美子.png

 大谷の快進撃が止まらない。5月6日(現地時間)には今季11号となるホームランを放ち、本塁打や打率などで両リーグトップに浮上する活躍を見せている。米野球担当記者が語る。

「ただ本塁打を放つだけでなく、その飛距離も凄まじい。これにはド軍のロバーツ監督も『彼は我々がまだ見たことがないことをやり続けている』と舌を巻いたほど。米検察当局から銀行詐欺容疑で訴追された元通訳、水原一平氏の不在の影響も全く見られません。むしろ水原氏がいなくなったことで、より積極的にチームメイトと直接交流するようになった」

 そんな大谷が日米の注目を集めたのが、今月2日に行われた、球団オーナーグループによるチャリティーイベント「ブルー・ダイヤモンド・ガラ」。大谷が初めて公(おおやけ)の場で結婚指輪を身に着け、真美子夫人(27)をエスコートする姿が報じられたのだ。

「大谷は自身がアンバサダーを務める『BOSS』のオーバーサイズの黒いダブルスーツ姿でしたが、『あまり似合っていない』という声も。一方で真美子さんも黒を基調としたコーディネートだったのですが、こちらはシックにまとまっていて、現地リポーターからも称賛されました」(同前)

 ファッション評論家の石原裕子氏の解説。

「真美子さんは両腕がシースルー素材のダブルブレストジャケットに、サイドに深いスリットの入ったパンツスタイル。シックでありながら軽快さもあり、上品な印象で大変素敵でした。特に流行中のシースルー素材が艶めかしい(なま‐めかし・い)。他の選手の奥さんが胸の谷間や脚などを大胆に露出する中、真美子さんは全身黒で目立たない装いにされたのかもしれませんが、かえって際立って見えました」

 真美子さんが着用していた洋服は、元「Theory」のデザイナーたちがNYで立ち上げた「Elie Tahari」というブランドのもの。

「NYのエグゼクティブウーマン(executive woman)の御用達ブランドで、上下合わせて14万円ほどと、高価すぎない。この価格帯の服を選んだ点も、女性からポジティブな共感を得たのではないか」(同前)

 だが、水面下ではハプニングがおきていた。関係者が明かす。

猫背、ペタンコ靴、地味な服

「実は本来、真美子さんは別のブランドのドレスを着用する予定でした。しかし、店舗側の手違いで2日前になって注文したものが届かないことが判明。そのため真美子さんは急遽、代わりのドレスを探さなければならなくなったのです」

 真美子さんが駆け込んだのが、ドジャースタジアムから車で30分ほどの距離にある同ブランドの店舗。実際に対応した女性店員のドミニクさんが振り返る。

「彼女からは『パーティに着用できる高級感のあるもの』ということ以外、何も要望はありませんでした。全身のコーディネートを任せてくれたんです。背が高いので、彼女の体型にフィットした黒のダブルブレストのジャケットとパンツスタイルがよく似合うと思って提案したところ、彼女は一目で気に入ってくれた。後ほど英語でお礼のメッセージもいただきました」

 こうして、晴れの場で大谷の隣に堂々と立った真美子さん。早稲田大学時代の友人である武拓人さんは、この場面を驚きの眼差しで見つめていたという。

「真美子さんは学生時代から人目を惹く華やかさを持っていた。でも、少し猫背ぎみで落ち着いたトーンの服を着て、あえて目立たなくしているように見えた。だからドレッシーな彼女の姿を見て驚きました。同時に『ああ、大谷さんの隣なら、彼女は背筋を伸ばして胸を張れるんだ』と嬉しく感じたんです」

 友人も驚くその変貌ぶり。小誌は今回、真美子さんの原点を探った。すると浮かび上がってきたのは、その強い“覚悟”だった。

 真美子さんは1996年、東京都出身。大谷と同い年である2つ年上の兄と両親のもとで育った。人柄を知る同級生たちは「優しくて真面目で謙虚だった」と口を揃える。

 小学生の頃からすでに目立つ存在でもあった。

「『真美子という綺麗な子がいる』と、お母さんの間で話題になっていました」(同級生の保護者)

 小学校時代は空手に打ち込んだ真美子さん。バスケットボールを始めたのは兄の影響で、日野市の中学校へ入学してからだった。同級生が明かす。

「当時からすでに身長は高かった。バスケの練習で忙しくしていましたが、合間を縫ってうちに一度泊まりに来たことがある。彼女は恋バナをするタイプじゃなかったので、みんなでしりとりとかをしていました。でも、中1の時にちょっとだけ付き合っていた子がいたんです。交際自体は他愛ないものですぐ別れたけれど、そのお相手は真美子より身長が低かった。見た目を重視せずに付き合ってるんだなと感じました」

 高校は、バスケ強豪校の東京成徳大学高校へと進学。早朝5時半の電車に乗り、帰宅はいつも夜9時過ぎ。休日もほとんどが練習だった。そして、推薦で早稲田大学スポーツ科学部に入学。2017年にはユニバーシアード日本代表に選ばれ銀メダルも獲得した。前出の武さんが振り返る。

「入学当初から男子学生の間で人気がありましたが、『高嶺の花』という感じで、みんなどこか遠巻きに眺めている雰囲気だった」

 恵まれた体躯と美貌に、持ち合わせた努力家な一面。だが、常に注目されてしまうことに、息苦しさがあったのかもしれない。

「じつは真美子さんには結構ネガティブなところがある。試合を見に行くときも『あまり期待しないでね』と自信なげにしていたり。高身長がコンプレックスだったようで、いつもぺたっとしたスニーカーを履いていた」(同前)

 実際に、朝日新聞が15年2月25日付の東京地方版で真美子さんを取り上げた際には、その心情が綴られている。

〈ずっと、コンプレックスだった。小学校時代、友人と並ぶと、1人だけ突出してしまう。目立つのは嫌い〉

 コンプレックスを唯一、武器に変えられる場所。それがバスケだった。前出の武さんには口癖のようにこう言っていたという。

「私には、バスケしかないから」

 そんな彼女が社会人になって所属していた富士通レッドウェーブからの退団と電撃引退を発表したのが、23年のことだった。

「この頃も、大谷さんと付き合っていることは一切誰にも言わなかった。大谷さんと出会うまでは、現役でバスケを続けていくことしか考えていなかったはずです」(前出・武さん)

 徹底した秘密保持は、友人に対してだけではない。真美子さんの実家に近い人物が明かす。

「真美子さんは結婚前、大谷さんに会いに何度か渡米していますが、近しい親族にすら『友達の家に泊まる』としか伝えていなかったそうです。90代の祖父には、大谷選手の結婚が発表された当日になって、初めて孫娘の結婚とお相手が知らされたほどでした」

 誰にも知られてはならないという覚悟のもと、密かに日本を去った真美子さん。だが、米国生活において立ちはだかるのが「言葉の壁」だ。真美子さんの英語力はいかほどなのか。じつは、小誌はその一端を目撃している。

「No! No~~~!!」 「どしたー?」と自然に……

 4月1日、真美子さんの声が響き渡ったのは、ドジャースタジアムから車で約10分の5つ星ホテル周辺。白いキャップを被り、黒いトレーナーとパンツ姿で白のウォーキングシューズを履いた真美子さんが、愛犬のデコピンを散歩させているワンシーンである。