夜ふけのなわとび 第1863回 林 真理子 2024/11/01

読書週間

読書週間(どくしょしゅうかん)とは、10月27日から11月9日までの2週間にわたり、読書を推進する行事が集中して行われる期間。

 教育に関係するようになってから、私が注意していることがある。それは、

「皆さん、本を読みましょう」

 という言葉だ。

 大学でも、附属の高校、中学に行っても、これを口にしたとたん、みんなさっとシラける。そして、

しら・ける 3【白ける】(動カ下一)《文カ下二 しら・く》 ① 気分がこわれる。興がさめる。気まずくなる。「座が―・ける」

「ありきたりのつまんないことしか言わない」

 という冷ややかな視線が私にくる。

 作家としてつらいことだが仕方ない。今まで私は長いこと、読書啓蒙運動(どくしょけいもううんどう)に参加してきた。読書推進ナンタラ、という委員会やプロジェクトもやってきた。

「ハヤシさんは本屋の娘なんだから協力して」

 と頼まれ、書店の代表や出版社の社長さんたちと、議員会館に行ったことも。読書週間には都心の書店前でビラも配った。

 エンジン01の出張授業で、いろいろな高校に行き、読書の楽しさを話したっけ。しかし今となっては空しい(虚しい、むなしい)。本屋さんの数は減り続け、アンケートによると、1カ月に1冊も読まない大人は6割にのぼるという。

 子どもたちの冊数(さっすう)はやや増えたようであるが、高校生になればすぐにスマホにすべて乗っとられてしまう。経産省が、書店の経営を支援するとか言っていたが、あまり進展は見られない。パブリックコメントを集めている時間があったら他に何かしてほしいと思う。

 とまぁ、本をめぐる状況は厳しくなるばかりで、私は胸が痛むのであるが、この何年か、

「本を読みましょう」

 と言い続けるのをためらう気持ちが出てきた。もうみんな本がそれほど好きではなくなっているのだから仕方ない。もう一部の人の趣味となっているものを、ああしろ、こうしろ、と押しつけるのはどうかなぁ、という気持ちである。それに、

「本を読むと人間力がアップするし、いろいろな知識が身につく。教養というものを持ついちばんの近道」

 などと言ったとたん、

「じゃあ、あんたはどうなの?」

 と言われそう……。

 しかし今は読書週間、少し本の話をしてみたいと思う。

 どうして大岡昇平(おおおか しょうへい)の『武蔵野夫人(むさしのふじん)』を読もうと思ったのかわからない。何かの記事にちらっと出ていたのを憶えていたからだろうか。1950年の大ベストセラー。文庫で手に入る。

「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない。……中央線国分寺駅と小金井駅(こがねいえき)の中間、線路から平坦な畠中(はたけなか)の道を二丁南へ行くと、道は突然下りとなる」

 なんという美しい書き出しであろうか。まるでフランスの小説のようだと思うが、それもそのはずで、作者の大岡昇平はスタンダールやラディゲの世界を日本に持ってこようとした。実験的な小説なのだ。登場人物はほんのわずか。5人だけといってもいい。彼らの心理をピンセットでつまみ、少しずつ動かしていく書きぶりは、今のエンタメ(エンターテイメントの略)を読み慣れている読者にとっては、途中やや退屈するかも。しかし実に優雅な退屈で、途中でページを閉じる気になれないから不思議。

 やがて必然とも唐突ともいえる悲劇がやってくる。読み終えると、じわーっとさまざまな感想が胸にわき上がる。

 そして私もいつか、限られた場所で、限られた人たちだけで進行する小説を書きたいなあと考えるようになった。が、これはものすごい力量(りきりょう)が必要となるだろう。

香気高い小説(こうきたかいしょうせつ)

 そしてつい先日、水村美苗(みずむら みなえ) さんの『大使とその妻』を買った。まだ読み始めたばかりであるが、これは避暑地(ひしょち)小説かなと思う。限られた場所と人に、限られた階級、ということになるだろう。

 水村美苗さんは以前『本格小説』を上梓されているが、これが本当に素晴らしかった。『嵐が丘』の世界を、日本で展開されているのだ。英語圏で暮らしてきた方だから、文体が翻訳小説のようで、非常に香気高い。私はすっかり魅せられて(みせられて)しまった。

 水村さんに初めてお会いしたのは、私が直木賞をとってすぐの頃だから、40年近い昔。

 たまたま知り合った経済学者岩井克人(いわい かつひと)さんに紹介されたのだ。

「僕の妻に会いませんか」

 目のとても大きな綺麗な女性がやってきた。3人でお喋りをしていた時、私はもうじきアメリカに行くという話をした。

「アメリカの国務省の招待で、1カ月行ってきます」

 日本の次世代のリーダーに、アメリカをじっくり見てきてほしいというプロジェクトであった。会いたい人のリストを出してくれれば、極力かなうようにするという申し出もあり、ニューヨークでは大きなエージェントとも会う手はずであった。

「東部にも南部にも行くつもりです」

 と言ったところ、水村さんからプリンストン大学に寄ってみないか、というお話があった。当時水村さんは、プリンストン大で日本文学を教えていらしたのだ。

 ニュージャージーの大学に立ち寄ったところ、学生に短い講演をしてほしいとのこと。日本文学の現状についていろいろお話ししたのであるが、10人ほどの学生はあまりピンとこなかった様子。その後、

「〇〇を知っているか、今、どうしているか」

 などと質問があったのだが、私の全く知らない、新人の純文学作家ばかりで面くらった(めんくらった)。

 水村さんに言わせると、日本文学講座の予算がなく、「新潮」「文學界」「群像」「すばる」を取り寄せることしか出来ず、それをテキストにしているということであった。

 しかし刺激的ないい時間だった……。

 とここまで書いてふと思う。私とて知的な国際的な作家になるチャンスはあったのだ。いったいどこで道が違ったのであろうか。今は人の才能に感嘆するのみの読書週間である。