夜ふけのなわとび 第1833回 林 真理子 2024/03/08

ウィ・アー・ザ・ワールド

 頼まれて、あるオーケストラの財団の理事をすることになった。

 それならばもっと勉強しなくてはと、本を買った。楽器を操る人(あやつるひと)のことを知りたかったからだ。

 ちょうどいい本が出ていて話題になっている。今、世界でひっぱりだこのピアニスト、藤田真央(ふじた まお、1998年(平成10年)11月28日 - )さんのエッセイ集『指先から旅をする』だ。

 音楽家にも名文家が多いが、この方の文章も非常に面白い。

 フランスのナントでベートーベンを弾いた後はすぐにロンドンへ向かいラフマニノフを演奏する。その後、イスラエルのテルアビブで、藤田さんは、

「生涯忘れ得ぬであろう体験をしたのです」

 ここで演奏したのは、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調(ちょうちょう)K.467。指揮者は藤田さんの意図をよく汲み取ってくれた。そしてイスラエルの管弦楽団は、

「ふわっと優しい極上(ごくじょう)の土台を築き上げ、わたしはその土台にピアノの音をすっと乗せる」

 すると、

「瞬間、鳥肌(とりはだ)が立つほど美しい音楽の磁場(じじょう)が生まれました」

「それはまったく、信じられないほど素晴らしい時間でした。この音にすべてを捧げたい――震えが止まらなくなるような感覚を覚えながら、わたしはそう願っていました」

 これってどういう音楽なのであろうか。私のような門外漢(もんがいかん)にはまるで想像がつかないのであるが、とにかく奇跡のような時間というものが存在しているというのはわかる。そしてそれを体験出来るのはその世界の一流と呼ばれる人たちだけなのだ。私はこういう人が非常に羨しい。そして、そういうコミュニティを持っているのは、たいてい音楽家たちだという気がする。

 Netflixで、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の舞台裏(ぶたいうら)を描いたドキュメンタリーを見た。1985年とあるから、もう40年近く前になるのだ。

 当時皆で、繰り返し繰り返しこのLDを観たものだ。なにしろ当時のトップスター45人が集まり、アフリカの食料危機を救おうと新曲を吹き込むのである。ボランティアイベントの走り(ハシリ)。

 マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが作詞作曲をした「ウィ・アー・ザ・ワールド」。ある年齢以上の人なら口ずさめるに違いない。

 メンバーがすごかった。

 シンディ・ローパー、レイ・チャールズ、ポール・サイモン、ビリー・ジョエル……とても書ききれない。ポップスの黄金時代のスーパースターがずらり。どうしてこんなことが出来るかというと、その日はロスアンゼルスの劇場で、あるアワードの授賞式が行われ、トップアーティストたちがずらり揃っていたのだ。

 一晩かけて録音するのだが、スターたちはちょっとした休憩時間に、バーガーとチキンを食べるくらい。次第に疲れといらだちが募るけれど、それをなだめるライオネル・リッチーが本当にいい人。スティービー・ワンダーは、あの笑顔でピアノを弾き、皆がそのまわりに集まる。

 感動的だったのは、途中、

「この企画を言い出したのはハリーだよ」

 とハリー・ベラフォンテが紹介される。

 すると皆がヒット曲「バナナ・ボート」を歌い出す。一流のプロばかりだから、たちまち見事なコーラスになる。ソロパートも誰かが歌う。ハリーは感動のあまり涙ぐむ……。ワガママな人もいるにはいたが、とにかく皆が力を合わせて録音が終了した。朝になっていた。

 ダイアナ・ロスが泣いていたと証言がある。

「帰りたくない、終わりにしたくない」

 またあるスターはこう言った。

「私はずっと音楽に人生を捧げてきたから、こういうコミュニティに入れるんだわ」

 わかるなぁ、その気持ち。

同じ言語を持つ人たちと

 私はある大スター(だいすたー)の還暦パーティーを思い出す。それはサプライズで、ホテルの大広間(おおひろま)に集まった人たちは、息を殺して(ころして)その方がくるのを待っていた。

 ご本人が現れ、たくさんの拍手。会場の真ん中には小さなステージがもうけられ、バンドが用意されていた。

 その夜、すごいミュージシャンたちが集まっていた。伝説的な大御所から、若手のスターまで。彼らはご本人へのリスペクトに充ちたスピーチをした後、その低い小さなステージで歌う。

 素晴らしい夜だった。そして歌うことの出来ない私は、そこにいた歌手の人たちに嫉妬したのである。私は完全にコミュニティからはずれていた。みんなは音楽で語り、笑い合うことが出来る。同じ言語を持っている人たちというのは本当にいいなあ。

 私たちのまわりで、こういうコミュニティが発生する時があるだろうかと考えた。あるかも。それは文学賞の選考会の時だ。

 仲間の作家たちと作品をめぐってカンカンガクガクやり合う。そしてその後、お酒を飲みに行ったりする。ミュージシャンのような華やかさはないけれども、とにかく自分の力のありったけで論じ合う時である。

 1月の直木賞の選考会は3時間以上もかかり、

「よほどもめたのだろう」

 と心配された。が、ひとつの作品をめぐって、みんな自分の解釈を披露していったら、あっという間に時間がたってしまったというのが真相だ。

 これについて、授賞式の時に選考委員を代表して講評をのべた三浦しをんさんは、

「まるで読書会のような楽しいひとときでした」

 とおっしゃっていた。みんな同じ気持ちだったのだ。

 忘れられない選考会がいくつかある。ある大作家が2人、うちとけて親密な話をしているのを見た時、私の心は喜びで満たされた。「こんな現場にいられる私って、なんて幸せなんだろう……」

 あれは確かに私の「ウィ・アー・ザ・ワールド」。帰りたくない。終って欲しくない。と泣きたくなった元文学少女の私。