夜ふけのなわとび 第1851回 林 真理子 2024/07/26
推します
トランプさんが無事で本当によかった。
銃弾が耳を貫通(かんつう)しながらも助かったとは、なんという強運(きょううん)の持ち主であろうか。
それにしても、この強運をも含めて、トランプさんというのは、アメリカの大衆(全部とはいわないが)の心をつかむように運命づけられていると思う。
血を流しながらも、こぶしをあげている姿に人々は熱狂した。今年のピュリッツァー賞をとるのではないかと言われるあの写真に、私は絶句する。
なんてすごい写真なんだ。
青空(あおぞら)に星条旗(せいじょうき)がひるがえっている。その下で血を流しながらも、天を仰ぎ、私は負けない、と誓うようなポーズの前大統領。
あれを見て私は硫黄島(いおうじま)のあの写真を思い出した。占領した島に、アメリカ兵たちが星条旗を立てている写真。当時アメリカ国民の愛国心をかきたてたといわれるあの写真だ。これでトランプさんはヒーロー(すべての人のではないとしても)になった。
きっと何十年後(私は生きているはずもないが)、トランプさんに向けて発せられた(はっせられた)弾(だん)はこう記されるであろう。
「世界を大きく変えた銃弾」
ところで世界を震撼させた事件のすこし前、日本でも許せない犯罪があった。22歳の女性が、生まれたばかりの赤ちゃんをゴミ箱に捨てたというのである。
彼女は推しのアイドルがいて、ものすごいお金を遣っていたという。
「推し」。最近この言葉がやたら注目されるようになった。が、ただのファンとは少し違うニュアンスが、あまり世間に知られていない。地下アイドルとかに、大変なエネルギーとお金を遣う。
「この人を応援出来るのは私だけ」
「この人をスターにしてあげたい」
という必死な思いは、少しも悪いことではないと思う。
昔、何度か大衆演劇を見に行ったことがある。そこでは俳優さんと観客との距離が近い。スターさんは、なじみの人が来ると、
「今日も本当にありがとうね。本当にうれしい」
と肩を抱いたりする。ファンはたいていが女性であるが、とても嬉しそう。そして花道で一万円札のレイ(garland of flowers)をかけてあげたりするのだ。
こういうのは余裕のある年寄りがすることであろうが、若い人が好きな芸能人のためにお金を遣おうとすると無理が出てくる。そこで、いろいろな犯罪が発生するわけだ。
実は私、子どもの頃からファンになるということがなかった。もちろん好きな芸能人はいるが、その人のために手紙を書いたり、どこかに訪ねていこうとする人の気持ちがわからない。
当時はグループサウンズ全盛期。同級生たちは、ジュリー派とピー派に分かれ、ファンレターをせっせと書いたり、誕生 日にプレゼントを事務所あてに送ったりしたものだ。
私はこういう彼女たちを冷ややかに見つめていた。
「一生涯、絶対会うこともない人のために、どうしてそんなことするの?」
友人に口に出して言い、
「そんなひどいことなぜ言うの!!」
と泣かれたこともある。
だから大人になってから、ジュリーにお会いした時は感慨深いものがあった。山梨の中学生だった私は、彼に会うことなどまずないと信じ込んでいたが、そんなことはなかったのだ。当時のクラスメイトたちは、もしかするともしかして、という夢を持っていたに違いない。私はそれをぶち壊してしまったのである。
愛するがゆえに
さて、また話は変わるようであるが、先週の週刊誌に、
「“陰謀論のシンボル”と化した『三浦春馬』の謎を解く」
という記事があった。
人気俳優三浦春馬さんが亡くなって4年たつが、未だに彼は自死ではない、誰かによって殺されたのだ、というファンが何人もいるというのだ。
実際私も何通かの手紙をもらっている。なぜかというと、亡くなる1年前の三浦さんと対談しているからだ。
その時の感想を正直に言うと、
「ちょっとそっけないかな……」
という感じであった。ふつう俳優さんというのは、テレビドラマのことを誉められるより、映画や舞台のことを話題にされるのを好むものだ。寝っころがって見られるテレビと違い、それら二つは、お金を出してわざわざその場所までいくものだからだ。
ましてや私は話題となった、彼が主演の「キンキーブーツ」の初演を観ている。しかもニューヨーク・ブロードウェイの本場ものもちゃんと観ている。さぞかし話がはずむと思ったらそんなこともなく、
「そうですか……」
で終わってしまった。
「彼のあの態度は異常でした。私は林さんに調査してもらいたい。なんとかお願いします」
と丁寧な手紙で、文章も文字もしっかりしていた。嫌な気分はまるでなく、亡くなってもなお、ここまで言ってもらえる三浦さんは幸せだなあ、と思った。死を受け容れられないほど、彼のことを愛していたのだろう。推しもここまでくるとすごい。といっても私には芸能界のツテもなく、調査などとても出来るはずがない。ただご冥福を祈るだけだ。
そして昨日は直木賞の選考会。作家が自分のこれぞと思う作品を、力の限り、推して推して推しまくる日だ。自分の推しが受賞作となるとたまらなく嬉しい。その後のお酒もおいしい。しかし受賞にならないと、自分の力が至らなかった、どうしてもっと強く長く議論しなかったのかといじいじと悩むことになる。
何年か前のこと、渡辺淳一((わたなべ じゅんいち)先生と私の強く推したものが受賞ならず、評価しなかったものが直木賞となった。選考会の夜は受賞者を囲み、文壇バーで乾杯するのがならわしであるが、その日はそんな気にならず、
「僕たち2人はあの中には入れないよね」
と先生がおっしゃり、2人でとぼとぼ別のバーに行ったのは懐かしい思い出である。
キンキー・ブーツの物語(ストーリー) イギリス、ノースハンプトンにある老舗靴屋の跡取り、チャーリー・プリンスは、ロンドンへの引っ越しを考えていた矢先、父が亡くなってしまい倒産寸前の靴屋を継ぐことに。 財政状況は最悪で、創業当初からの従業員を解雇しなければならない状況にまで追い込まれていた。