池上彰のそこからですか!? 第619回 2024/06/14
イスラエル比例代表選挙の欠陥(けっかん)
いつまでも終わりの見えないイスラエル軍のガザ攻撃。イスラエルは「奇襲攻撃によって多数のイスラエル人を殺害したハマスを絶滅させる」と主張して攻撃の手を緩めません。アメリカなどから複数の停戦案が提案されてきましたが、イスラエルは承諾しません。その背景にはイスラエル独特の選挙制度の存在があるのです。
理想的な選挙制度とはどんなものか。世界各国を見ると、それぞれ工夫(くふう)を凝らしていますが、なかなか理想には遠いようです。
たとえば日本の衆議院選挙は「小選挙区比例代表並立制(へいりつせい)」。以前は「中選挙区制」でしたが、これでは政権交代が可能にならないという批判が高まり、いまの制度になりました。
小選挙区制なら、二大政党制になりやすく、政権を維持してきた政党が失政をすると、国民が野党に投票することで政権交代が可能になるとの考えからです。たとえばイギリスやカナダの下院は小選挙区制なので政権交代が起きやすいとされています。事実、来月に実施されるイギリス総選挙では、いまの保守党に代わって労働党が政権に返り咲きそうな気配です。
日本もこの選挙制度になってから、2度の政権交代が実現しました。
しかし、小選挙区では、負けた候補者に投じられた票が全て無駄になり、いわゆる「死に票」が増えてしまう欠陥があります。また大政党に有利な制度で、少数意見が国会の議席に反映されないという問題点もあります。
そこで日本の場合は比例代表の選挙も同時に実施します。それにより少数政党もそれなりに当選者を出すことが可能になっています。
とはいえ、本当に民主的な選挙制度は、「完全比例代表制」だと言われます。小選挙区などやめて全ての議席を比例代表で選べば、国民の多様な意見を国会の議席に反映できるからだというわけです。
これを実行したのがイスラエルです。イスラエルは一院制で議席は120。全国を一つの選挙区にして、得票率が3.25%以上の政党が、得票率に応じて議席を獲得し、各党の候補者名簿に従って当選者が決まる仕組みです。
ところが、やってみると、あまりに多様な意見の政党が乱立(失礼、林立)し、困ったことになっています。単独過半数を獲得(かくとく)する政党が現れず、連立を組まないと政権が取れないのです。
たとえば2021年の総選挙では、ネタニヤフ率いる保守政党のリクード(ヘブライ語で「団結」)が最多(さいた)の30議席を確保しましたが、過半数には届きません。当時はリクードと連立を組んでもいいという保守政党や宗教政党(しゅうきょうせいとう)の議席を合わせても52議席にしかなりませんでした。
そこで政策の違いを超えて反ネタニヤフという一点で各政党が野合(やごう)(失礼、団結)し、少数政党連合の連立政権が誕生しました。
しかし、政党ごとに政策は水と油。話がまとまるわけはありません。結局、2022年に再び総選挙となりましたが、リクードは32議席と微増(びぞう)に留まりました。
少数政党の意見に引っ張られる(ひっぱられる)
その一方、極右(きょくう)政党や宗教政党など5つの少数政党の合計議席も32。そこでネタニヤフは、これらの政党と連立を組むことで64議席と辛うじて過半数を確保。現在まで続くネタニヤフ政権が誕生しました。
しかし、ネタニヤフ政権にすれば、極右政党や宗教政党が離脱すれば、即座に連立政権が崩壊(ほうかい)するという状況になっています。
少数政党と連立を組んで辛うじて過半数を確保すると、その少数政党の主張に配慮せざるを得なくなる。なんだか公明党の主張を呑まざるを得ない自民党という今の日本の政界を思わせるような事態です。
ネタニヤフ政権で連立を組む極右政党や宗教政党は、『聖書』の「神がユダヤ人に土地を与えた」という一節を根拠に「ヨルダン川西岸地区もガザ地区も神がユダヤ人に与えたものだ」と主張しています。現在は1993年にまとまった「オスロ合意」によってイスラエルとパレスチナ自治区に分かれていますが、これを認めないのです。
認めないどころか、極右政党や宗教政党の支持者たちはヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に次々に入植地を建設。パレスチナ人の土地を侵食しています。
これにパレスチナ人は反発。入植者とトラブルになると、イスラエル軍が出動して入植者を守ります。
これは明らかにオスロ合意違反ですが、ネタニヤフ政権は違法な入植活動を止めようとはしません。
こうしたことが積み重なってきた結果、パレスチナ人のイスラエルへの憎しみは募るばかり。もちろんハマスの行為は許されませんが、今回の事態には、こうした背景もあるのです。
一方、ネタニヤフ首相にしても、少数政党が離脱して連立政権が崩壊すれば、ただの国会議員に逆戻り。本人は汚職(おしょく)の罪で起訴されて裁判中です。首相の座を降りれば有罪判決という悪夢が頭をよぎるはずです。
それだけではありません。そもそもハマスの奇襲攻撃を許し、多数の国民を死なせることになった責任を追及されることになります。それを避けるためには、極端(きょくたん)な意見の少数政党に引っ張られているという形をとって首相の座に留まることが最善の選択ということになります。となると、ガザの悲劇はまだまだ続きそうです。
こうして見ると、理想の選挙制度とは難しいものだと思います。
そういえばイスラエルは、過去に「首相公選制」を導入したこともあります。その結果は、首相の属する政党と議会第一党の政党が異なることになって、政治は大混乱。結局、いまの議院内閣制に戻った経緯もあります。イスラエルは選挙制度の実験場(じっけんば)かも。