「週刊文春」編集部 2024/01/09
羽田空港「JAL機炎上」全真相 現役管制官が緊急告発!「離陸も着陸も」C滑走路の異常
羽田空港の滑走路に大きな炎が広がった。JAL機の乗員乗客379人が脱出を果たした一方、海保機(かいほき)の乗員5人が犠牲となった衝突事故。なぜ、このような事態が起きてしまったのか。徹底取材で見えてきたのは――。
▶現役管制官が緊急告発「離陸も着陸も」C滑走路の異常
▶安倍&菅“改革”羽田便数6割増(ぞう)なのに管制官数は横ばい
▶岸田ゴリ押し 背広組海保長官(かいほちょうかん)で重大事故が急増していた
▶海保担当 岸田派副大臣が消した事故直後の“鏡割り写真”
▶新人CA、訓練中副操縦士…奇跡を生んだJALの12人
受け手の意向を無視して自分の主張や見解を無理矢理に押し通そうとすること、を意味する語。たとえば、議論の場において異論を無視して自己主張を議決してしまうような振る舞い。
▶海保機6人履歴「不時着(ひじちゃく)の過去」「上司より博識な整備員」
ふじ‐ちゃく【不時着】 航空機が、飛行中故障または燃料の欠乏(けつぼう)などのため航続不能となり、予定しない時、予定しない地点に降りること。不時着陸。
「今回の衝突炎上事故で、5人の犠牲者が出たことは本当に悔やまれ(くやまれ)ます。ただ、“なぜ海保機の滑走路進入を見過ごしたのか”と責められるのは、同じ管制官としてやるせない。当然ながら、管制の現場では人為的ミスを極力排除()するようにしていますが、今の羽田空港の在り方ではいつか、こうした事態が起きてしまうと強く危惧していました」
小誌の取材にそう緊急告発するのは、国土交通省所属の現役航空管制官だ。20年以上、様々な空港で管制官を務めてきたという。
「過密傾向のあった羽田ですが、“ある時”を境に超過密状態になりました。ところが、管制官の人数は増えていない。安全を充分に確保するためのマージン(余裕)がないのです。しかも、羽田の滑走路は世界でも有数の特殊性・複雑性を持つ。特に事故が起きたC滑走路は……」(同前)
◇
1月2日午後5時47分のことだった。JAL516便が羽田空港の滑走路に着陸しようとしたところ、能登半島地震の支援に向かおうとした海上保安庁の小型機と衝突。JAL機は瞬く間に炎に包まれたのだ。
- JAL機炎上
乗客が証言する。
「左側のエンジンから火の手が一気に上がり、エンジンも骨組み(ほねぐみ)が見えるほど壊れていた。乗客からは『あの扉を開けてくれ』と叫ぶ声も上がっていました」
ほぼ満席の機内が大混乱に陥る中、客室乗務員(CA)らが「荷物を持たないで」と呼びかけ、衝突から約18分間で乗員乗客379人は脱出。世界から称賛を浴びた“奇跡”を生んだのが、「JALの12人」だ。どんな面々なのか。
「運航乗務員は3人。機長は50歳のベテランで、飛行時間は1万2000時間を超えます。29歳の副操縦士は飛行歴4年ですが、今回乗ったA350型の機体は操縦経験(そうじゅうけいけん)が浅く、移行訓練中だった。そこで、通常は機長と副操縦士の2人ですが、オブザーバーとして34歳の副操縦士も同乗していました。56歳のチーフCAを筆頭に、9人のCAは全員女性です。そのうち4人は訓練期間を終え、1年足らずの“新人CA”。恐怖もあったと思いますが、本当によく頑張ってくれたと思います」(JAL社員)
一方、海保機では機長を除く5人の乗員が犠牲となった。どのような経緯で事故は起きたのか。改めて動きを再現してみよう(下のイラスト参照)。
羽田空港の中心にそびえる高さ約116メートルの管制塔「東京タワー」。最上階の管制室は360度、全面ガラス張りだ。まず「地上管制」を担当する管制官の案内で、海保機はC滑走路へと続くC誘導路に到着。滑走路を担当する「飛行場管制」の管制官との交信に切り替わった。
国交省が公表した交信記録はここから始まる。午後5時44分、管制官はJAL516便に着陸許可を出す。その15秒後、海保機から「C誘導路上です」と呼びかけがあり、次のやり取りを行っていた。
管制官「ナンバーワン。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」
海保機長「滑走路停止位置C5に向かいます。ナンバーワン、サンキュー」
取り扱い機数は約1.6倍に
管制官が、災害支援で緊急を要する海保機に離陸順位が「ナンバーワン(1番目)」と伝えていたことが窺える。5時45分には、次に着陸予定のJAL166便に「2番目、出発機(海保機)あり。減速して下さい」と指示していた。
その間、海保機は停止位置を越え、C滑走路まで進入。5時47分、海保機が滑走路で停止してから約40秒後、JAL機が海保機に衝突したのだった。
国交省(こっこうしょう)と海保庁(かいほちょう)の主張は大きく食い違う。国交省は「海保機には滑走路への進入許可は出ていない」と主張。かたや、海保庁は小誌の取材にこう反論する。
「災害時(さいがいじ)は管制官も汲んでくれ、優先的に飛ぶために並ぶ順番を先にしてくれることはありますが、それでも機長の判断だけで滑走路に入ることはありません」
焦点の1つは、管制官の指示「ナンバーワン」をめぐる解釈だ。元中部国際空港主任航空管制官の田中秀和氏が指摘する。
「ナンバーワンが『離陸機の中で一番』なのか、それとも『離着陸全ての機体の中で一番』なのか、ここで両者の認識に違いが生まれた可能性があります」
なぜ、こうした「認識の違い」が生まれてしまったのか。単に、管制官と海保機長のコミュニケーション齟齬(そご)や、人為的ミスで結論付けられる問題なのか。
「国交省の平岡成哲航空局長が会見で『羽田は日本で一番忙しい空港。当日は容量一杯で使われていた』と語っていましたが、この事実は無視できません。羽田では2010年に4本目のD滑走路を新設し、国際便が就航。便数が一気に拡大しました」(国交省関係者)
そこから、さらなる大幅拡大を目論んだのが、安倍政権だった。13年の東京五輪招致決定を受け、掲げた目標は30年の訪日外国人旅行者数6000万人。観光政策を仕切る菅義偉官房長官(当時)の号令で、これまで実現不可能とされた新ルートを解禁したのだ。
- 安倍政権時代は菅官房長官が観光政策を舵取り
「それまでは海側から着陸するルートのみでしたが、都心上空を飛ぶ『都心上空飛行ルート』新設に動いたのです。騒音問題から長らく新ルートに消極的だった国交省を官邸が押し切り、14年に計画を発表。20年3月から運用が開始されました」(同前)
年間最大6万回だった国際線発着数を9.9万回まで引き上げ、便数は6割増。現在では1日の発着数は約1200回、1分間に1.5回のペースで発着が行われる計算だ。英航空情報会社の混雑空港ランキング(23年)では、世界3位。安倍&菅の“改革”で、超過密状態となった羽田空港の“番人”を担うのが、管制官にほかならない。
前出の現役管制官が語る。
「LCC便参入や飛行機の小型化で、国内の発着数も増加しました。にもかかわらず、この10年間、羽田の管制官は80人前後で横ばいです。1人あたりの取り扱い機数が約1.6倍になり、負担が大きくなった。観光政策も重要ですが、事故リスクも増大したのです」
問題は、それだけではない。羽田空港にはAからDまで4本の滑走路が設けられているが、現役管制官が「特に事故が起きたC滑走路は……」という冒頭の言葉に続けて証言する。
「事故当時は北風(きたかぜ)が吹いていましたが、この場合、B滑走路は使用せず、A滑走路が着陸、D滑走路が離陸専用となる。ところが、C滑走路だけは常に『離着陸兼用』の運用なのです」
一般的に、1本の滑走路に対し、1人の空港管制官が状況に応じて、着陸や離陸の優先順位を決める。だが、C滑走路の管制官は離着陸の双方を指示しなければならないのだ。しかも、C滑走路は羽田で最長の3000メートル超で、日本一離着陸を繰り返している。
- 羽田空港の滑走路
制服組長官と背広組長官の違い
「混雑ランキング1位のアトランタ空港、2位のドバイ空港はもちろん、関西国際空港も離着陸ごとに滑走路を分けている。そうした実態を踏まえると、羽田のC滑走路は“異常”な運用と言えます」(同前)
今回も、C滑走路の管制官は、海保機のほかに離陸を待機する4機の調整を行いながら、着陸するJAL516便を含む複数機に指示を送っていた。管制官が見るモニター画面は誤進入を検知して、滑走路全体が黄色く点滅し、航空機も赤く表示されたものの、気づかなかったという。実際、当該管制官は事故後に「別の航空機の調整などがあり、指示後の海保機の動きは意識していなかった」と説明している。さらに言えば、衝突は日没後だった。別の元管制官も「夜間は海保機のような小型機は本当に見えづらい」と話す。
「それでも、これまでC滑走路の管制官たちは限界ギリギリで、ほぼ完璧に業務をこなしてきました。しかし、人間ですからミスを犯すことはある。ただ、事は命に直結する問題です。斉藤鉄夫国交相の指示でモニター画面を常時監視する人員を配置しましたが、ミスを限りなく最小限にするには、管制官の数を増やすなどC滑走路の管制体制を変えるほかない。対策は急務なのです」(前出・現役管制官)
国交省幹部は現場の訴えにどう答えるのか。航空局長の平岡氏に尋ねた。
「本当に悲しいです。ご遺族にお悔やみ申し上げたい。空の安全を高めることが使命ですから、大臣の指示の下、しっかり取り組んでいきたいなと思います」
――超過密状態の中、安全確保は十分だったのか。
「いや、羽田はいつもああいう状態です」
――管制官の人手が足りないという声がある。
「管制官の配置に問題があったとは考えていません」
では、海保側はどうだったのか。国交省側の主張が正しければ、海保機が「ナンバーワン」という管制官の指示を誤解した可能性も出てくる。実は、海保庁を取り巻く環境もまた、ここ数年で“激変”してきた。
「中でも海保庁のトップである長官ポストについては、政権の意向に翻弄されてきました」(海保庁OB)
長年、旧運輸省キャリアの「指定席」だった海保庁長官。その慣例を破り、現場叩き上げの海上保安官を充てたのが安倍政権だ。人事権を掌握する菅氏が主導し、13年以降、制服組の長官が佐藤雄二氏から4代続いた。ところが、岸田政権発足後、22年6月に就任した石井昌平長官はキャリア官僚。背広組復権の背景には首相の“ゴリ押し”人事があったという。
「長官ポスト奪還を目論む背広組と、“菅嫌い”で安倍カラーも薄めたい岸田首相の思惑が一致した。首相は生前の安倍氏に反対されたものの、押し切ったそうです」(政治部記者)