夜ふけのなわとび 第1856回 林 真理子 2024/09/13
愛校心とランタン
1年ぶりに台湾にやってきた。
こちらには日大の校友会がある。ここからは、台湾の政界、財界に多くの人材を輩出している。政府のさる要人もうちの留学生。この創立20周年にあたり、その祝賀会に招待されたのだ。
何度も言ったり書いたりしているが、台湾は私の大好きなところ。食べものはおいしいし、人はやさしい。街を歩いて、小豆氷を食べたり小物を買ったりする仲よし3人の旅を、毎年ゴールデンウィークに行なっていた。
「でも毎年台湾というのもアレだよね。今年はちょっと足を伸ばしてバンコックにしよう」
といろいろ計画していたのであるが、言い出しっぺの友人が、仕事の都合でドタキャンとなり旅行はなくなってしまった。そんなわけで今度の台湾が、今年初めての、そしておそらく最後の海外旅行ということになる。
祝賀会の前夜、私は同行の職員と一緒に、台湾に来たら必ず行くあるお店に。ここの豆のスープが大好物なのである。
現地の友人に予約してもらったら、5時と7時半の2部制になっていた。こんなことは初めてだがとにかく行ってみる。お店はおととし広いところに引越していて、日本語のメニューも。それはいいとして、料理の味が落ちているのだ。豚肉の煮込みは冷えていて、他にもあらかじめ日本人好みのメニューはつくりおきしてあるという感じ。豆のスープもぬるかった。
「ごめんね、前はもっとおいしかったんだけど」
支払いをしようと、バッグに手を伸ばす。え、……、どうした!? えっ、まさか、そんな。ウソ!
財布がないのである。
「どうしたんですか」
「ハヤシさん、さっきタクシー代払った時はありましたよ」
どうやらタクシーの中に忘れてきたようだ。ソコツ者として長いこと生きてきた私であるが、財布をなくしたのは初めて。真青になる。台湾はカードを使えない店が多く、かなりの現金を入れていたのである。
「きっと出てこないよね……。クレジットカードも入ってたのに。カード、止めないと……」
がっくりと肩を落として夜の街を歩く。
「明日からどうしよう。お金が一円もない」
「僕が立て替えておきますから」
「カードも止めたし、お金は諦める。私が悲しいのはね、これで大好きな台湾が嫌いになったらどうしようってこと」
その時、現地の友人の携帯が鳴った。ホテルから乗ったタクシーだったので、ホテルに連絡したところ、今、届けられたという。タクシーの運転手さんが持ってきてくれたのだ。安堵と感動で涙が出そう。
ちょうどおしゃれなショップに入っていた最中。お金を借りて目についたTシャツを買った。そこにはイラストと共に日本語で「ともだち」と書かれていた。今の私の心境にぴったりだ。
「そう、そう、お財布を落として、返ってくるのは、世界中で日本と台湾だけですよ」
次の日、ランチを一緒にとったダン君が言った。ダン君こと、歌人で作家の小佐野彈君は、こちらでビジネスをしていて、日本と台湾を行ったり来たりしている。
「そういう意味でも、日本と台湾は似ていますよね」
彼は台湾三田会の副会長をしているそうだ。
「だけど人数すごく少ないですよ。早稲田は1500人いますから」
「1500人!」
すごい勢力である。
日大の台湾校友会は、50人。ほとんどが留学生だ。この方々の愛校心は大変なもので、東日本大震災の時には寄付金を、コロナの時には大量の医療用マスクを送ってくださった。
「日大と妻のおかげです」 ランチの後は、ホテルの横の美容院へ行き、いつもの台湾式シャンプーを頼む。泡でパンダの耳やハートをつくってもらうのは楽しい。
そして髪をしっかりブロウしてもらい、5時からの祝賀会へ。台北市の隣りの市に建つ結婚式場で行なわれた。どうして台北のホテルにしなかったか、その理由は最後に知ることになる。
とにかく広い会場。200人が着席する。いちばん最初にスピーチをした。締めに財布の話をして、
「見つかるのは日本と台湾だけ。二つの国の友好は永遠です」
とか言ったら拍手が起きた。
それからは太鼓の演奏、獅子の舞い。ジャズの歌と演奏と、台湾らしい派手なエンタメがずっと続く。ご馳走も次々と出る。隣りの林リン会長といろいろお話をした。会長は台湾で有名な建設会社を経営していて、ドームの建設では特殊な工法を開発し、世界的にも知られているという。
「今日の私があるのは、日大と妻のおかげです」
とスピーチでおっしゃった。かなりの愛妻家とみた。
「実は卒業の年、どうしても学費が払えなくなりました。その時、お金を出してくれたのが妻だったんです」
奥さんはバイト先で知り合った日本人。結婚してからもずっと苦労をかけた。成功してからは、2人で海外旅行に行くのが本当に楽しみだった。その奥さまは今、ご病気だそうだ。
「妻は私の生き甲斐です。妻がいたからここまでこられました」
スマホの写真をいっぱい見せてもらったが、本当に可愛らしい奥さま。昭和40年代のお二人の純愛を思うと、じーんと胸が熱くなる。会長の奥さまへの愛は、親日と母校愛へとまっすぐにつながっていくのだ。こういう方のために頑張らないと。
そして最後に巨大なランタンがいくつか登場。そう、十分シーフエンにある願いごとをかなえるランタン。このために天井が高い会場が選ばれたのだ。私は「日台友好」「日大復活」と大きく書いた。ランタンはゆらゆらと上がっていった。