夜ふけのなわとび 第1826回 林 真理子 2024/01/19
篠山さんのこと
篠山 紀信(しのやま きしん、1940年〈昭和15年〉12月3日 - 2024年〈令和6年〉1月4日)は、日本の写真家。東京市淀橋区柏木(現:東京都新宿区北新宿)出身。本名は紀信(みちのぶ)。
篠山紀信さんが亡くなられたことは、かなりショックだった。
最後にお会いしたのは、おととしの6月。日大理事長の公式写真を撮っていただいたのだ。
「お祝いだからお金はいらないよ」
とまで言ってくださった。
篠山さんも日大芸術学部OBである。昨年のことで、がっかりさせたのではないかと非常につらい。
思えば、要所要所(ようしょようしょでいろいろ撮っていただいている。作家でいえば、瀬戸内寂聴((せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉11月9日))さんの次ぐらいはいったのではなかろうか。
結婚式の時だって、ウェディングドレス姿の私を夫と一緒に撮影してくださった。この時は面白がって、わざわざ写真館と同じような台紙(だいし)をつくってくださったのである。
その後、「婦人公論」の表紙になった時は、ちょうど妊娠中であった。
「マリアのイメージでいこう」
と、ぽっこり大きなお腹の写真もパチリ。小説誌の「作家の仕事場」シリーズで、お会いしたのが最初であったか。
親しくさせていただいていたのは、やはり90年代だと思う。あの「Santa Fe」が社会現象になった時だ。これにはちょっとしたエピソードがある。
あるファッション誌の編集者と食事をしていた時、彼がこんなことを言った。
「このあいだ篠山さんとお酒飲んだら、ポロッとこんなことを言ったんだよ。近々、とんでもないスターのヌード写真集が出るよって」
「とんでもないスターって誰だろう」
「吉永小百合さんかな」
「違うんじゃない」
私たちはいろいろ推理した。そして「とんでもないスター」というのは、今をときめく宮沢りえさんではないか、という結論になった。現在宮沢りえさんは日本を代表する大女優であるが、80年代の終わりはトップアイドルであり、愛くるしく清純な笑顔をテレビで見ない日はなかった。
噂というのはこういう風に拡がるのだと思うのだが、2日後、週刊文春の担当者に会った私は、こっそり告げた。
「篠山紀信さんが、宮沢りえちゃんのヌード写真集出すみたいだよ」
「えー、本当ですか!?」
彼は半信半疑でデスクに告げた。そして、
「ハヤシさん、デスクに話したら怒鳴られましたよ、宮沢りえが脱ぐわけないだろ、バカヤロー!って」
スクープを教えてあげたのに、世間はそんなものだったのである。それにしても私もまだ若くて口が軽くてすみませんでした。
それなのに篠山さんは発売直前に、「Santa Fe」を送ってくださったのである。しかもサイン付きで。
もちろん世間は大騒ぎ。本屋さんはどこも売り切れ。いろいろなところから、
「ハヤシさんなら持ってるでしょ。ちょっと拝借」
「コメント求められてるから、ちらっとでも見たい」
と求められ、いろんなところにお貸しし、その後行方不明になった。今となっては残念でたまらない。 唯一無二の写真集
当時、映画や写真でヘアを写すことは許されなかったのであるが、篠山さんは果敢にこのタブーに挑戦していく。ベストセラーの写真集を次々と出し、既成事実として承認させていくのである。これひとつ取っても、篠山さんは歴史に残る人なのだ。
しかしあまりにも「ヘアヌード」「ヘアヌード」と言われることに、ちょっと嫌気がさしてきたのではないか。嫌気がさすと、ふつうの人ならやめてしまうのであるが、何か別の面白いことで見返してやれと考えるのが、篠山さんのすごいところである。
そんな最中、新幹線に乗っていたら前の席に見憶えのあるもしゃもしゃ頭が、のぞいていた。挨拶にいったら、
「ちょっといい?」
と隣の席に移ってこられた。そしてこんなことを延々と話されたのだ。
「ヘアヌード、ヘアヌードってあんまり言われるから、今度ヘアだけの写真集を出そうと思ってるんだ。ヘアだけでもこんなにエロティックだってことを知らせたいよ」
「へえー、面白そうですねー」
あいづちをうちながらも、私は気が気ではない。なにしろ話題の中心人物が、かなり大きな声で「ヘア、ヘア」と言っているのだ。まわりがいっせいに聞き耳をたてているのがわかる。
「それでさ、ハヤシさんにその写真集にエッセイ書いてほしいんだけどよろしくね」
「わかりました」
書きました。女性の下半身だけの写真集なんて、後にも先にもあれだけだろう。
その頃、なぜかカトリーヌ・ドヌーブと対談する仕事があった。当時私は歯列矯正をしていて、世界的大女優は、
「この女、なんなの?」
という表情を隠さなかった。写真は篠山さんである。篠山さんはいつものようにひょうひょうとシャッターを押し、ポラロイドを見せた。するとじっと見ていたドヌーブさんは、
「今度日本に来る時連絡するから、あなたの電話番号を教えて」
と言ったのだ。さすが大物同士は通じるものがあるのだと感じ入った。
それからは撮っていただく機会も減り、3年前、菊池寛賞の授賞式でご一緒した。長年にわたって活躍する人に贈られる大きな賞を、篠山さんといただくのは恐縮でもあり喜びでもあった。
相変わらずもしゃもしゃ頭で、ユーモアに富んだスピーチをする篠山さん。ずーっとずーっとあのまま存在する方だと思っていた。
あの楽しく刺激的な80年代、90年代は遠いものになり、本当につまらない嫌な時代になった。人々は保守的になり、目立ったり、面白いことをしようものならネットで襲いかかられる。篠山さんもあの時代ももう戻ってこないと思うと、深い深い喪失感だけが私をおおう。