夜ふけのなわとび 第1841回  林 真理子 2024/05/17

ゴールデンウィーク

 昔からゴールデンウィークに、どこかに出かける、という習慣はなかった。

 親が元気だった頃は、毎年故郷に帰っていたが、この頃はうちでゴロゴロしている。

 海外旅行に行く人の気がしれない。どこかに出かけようにも、空港も飛行機も人でいっぱい。手荷物検査場の前に長い行列が出来ているのをテレビで見るだけでげんなり。

 しかも今年は円安ということもあり、ハワイではラーメン1杯が4000円だと。信じられない。私は絶対にうちにいる。

 しかしうちでゴロゴロしているのもなかなか大変なことで、なぜなら夫もうちにいるからだ。しかも休日はお手伝いさんもお休みなので、ご飯をつくらなくてはならない。掃除だってたまにはするべきであろう。

 それでもうちは汚なくなるばかり。夫も日頃の小言をまとめて言うから本当に腹が立つ。

「玄関にどうして靴がこんなに散らかってるんだ」

「ハンガーラックに、どうしてこんなにコートがかかってるんだ。異常だと思わないのか」

 スーパーへ行って買物をし、時間をかけてつくった料理も、ああだこうだ言われる。

 私は心に決めた。ゴールデンウィークは、なるたけ外に出ていこうと。幸いなことに、お手伝いさんも、今年は孫が来ないので休日も来てくれることになった。ひとつクリア。

 私は夫にLINEをうった。

「5月1日は学校の用事で山形に行きます。5月3日から5日までは都内のホテルに泊まって仕事します」

 言いづらいことやめんどうくさいことは、こうしてLINEで伝えることにしている。生活の知恵だ。

 そして5月1日、山形新幹線に乗った。日大山形という附属高校を視察するためだ。久しぶりの新幹線で、駅弁も買い、なにやらわくわくしてくる。

 新幹線の窓からの新緑は本当に美しい。北に向かうにつれて、緑がやわらかく清楚になってくる。が、それはあまり見ないようにして本を読みふける私。

 実はこのゴールデンウィーク、ひとつ決めたことがある。短篇をひとつ仕上げるということだ。

 先週号で小説をまるで書いていない、開店休業状態であることを綴ったと思う。自分でもこれはマズいのではないかと思うようになった。

 作家は職人と同じだ。たえず書いていないと腕が鈍ってしまう。腕と言おうか、勘と言ったらいいかもしれない。フレーズをひとつ書くと、それに続くフレーズが自然と出てくる。そういう時は文章もなめらかでとてもいい感じ。自分でも書いていてとても楽しくなってくるが、もうその勘がとり戻せなくなっているかもしれない。

 そして小説を書かなくなった私に、さらに困った事態が起こっている。本を読むのがとても億劫になってきたのだ。

 私は書くのも早いが読むのもとても早かった。ちょっとでも時間が出来ると、おいしいものをバリバリ咀嚼していくように本を読んでいったものだ。その私が1冊の小説を読むのにとても時間がかかり、途中で放棄するものも何冊か。机の上には読みさしの本が積まれていく。

 これは物書きとしてとてもまずいことだ。

 私は担当の編集者に連絡をとった。 書くぞ、短篇40枚

「今、そちらにあずけている短篇、いくつあるかしら」

「4つあります」

「ずっと塩漬けにしてるのはマズいよね。あといくつ書くと単行本になるかな」

「あと2つもらえれば」

「じゃあ、ゴールデンウィーク中に、必ず40枚の短篇書きます」

「えー! 本当ですか」

 小説誌の編集長からも連絡をもらい、まず掲載が決まった。〆切りは5月の7日。ここまで追い込めば、怠けグセがついた私だってやることになる。

 よって山形新幹線の中にも、資料を持ち込んでいたのだ。本当は原稿を書き始めたいところであるが、生憎と隣に大柄な若い男性が座った。肘かけを占領してスマホゲームを始める。

「どうか外国人でありますように」

 祈るような気持ちになる。異国の方なら、原稿用紙に文字を書いていても、興味を持たないだろう。しかし一瞬メールをするのを見てしまった。日本語であった。残念。原稿書きは3日に持ち越すことにしよう。

 そして当日、チェックインタイムすぐにホテルに向かった。どうせならと都心の一流どころを予約したのである。が、初日はベッドに寝っころがって、持ってきた雑誌を読んだりお昼寝したりと、少しも進まない。

 まだゴールデンウィークは始まったばかりと、次の日は映画を観に行った。なぜか少しも書く気にならない。気がのらない、というよりも物語の世界に入っていけないのだ。

 どうしたらいいんだろう。

 40枚。若い時だったら1日で書けた。今はその体力も気力もないのか。とりあえず腹ごしらえと、ルームサービスでカレーを頼んだ。ここのカレーは5000円するが、ハワイに行ったと思うことにしよう。そして机に向かう。

 散らかっている私の仕事部屋とは大違いだ。清潔でしんとしているホテルの部屋が私は大好き。よく昔はカンヅメで、いろんなホテルに泊まっていたものだ。あれから40年、ずうっと一生懸命やってきたのに、このトシになってまさかのスランプか……。

 しかし習性というのはよくしたもので、原稿用紙に書き始めたら、意外に書けた。いい感じ。

 そして5日の朝には30枚が。もう1泊したいところであるが、東京のホテルも信じられない値段の上がりようで、ここいらが限界だ。そして私は夫の昼食のために、ホテルのテイクアウトを買って帰った。こういうところが、私の中途半端なところである。しかし、いいゴールデンウィークであった。本当に。