池上彰のそこからですか!? 第608回 2024/03/15
「民主活動家をスパイしろ」
「カナダに留学することを認めてやるから、向うでも香港の警察に協力しろ」
カナダのトロントで「香港にはもう帰らない」と宣言した香港の民主活動家・周庭(アグネス・チョウ)さんは、香港にいるとき警察にこう持ちかけられたそうです。カナダには香港の民主活動家が何人も逃げていますから、その様子をスパイして警察に教えろと要求されたのです。留学を認める交換条件でした。この申し出は断ったそうですが、「断ると留学できなくなるかもしれない」と怖かったそうです。
今月初め、周庭さんは、トロントでの私の取材に対し、こう語りました。これまで彼女は「香港には帰らない」と宣言することで、事実上の亡命をしたのですが、直接対面でジャーナリストに会ったのは、これが初めてのことです。
これが可能になったのは、これまで周庭さんと連絡を取っていたテレビ東京の記者の仲介があってのことでした。
彼女はトロント市内の大学院に留学していることは、これまで自ら明らかにしていますが、どこの大学なのか、どこに住んでいるのか等(など)は明らかにしていません。今回の取材はトロント市役所前で待ち合わせるところから始まりました。
いまは大学院で研究しているそうですが、研究テーマを明かすと、どこの大学かヒントを与えてしまうので話せないとのこと。いまは授業があるのか試験の時期なのかを訊ねても、それで大学が特定されてしまうから秘密だと言われました。彼女はそれだけ脅えて(おびえて)いるのです。
香港では2014年9月、香港政府のトップである行政長官の選挙を民主化すべきだと若者たちが立ち上がりました。それまで中国政府は「香港の住民が選挙で選べるようにする」と約束していたのに、「愛国者でないと立候補できない」と言い出し、中国共産党が認めた人物しか立候補できないようにしたため、「裏切られた」と怒った若者たちがデモを繰り広げたのです。
これに対し、香港の警察は催涙弾(さいるいだん)で応じたため、若者たちは雨傘で抵抗。この様子から「雨傘革命」と呼ばれました。この活動の中心メンバーの一人として知られるようになったのが周庭さんでした。日本のメディアは勝手に「民主化の女神(めがみ)」などと呼んでいました。
このときの抗議運動は、結局抑え込まれましたが、その後も周庭さんたちは香港の民主化を求めて活動を続けてきました。
彼女は日本のアニメの大ファンで日本語を独学。日本語でもSNSで発信したことで、日本国内にも多くの支持者を得ました。
しかし、2020年12月、違法集会を扇動した罪で禁固10か月の実刑判決を受けて収監されます。2021年6月に釈放されて(しゃくほうされて)以降、公の場に出ることはなく、SNSでの発信も中断していました。それが去年12月、発信を再開し、カナダにいること、香港には戻らないことを明らかにしたのです。
「いまも悪夢を見る」
周庭さんが「香港には戻らない」と宣言したことから香港の警察は激怒。指名手配に踏み切りました。と言っても、カナダには効力がありません。香港政府が民主化運動を弾圧するための「国家安全維持法」を施行したことを受け、カナダ政府は2020年7月、香港との間にあった「犯罪人引き渡し条約」を停止しているからです。このときトルドー首相は「カナダに来ている香港の人々を守る」と表明しています。中国は世界各地に勝手に「警察」の出先機関(でさききかん)が、カナダ政府が「守る」と言明している以上、勝手な振舞いはできないでしょう。
実は周庭さんがカナダに留学したいと警察に伝えたところ、香港の警察は彼女を中国の深圳に連れていって「中国の経済発展ぶり」を見せたり民主化運動をしたことを懺悔(ざんげ)す文章を書かせたりしています。彼女がこのことを暴露すると、香港駐在のメディアが、そんなことができる法的根拠を問い質しましたが、警察出身の行政長官は答えませんでした。法律的な根拠がないからです。これについて周庭さんは、「香港警察のやり方が中国警察に近付いている」と思ったそうです。中国の警察は法律的な根拠に基づかない行動をとることがあるからです。もはやかつての香港ではなくなってしまったのです。
刑務所に収監されて以降は、不安障害やPTSD、それに鬱で苦しんだそうです。いまでも警察に尾行される悪夢でうなされると話しています。
刑務所では、途中から終身刑の囚人と同じA級犯にされたそうです。香港に死刑制度はなく最高刑は終身刑。殺人を犯して終身刑になった女性たちと一緒だったそうです。周庭さんへの嫌がらせか、はたまた周庭さんの思想の影響を受けても終身刑の囚人なら社会に出られないから問題ないと刑務所側が思ったのかは不明ですが。
今後の人生の選択について、カナダに亡命するかと聞きましたが、いまのところその予定はないと答えています。現在は留学ビザが有効なので、それでカナダに滞在しているので、期限が切れたら考えるということでした。
最後に香港の将来をどう見ているか聞きました。「希望は見えますかと聞かれても、答えられない、香港は私にとってまだ怖い場所。いつか自由な形で戻れたらいいなと思っている」と述べていました。
カナダのトロント中心部は、中国系やインド系など多種多様な人々がいます。周庭さんが街を歩いていても、気づかれることは少ないということでした。トロントはいまアイススケートの季節。町中にもリンクが多数あり、「スケート靴を買いました」と笑っていました。いまも香港の民主化を求める周庭さん。静かな環境で勉学に勤しむ(いそしむ)ことができるといいですね。