池上彰のそこからですか!? 第631回 2024/09/20
米大統領選、郵便投票始まる
ドナルド・トランプ前大統領は自分の集会に多数(たすう)の支持者が集まることが自慢です。ですから、「参加者は疲労と退屈から早々と会場を出る」などと言われたら、むきになって反論します。先日開かれたテレビ討論会で、このトランプ氏の性格をよく知っているカマラ・ハリス氏は、集会の様子をこう描写してトランプ氏を挑発しました。
案の定、トランプ氏は延々と反論し、結果的にハリス氏を追及する時間が足りなくなってしまいました。
今回の討論会はハリス氏の挑発に乗ってしまったトランプ氏の敗北というのがアメリカのメディアの大方(おおかた)の評価ですが、アメリカでは11月5日の投票日(とうひょうび)を前に、一部の州では早くも郵便投票が可能になっています。どういうことなのでしょうか。
日本の場合、郵便投票は、「郵便等による不在者投票」という形で、投票日に投票所に行くことが困難な障碍者(しょうがいしゃ)や介護(かいご)を受けている人だけが可能です。
しかしアメリカでは、有権者登録さえしておけば、誰でも郵便投票が可能なのです。州によっては、「郵便投票したいから投票用紙を送ってくれ」と請求した人にだけ事前に投票用紙を送るところもありますし、有権者登録した人全員に一斉(いっせい)に投票用紙を送るところもあります。州によって、全く方式が異なるのです。
今回も各州で投票用紙の発送が順次始まりました。受け取った人は、マークシート方式の投票用紙に印刷されている候補者の名前に印(しるし)をつけ、サインして郵送します。
基本的に選挙管理委員会は、受け取った投票用紙を、投票日まで保管し、投票が締め切られてから開票します。開票の際には、投票用紙のサインを、事前に有権者登録したときのサインと照合(しょうごう)して本人のものかどうかを確認します。
当日に投票所で投票された投票用紙もマークシートですから、読み取り機にかければ、あっという間に票数がわかります。しかし、郵便投票は、一枚一枚サインを照合しますから、大変時間がかかります。
前回の選挙では、トランプ大統領が選挙中に「郵便投票は不正の温床(おんしょう)だ」と、根拠を示さずに郵便投票の方式を批判しました。投票日が火曜なので仕事を休めずに投票に行けない人や、自動車を持っていないために遠くの投票所に行けない人がいます。こうした人たちは郵便投票を利用することが多いのです。
平日に休めないのは清掃作業の従事者など、いわゆるエッセンシャルワーカーが多く、こういう現場の労働者は黒人や中南米の出身者が多くを占めています。この人たちには民主党支持者が多い傾向が報告されており、つまり「郵便投票するのは民主党支持者だ」と考えたトランプ氏が、自分が選挙で負けたら「郵便投票がインチキだった」と言えるように準備していたといわれています。
トランプ大統領が「郵便投票するな」と呼びかけていましたから、トランプ支持者の多くは投票日に投票所に行きました。それに対して民主党支持者たちは、やはり郵便投票を利用した人が多かったのです。
「赤い蜃気楼(しんきろう)」が起きた
当日に投票された票は、読み取り機で直ちに数がわかりますから、前回は開票が始まった途端、トランプ票がバイデン票を大きくリードする州がありました。でも、郵便投票の分の開票が進むにつれて、バイデン票が伸び、逆転する所もでました。
これを当時のメディアは「赤い蜃気楼」と呼びました。赤は共和党のシンボルカラーですから、最初は赤が勝ったように見えたが、それは蜃気楼だった、ということです。
しかし、トランプ氏は、この様子を見て、「票が盗まれた」と主張し、それを信じたトランプ支持者が開票所に押しかけるという騒ぎになりました。さらに翌年1月、連邦議会議事堂を襲撃する事件にも発展しました。
ところが今回は、一転してトランプ氏も「郵便投票が可能だ」と言い出しました。主張を変えた理由を本人は説明していませんが、共和党の支持者でも当日に投票所に行けない人は郵便投票してくれと働きかけるように方針を変えたのでしょう。
普通の政治家であれば、自分の考えが変わったのであれば、その理由を説明するものですが、トランプ氏には、この常識は通用しません。
「不正の温床」ではなくなったのでしょうか。
ところで今回、ノースカロライナ州は、投票用紙の発送(はっそう)を始めようとしたところ、裁判所から差し止め命令が出て、発送を延期することになりました。それは、選挙戦を途中でやめてトランプ氏の応援に回った無所属のロバート・ケネディ・ジュニア氏が、投票用紙から自分の名前を削除するように裁判所に提訴していたからです。
ノースカロライナでは約13万人が投票用紙を請求していました。その分の発送が延期になったのです。無所属で大統領選挙に立候補するためには、各州で、数千から数万人単位の推薦者を集めて立候補の手続きをしなければなりません。それだけの推薦者があって初めて各州の投票用紙に名前が印刷されるのです。
ケネディ氏は多くの州で推薦人を十分集められず、立候補できなかったのですが、ノースカロライナでは推薦者を集めることができて、名前が投票用紙に印刷されていました。しかし、そのままでは自分に投票する人が出て、トランプ氏の票にならない。そこで「トランプ氏に投票してほしい」という立場から自分の名前の削除を要求したのです。これでトランプ氏に恩を売り、トランプ政権が誕生したら重要なポストにつきたいというわけです。
一方、ミシガン州の裁判所はケネディ候補の名前の削除を却下(きゃっか)しました。ケネディ氏の名前が掲載されたままの投票用紙が発送されます。こちらは、トランプ氏に不利に働きますかね。州によって、あまりに違い過ぎる。これがアメリカです。