池上彰のそこからですか!? 第629回 2024/09/06

ハリスノミクスはどんなもの?

 アメリカ大統領選挙は「ハリス旋風(せんぷう)」が吹いています。「ハリス旋風」と書くと、漫画家ちばてつや氏の「ハリスの旋風かぜ」を思い出す人もいるでしょう。これはハリス学園に入学したスポーツ万能の主人公・石田国松(いしだ くにまつ)が大暴れする漫画で、アニメとしてテレビ放送されたこともあります……などと昔話をしても仕方ないですね。今回は現代の話です。

 民主党の大統領候補がカマラ・ハリスになって以来、「打倒トランプ」の目標のために党内の結束が優先されていますが、肝心(かんじん)の政策については、よくわからないという人もいることでしょう。そこで8月16日に発表された「経済政策」等、通称「ハリスノミクス」の中身を見ます。

 一番の特徴は大企業を敵視し、庶民の味方であろうとしていることです。まずは法人税つまり企業への税金の比率を現在の21%から28%に引き上げることを打ち出しました。トランプ政権時代、法人税率は35%から現在の21%にまで引き下げられていました。それを28%まで戻そうというのです。

 また海外で業務を展開する多国籍企業が海外で上げた収益にかかる税率も、現在の倍の21%に引き上げる方針です。

 さらに企業による不当な食品価格のつり上げを禁止する法律を制定すると宣言しました。いまのアメリカは、インフレが鈍化したとはいえ、食品の値上がりが続き、低所得者には厳しい状況なので、「皆さんの生活を守ります」という宣言です。企業が「過大な利益」を出せないように規則を設けることも打ち出しました。従わない企業には罰則(ばっそく)を与える権限を連邦取引委員会などに与える方針です。

 この方針に対しトランプ前大統領は、さっそく「共産主義者の価格統制だ」と批判しています。トランプそして共和党にとっては、企業の自由な活動を認めることが大切。その企業活動を規制することは「共産主義者のやることだ」というのです。大企業のもうけを監視し、課税(かぜい)によって国民への還元(管弦)を求める民主党との大きな違いです。

 よく「アメリカの共和党と民主党はどう違うのですか?」という質問を受けるのですが、この違いが典型的でしょう。大企業に優しい共和党と厳しい民主党です。

 大企業に優しければ、株式市場に上場している大企業には有利(ゆうり)。株価上昇要因です。しかしハリスノミクスは逆に株価の下落要因になりえます。投資家にとってハリス旋風は逆風(ぎゃくふう)になるかもしれません。

 ハリスノミクスの特徴は中間層への支援。住宅価格の高騰に悩む庶民のために低価格の住宅を建設する建設会社を税で優遇(ゆうぐう)します。

 その一方で、住宅を大量に購入する投資家への税の優遇措置(ゆうぐうそち)を撤廃(てっぱい)します。つまり大量の住宅を購入して高い家賃で貸し出す不動産業者への課税を強化するのです。これにはトランプのような不動産業者は反発しますね。

子育て世代への支援も

 ハリスそして民主党は、しきりに「中間層への支援」という表現を使います。金持ちが消費を伸ばしても、人数が限られますから、景気への寄与は僅かなもの。しかし中間層は人口が圧倒的に多いですから、中間層が豊かになって消費を活発にすれば、アメリカの景気全体が上向くという考え方です。

 中間層は人口が多いということは、この人たちが自分たちに投票すれば民主党には有利です。

 中間層には子育て世代が多いでしょうから、そこで生後1年までの子がいる家庭に最大6000ドル(日本円で約87万円)の税額控除(ぜいがくこうじょ)を新設します。つまり税率に基づいて算出された税額から、最大6000ドルを控除するという方針です。

 また低所得者に最大1500ドル(日本円で約22万円)の所得税を控除します。その分だけ税金をまけてあげますよ、ということです。

 こうした税の優遇措置によって「1億人以上の税負担が軽減される」とハリスは強調します。

 実は、今回のハリスノミクスの項目の多くは、バイデン大統領の2期目の目標としてまとめられていたもので、ハリス本人(ほんにん)の意思が必ずしも反映されたとはいえません。それでも全体を俯瞰(ふかん)すると、民主党の中でも左派に寄った政策の多いことがわかります。

 アメリカの民主党は一枚岩(いちまいいわ)ではありません。いろんな考え方の人がいます。こんなところは日本の立憲民主党に似ていますが、いまは「反トランプ」で団結していても、選挙戦に突入すれば(とつにゅうすれば)、意見の違いが表面化する可能性があります。共和党は、そこを突いてくるでしょう。

 また、こうした法人税の増税や子育て世代への減税策は、議会で法律を成立させなければなりません。11月の大統領選挙では、同時に議会の下院議員全員と上院議員3分の1の選挙も実施されます。ここで民主党が過半数を確保しなければ、これまで説明してきた政策は絵に描いた餅になってしまいます。つまり「ハリス旋風」は、大統領選挙ばかりでなく議会選挙でも吹かなくてはならないのです。

 こうした民主党の政策案に対し、トランプは「共産主義者」などのレッテルを貼るだけ。「ハリスは狂っている」などの個人攻撃も盛んに行っていますが、政策の違いなどを丁寧に説明することはしていません。トランプ陣営では「ハリスへの中傷はやめて政策論争をすべきだ」とトランプに助言しているようですが、トランプは態度を変えません。そもそも政策論争ができるだけの能力があるのかという見方もありますが。

 とはいえトランプ支持派の多くは、政策の違いの吟味などしないでトランプを支持していますから、ハリスノミクスをいくら説明してもトランプ支持層を崩すことはできません。

 無党派層の心をどれだけ掴むことができるかが勝敗を分けるのです。