池上彰のそこからですか!? 第606回 2024/03/01

「もしトラ」ならぬ「もしバイ」は?

「もしトラ」という言葉がすっかり知られるようになりました。「もしトランプ前大統領が返り咲いたら」という予測のこと。その場合、どのような対策を取ればいいのか、世界各国が身構えて(みがまえて)います。でも、アメリカの状況を見ると、もはや「もしトラ」ではなく、「ほぼトラ」の様相を呈しています。

 こうなると、ジレンマに陥るのは岸田総理のはずです。4月にバイデン大統領から国賓として招待されているからです。日米関係は重要ですから、訪米(ほうべい)したら、バイデン大統領との蜜月(みつげつ)ぶりをアピールする必要があるでしょう。それが対中国の抑止力にもなるはずです。

 ところが、バイデン大統領との親密な関係を見せつけると、トランプ前大統領の反応が心配です。トランプ氏は、個人的な嫉妬(しっと)や恨み(うらみ)で対応を決めることが多いからです。いまトランプ氏は、自分が4件の事件で起訴されたことを「バイデンの策略」だと主張しています。2020年の選挙で自分を破ったこともあり、バイデン大統領に対し恨み骨髄(こつずい)です。そんなバイデン大統領と親密な姿を見せた首相に対し、大統領に返り咲いたら、どんな対応を見せるやら……。

 その一方で、いまのバイデン大統領の様子を見ると、果たしてバイデン大統領は岸田総理を日本の総理大臣と認識してくれるのでしょうか。

 というのも、バイデン大統領は、2月8日の記者会見で、「私の記憶力は大丈夫だ」と発言したそばからエジプトのシシ大統領のことを「メキシコのシシ大統領」と言ってしまったのです。

 また4日にはフランスのマクロン大統領を故人ミッテラン元大統領と混同。7日にもドイツのメルケル前首相を故人のコール元首相と言い間違えています。まあ、人間だれしも言い間違いはあるもの。とはいえ、こう頻繁(ひんぱん)に続くと、大丈夫なのかと思ってしまいます。

 バイデン以前、アメリカの大統領で最も高齢だったのはロナルド・レーガンでした。彼は77歳で退任したのですが、バイデン大統領は78歳で就任しています。

 レーガンは2期目を目指す選挙戦で、記者から「73歳で2期目に入るのは高齢過ぎないか」と追及されると、「相手の若さと経験のなさを政治利用するつもりはない」と切り返して勝利を掴みました。当時は、「この手があったのか」と感心しましたが、バイデン大統領には、そんな機知も期待できません。

 そんなレーガンも、大統領退任後、実は1期目の途中から認知症の症状が出て、閣議でも寝てばかりだったとの暴露発言が出ました。さて、それより高齢のバイデン大統領はどうなのか。バイデン大統領が、「もし大統領職よバイバイ」略して「もしバイ」になったら、どうするのか。

 そうなると、にわかに注目されるのがカマラ・ハリス副大統領です。大統領に何かあれば、副大統領が後を継ぐのですから。

存在感のない副大統領

 アメリカの副大統領という職に関しては、古くから言い伝えられているジョークがあります。

「あるところに2人の兄弟がいた。1人は航海に出かけ、もう1人は副大統領になった。その後、2人の行方を知る者はいない」

 副大統領の存在感のなさを表現しています。ハリス副大統領は、選挙戦中は「黒人の女性であり、元検察官というやり手」として注目され、高齢のバイデン大統領と途中で交代するのではないかと見られていました。輝いていたのです。

 ところが、バイデン大統領から移民問題を担当するように指示されると、にわかに非力だという批判を受けるようになります。民主党のバイデン大統領は前任のトランプ氏に比べて移民に寛容だと考えた多数の移民がメキシコとの国境を越えてアメリカに流れ込んできましたが、その対応ができていないからです。結果、ジョークの通りに存在感がなくなってしまいました。

 ただ、ここへきてハリス副大統領は、人工妊娠中絶の権利擁護の旗振り役に躍り出ました。

 これまで人工妊娠中絶に関して、連邦最高裁判所は合衆国憲法が権利を認めているとしてきましたが、トランプ氏が大統領時に保守派の裁判官を送り込んだ結果、判断を変更。「合衆国憲法は権利を認めていない。この問題は各州が判断すべきだ」との判決を出しました。それ以降、全米各地で人工妊娠中絶を事実上禁止する法律が次々に成立。これに反発している女性たちも多いのです。ハリス副大統領は全米各地を回って、「中絶の権利が認められなくなったのはトランプ氏のせいだ」と批判しています。この行動により、ハリス副大統領の存在感が出てきたという評価が生まれています。

 そこで注目されたのが、2月初めの「ウォール・ストリート・ジャーナル」のインタビューの答えです。同紙の記者はハリス副大統領に対し、「有権者はジョー・バイデン大統領の年齢に懸念を抱いている。これは、ハリス氏が大統領を務める準備ができている、ということを人々に納得させる必要があるということだろうか?」と尋ねたのです。

 これは微妙な質問ですね。「準備ができている」と答えたら、大統領に取って代わる野心を持っていると受け止められてバイデン大統領を不愉快にさせそうですし、「準備ができていない」と答えたら、その段階で政治生命を失いかねません。では、何と答えたのか。

「務める準備はできている。それについて疑問の余地はない」と「あっさり」(同紙の表現)答えたのです。(2月13日同紙日本版より)

 おお、野心を見せました。でも、いまは民主党の予備選挙でバイデン大統領はトップを走っています。「もしバイ」になった場合は、民主党全国委員会が臨時会合を開いて候補者を決めることができるのです。さて、どうなるのか。