林真理子 夜ふけのなわとび 第1852回 2024/08/02
京の女性リーダー
久しぶりに京都に。
こちらの公認会計士さんの協会の総会で、講演をするためである。
実はこの講演会は昨年行なわれるはずであった。しかし大学の不祥事があり、キャンセルとなっていたのだ。
「今年は開催出来て本当によかったですねー」
顔をほころばせるのは、日大で常務理事をやってくださっているA氏である。元日本公認会計士協会の副会長で、財務のプロ中のプロ。この方には日頃本当にお世話になっている。だからこの方から頼まれた講演会、今年は義理を果たせて本当によかった。しかもA氏は、心配だからと、一緒に京都まで来てくださったのである。
ホームにはA氏の知り合いが迎えに来てくださり、八条口から車に乗り込む。タクシーでなくて本当によかった。
今日び、京都でタクシーに乗ろうと思ったら、すごい行列に並ばなくてはならない……と、八条口の前を見て、私はあれっと思った。
行列がとても短かくなっているのだ。今年の春来たときとはまるで違う。土曜日だというのに、タクシーがすぐに行列の前にやってくる。
「あまりにも苦情が多かったから、市の方でも考えたみたいですワ」
私らの車の運転手さんは話好きのようだ。
「コロナでいなくなった人らが、また戻ってきたんですワ」
そして車が向かったのは、京都の八坂神社の近くである。近くの由緒ある建物がぎっしり並ぶあたりには、相変わらずインバウンドの方々がいっぱい。そしてその中でも、ひときわ目立つ建物に私たちは入っていく。なんと今日は、祇園甲部歌舞練場という由緒正しいところで、講演会をさせていただくことになっているのだ。
甲部歌舞練場といえば、あの都をどりが開かれるところで有名だ。
「都をどりはー、よいやさー」
という華やいだ声を、ニュースで聞いた人も多いに違いない。私もあのイベントが大好きで、ひと頃は毎年来ていたものだ。そこと同じ場所で講演させていただくなんてなんて嬉しいことであろう。
しかもこの歌舞練場の裏側は、舞妓さん、芸妓さんたちの学校、女によ紅こう場ばとなっているのだ。今日は特別に、この一室を控え室として使わせていただくのである。
玄関で靴を脱ぐと、三味線の音が聞こえてくる。入り口の壁には今日のお稽古のスケジュールが貼られている。一時間めはお三味線、二時間めは舞いと書かれていた。三味線の音は、舞いのお稽古をつけていたのである。
興味シンシンであたりを見わたす。事務所のカウンターの前には、スナック菓子やカップ麺が置かれていた。自由に食べていいわけではなく、稽古に来た生徒は、自分でお金を払うのだそうだ。
使っていない部屋には、お三味線がずらりと並べられていた。本当に教室だ。
控え室に行きかけて、私はほーっとため息をもらした。お稽古を終えた生徒たちが数人、日傘をさして玄関のところでたたずんでいる。
お揃いの白地の浴衣に素顔。髪をかきあげたうなじに真夏の陽ざしがあたっている。その美しいことといったらない。まるで日本画を見ているようであった。
蛍のあかりに偲ぶ さて本番。歌舞練場の800人の席は満員である。講演の前に、舞妓さんたちの踊りもあった。正装した舞妓さんたちも本当に素敵。演目のひとつに「蛍狩り」というのがあった。
私は20年以上前のあるお座敷を思い出した。当時よく行っていたお茶屋バーが20周年を迎え、料亭に招待されたのだ。私の他には瀬戸内寂聴先生と、渡辺淳一先生、それからもう一人京都のお金持ちがいたと記憶している。
真夏のことで趣向を凝らしたものがあった。簾ごしに芸妓さんたちが、蛍の小さなあかりがついた籠を持って、静かな舞いを披露してくれた。その風情あることといったらない。初めての私など感激したのであるが、後に瀬戸内先生は、
「最近は芸妓も行儀が悪くなったわ」
と怒っていらした。舞いが終わった後、彼女たちがビールをがぶがぶ飲んだかららしい。その瀬戸内先生も、渡辺先生も、バーの主人ももうあちら側に行ってしまわれた。京都の思い出は、最近寂しさとつながってしまう……。
講演も無事に終わり、打ち上げは近くの料理屋さんで、6人ほどで食事をしたのであるが、皆さんとてもよくお酒をお飲みになる。特に支部の会長さんがとてもいい飲みっぷりで、日本酒のグラスを次々と空けていく。この会長さんは、私より五つ、六つ下だろうか、おしゃれで可愛らしい方。聞いたところによると、京都大学出の才媛で、女性で初めての支部会長だそうだ。
お開きになった頃、会長が言った。
「ハヤシさん、この後のお遊びも楽しみにしていてね」
歩いてすぐのお茶屋さんには、東京から来た若い役員の方々、10人ほどが待っていた。やがて3人の舞妓さんと1人の地じ方かたさんがやってきて宴会となった。
私は次第に心配になる。
「さっきのお食事はご馳走になるとして、こんなお席はどうしたらいいんでしょうか。私も少しお支払いするとか……」
「いいの、いいの」
とA氏。
「この宴会は会長が持つことになってるから」
驚いた。私も昨日、大学のスタッフ何人かにおごったが居酒屋であった。女性のリーダーとして肝っ玉が違うぞ。体を使うじゃんけん“とらとら”のお遊びにも、楽しそうに興じる会長を見ながら、私はさまざまなことを学んだのである。
誰かがその時私に言った。
「女性のリーダーの条件は三つ。まず明るいこと、そして運がいいこと」
最後のひとつは酔っていてどうしても思い出せない。