池上彰のそこからですか!? 第624回 2024/07/19
イランに改革派大統領
イランというのは、つくづく不思議な国だと思ってしまいます。保守強硬派のライシ大統領がヘリコプターの事故で死亡したことを受け、後任の大統領を選ぶ選挙が行われた結果、欧米との対話を訴える改革派の大統領が誕生したのです。
下馬評では、「どうせまた保守強硬派の大統領が誕生するんだろう」との予測があっただけに、サプライズでした。
最近の海外のニュースといえば、イギリスで労働党が選挙に勝って14年ぶりに政権交代が起きました。それまでの保守党政権に飽き飽きした人たちが変化を求めたのです。
変化を求めたといえば、フランスも同じ。中道右派のマクロン大統領の路線に不満を持った人たちが、極右の国民連合に流れました。ここでも変化を求めた人たちが多かったのです。
ただ、極右躍進(きょくうやくしん)の勢いを見て慌てた左派と中道が候補者を一本化して決選投票に臨んだ結果、左派連合がトップに躍り出ました。それでも過半数は確保できず、左派も中道右派も極右も安定多数を取れないという、宙ぶらりんの議会勢力図となりました。人々がチェンジを求めたのは確かなのですが、その結果は混沌(こんとん)としてしまいました。
イラン、イギリス、フランスと、まったくお国柄(くにがら)の異なる国々ではあるものの、どこも現状に不満を持つ人たちが多く、その人たちの投票行動によって、大きな変化が起きたのです。
それにしてもイランは不思議の国。イスラム原理主義の国で、全く自由がないように見えますが、国民が選挙で大統領を選べるようになっています。これだけ見ると、中東アラブ世界の国々よりは「民主的」な国に見えてしまいます。アラブ諸国は絶対王政だったり軍事独裁政権だったりして、支配層が固定化しているからです。
中国だって国民が選挙で指導者を選ぶ仕組みはありませんし、ロシアも形ばかりの選挙で、最初からプーチン大統領の再選が決まっているようなものでした。
こう考えると、イランは限定的ではあるものの、国民が選挙で大統領を選べる国なのです。
ただし、イランについては前にも取り上げましたが、大統領は「行政のトップ」であって、最高権力者ではないのです。最高権力者は「最高指導者」と呼ばれ、現在はアリー・ハメネイ師です。「師」というのは高位のイスラム法学者の敬称。最高指導者は健在ですから、改革派の大統領が誕生しても、大きな路線変更はないでしょう。
それでも過去のイランの大統領を見ると、保守強硬派か穏健改革派かによって、対外政策は変化してきました。この大統領の変遷は、まるで物理学の「作用と反作用」を思わせます。
たとえば2001年9月のアメリカ同時多発テロの翌年1月、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は「悪の枢軸(あくのすうじく)」としてイラク、イラン、北朝鮮を名指ししました。
アメリカの態度次第でイランは動く
当時、イランの大統領は穏健派のモハマド・ハタミ。それまで反米国家だったイランの政策を変更し、アメリカとの関係を改善しようとしていました。ところが、ブッシュ大統領の敵視発言でイラン国内の雰囲気は一変。ハタミ大統領の親米路線は国内で批判され、2005年の大統領選挙では、反米保守強硬派のマフムード・アフマディネジャドが当選しました。
しかし、アフマディネジャド大統領の強硬路線に辟易した人たちが、2013年の選挙では、穏健派のハッサン・ロウハニ大統領を誕生させました。ロウハニ大統領はアメリカと協調路線を進み、オバマ大統領との間で核開発を制限する合意を成立させました。
ところが後任のトランプ大統領は合意から離脱。オバマ大統領の功績を全て否定する路線をとっていたからです。
これにはイランの人たちが再び憤激。「アメリカなど信用するから裏切られたのだ」と怒った国民によって、保守強硬派のエブラヒム・ライシ師が大統領になりました。
このためライシ師によってアメリカとの関係は再び悪化。アメリカによる経済制裁でイラン国内は物不足(ものふそく)に陥り、インフレが進みました。物価高にあえぐ国民はライシ師にウンザリしていたのです。
特にライシ師の下で2022年にヒジャブ(髪を隠すスカーフ)をきちんとかぶっていなかったとして女性が警察に逮捕された後、急死する事件が起きました。このときは全国で抗議のためにヒジャブを脱ぎ捨てる女性たちが相次ぎましたが、ライシ師は抗議デモを弾圧、国内に不満が高まっていました。
イランの大統領選挙は、保守派のイスラム法学者たちからなる「護憲評議会」が事前に立候補できる人物を選考する仕組みになっています。前回の選挙では、ライシ師に勝つような候補はあらかじめ排除されていました。このため選挙に期待しない人たちは棄権。投票率は低く、国民がライシ師を支持していないことが明らかになってしまいました。
そこで今回、護憲評議会は、投票率を上げるために、敢えて改革派のマスード・ペゼシュキアン氏を候補の一人に加えたようです。これで投票率を上げられるけれど、当選するまでにはならないだろうと判断したのでしょう。しかもペゼシュキアン氏の父親はアゼルバイジャン人で母親はクルド人。どちらもイランでは少数民族で、幅広い支持は望めそうもありませんでした。
ところが選挙中、ペゼシュキアン氏は欧米との対話を進めることを主張し、女性のヒジャブ着用の義務付けにも反対。こうした方針が支持されたのです。
保守強硬派には思わぬ誤算でした。さて、イランは新大統領の下で、どこに進むのか。