林真理子のなわとび 第1832回 2024/03/01

故郷の鮨

 このところ週末は、地方に行くことが増えた。各地の大学の校友会(こうゆうかい)が、総会のシーズンを迎えるからである。そこへ出席して挨拶する。

 近くだと日帰りに、遠いところだと1泊することになるのだが、先日の宮崎は大変だった。プロ野球のキャンプ真っ盛り(まっさかり)で、どこのホテルも満員である。やっと駅近くのビジネスホテルがとれた。

 校友会の若い人たちと夜遅く(よるおそく)まで飲んで、帰ってきたのは12時近い。こういう時、寒々しく狭い部屋というのはちょっと悲しいかも。しかし私には明日、お楽しみが待っているのだ。

 ご存知のように、どこに行ってもまず食べることを考える私。

「宮崎(みたざき)でなにかおいしいものを食べて帰ろうね」

 と秘書と約束していた。

 宮崎出身の漫画家、東村アキコさんに聞いたら、何軒かを紹介してくださった。その中からお鮨屋さんを選んだのだ。ここでお昼に食べるために、帰りの飛行機も1便遅らせた。

 その甲斐あって、とてもおいしいお鮨を堪能できた。堂々たる構えで、カウンターから見えるお庭も立派である。

 1万円のコースを頼んだところ、茶碗蒸しなど料理が3品ついて、7貫握ってくれた。もうお腹がいっぱい。マグロもおいしいし、ちらりと塩をつけたイカも最高であった。

「週刊文春」のお店探訪ページにも紹介したいぐらいである。

 こんな私の鮨好きはかなり知られるようになった。このあいだは、ネットで調べた仙台のお鮨屋さんに行ったところ、

「ハヤシさんって、やっぱり好きなんですね」

 とご主人に言われたぐらいである。

 私が「昔コハダを34個食べた」と言いふらす人が未だにいるが、そんなことはない。24個ぐらいである。行きつけのお店のご主人が勝負をしかけてきて、こちらの好みも聞かず、無言で握り続けたのである。当時「わんこ鮨」と呼ばれて、カウンターの人々を驚かせたものだ。

 が、それも遠い日のこと。今の私はとてもそんな量を食べられない。それに最近のお鮨屋は、ちょっと高級なところになると、どっさりとおつまみが出た後、握りになるからなおさらである。

 以前のように、ちょっとおつまみで切ってもらって、好きなものを7、8貫「つまむ」という行為が出来なくなっているのだ。

 あの、「好きなものを好きなだけ」食べられた時代が懐かしい。

 とても仲のいい女性編集者がいた。彼女のフットワークの軽さは驚くほどで、パリやニューヨークに行く時、

「来ない?」

 と誘うと、軽井沢や箱根に行くような気軽さでついてきてくれる。あるいは2日後ぐらいに現れる。彼女はバイリンガルで、格安の航空券の入手方法を知っていた。そのうえどこにも友だちがいて、ホテル代もかからないのだ。

 私はそれに甘えて、随分彼女をひっぱり出した。申しわけないので、食事代は全て私が出して、おいしいものを食べ歩いた。あたり前だろう、と言われそうであるが、彼女はものすごい大食漢であった。ほっそりとした体型なのに、ケーキだとワンホール食べるし、焼き肉だとお肉の他にご飯を丼で2杯食べる。

山梨県人の成功の証

 その彼女と青森に行ったことがあった。なぜなら彼女が、

「私はお鮨を一度もお腹いっぱい食べたことがない」

 と言ったからだ。

 私はこう提案した。

「あなたの食べる量だと、東京だとちょっとコワいから、青森にしない? 今度青森に講演に行くから、そこのお鮨屋さんに行こう」

 地元の友人に頼んで評判の高いお店を予約してもらった。3人でカウンターの前に座る。いざ、勝負。好きなだけいくらでも食べてね。

 彼女は私と友人が食べ終わった後も、黙々と食べ続け、カウンターのネタを2往復したと記憶している。

「すごいねー」

 と店主は声をあげた。

「こっちのお客さん(私のこと)が食べると思ってたけど違うんだね。すごい食べっぷりだね」

 彼女ともう何年も会っていないが元気でいるだろうか。また会いたいものである。

 そして今も私はお鮨を食べ続けている。

 どうしてこんなにお鮨が好きになったか。それは私が山梨県出身だからだ。

 あまり知られていないことであるが、山梨県は人口比のお鮨屋さんの数が日本一。海がないこともあり、お鮨というのは最高のご馳走なのである。

 そのわりにはおいしいお鮨屋さんがまるでなく、甲府の高級店といわれるところでもガラスケースの中の魚にラップが平気でかかっていたりする。

 そこに出現したのが、私の幼なじみの店。息子さんが銀座の一流店で修業し、三代めとなったのである。たちまち評判となり、遠くからみながやってくる。カウンターで握ってもらうとかなりのお値段となるが、来月予約を5人分入れた。

 実は山梨に日大の附属高があるのであるが、ここは私にとって特別の場所。今から半世紀近く前、大学4年生の私は教育実習をしたのである。教師への夢があったのか、と問われると困るのであるが、若き日の私はけなげで一生懸命であった。終わる時、担当してくれた先生から、

「ハヤシさんは教師に向いてますよ。きっといい先生になりますよ」

 と言われたほどである。

 3月初旬、そこの新校舎が完成し、竣工式がある。セレモニーに出席した後、秘書や他の職員たちとここで早い夕食をとる予定だ。もちろん私のゴチ。

 故郷に錦、とは言わないが、故郷の鮨。

「みなさん、いっぱい食べてね」

 人にお鮨をご馳走するのは、山梨県人にとって成功の証である。