夜ふけのなわとび 第1825回 林 真理子 2024/01/11
自慢ですが
あけましておめでとうございます。
この原稿が正真正銘、今年初めて書くものだ。
新年そうそう、私はかなり意地の悪いことをやった。それは雑誌やYouTubeを、手当たり次第に調べたのだ。
なにしろ、新年すぐのことだから、暮れの占いのものはいっぱいあった。そしてどれも、この元日と2日に起こった大災害について触れていないのだ。
「人との絆がさらに求められます」
「辰年(たつどし)ですから、風に関することが出てきます」
とか当たり障り(あたりさわり、影響のないことばかり。
私はもう、占いなどというものを信じないことにした。新年そうそうのこの大災害を予言出来ない占い師って何なんだろう。
この真冬に、多くの人が避難所で寒さと飢えに震えていると聞いて、気が気ではない。道が通れず、支援物資(しえんぶっし)がうまく運べないとか、孤立している集落もあるとかで、テレビを見ていると、地団駄を踏みたい(じだんだふみた)ような気分になってくる。
1月1日、地震の直後はまだその全貌がよく見えていなかった。途中からバラエティ番組に切り替えた局もある。私はそれもいいと思う。それぞれの考え方があるのだし、全部が全部右へ倣え(みぎへならえ)、ということもない。“不謹慎狩り”はもうやめにしよう。
「不謹慎狩り(ふきんしんがり)」とは、災害が発生して大きな被害が出たとき・著名な方が亡くなったときなどに、ソーシャルメディアの企業公式アカウントや著名人アカウントによる、その事象とは無関係な発言を、一般ユーザーが「不謹慎だ!」と揚げ足を取り、炎上・拡大する現象を指します。
そして日本テレビは絶対に、途中から通常の番組に戻すだろうと思ったらやはりそうだった。マツコの「月曜から夜ふかし元日SP」は私も見たが、たぶん翌日の箱根駅伝の“試金石(しきんせき)”だったに違いない。なにしろ箱根駅伝は26パーセント以上の視聴率をとる番組なのだ。中止というわけにはいかなかっただろう。
青山学院大の原晋監督(はら すすむ かんとく)もそのことはちゃんと心得ていて、往路優勝の表彰式で、まず被害に遭った方々への見舞い、そしてこんな中でも開催してくれた関係者へのお礼の言葉も口にした。とても感じがよかった。
その駅伝であるが、2日も3日ももちろん応援しに行った。なにしろ日大が4年ぶりに出場するのだから。
実はゴール姿を見ようと、大手町(おおてまち)¥に行ったのは初めてではない。私は駅伝が大好きで、友人たちと応援タオルを持って何度か出かけたものだ。が、大手町の地下鉄の駅を出るとものすごい人で、背伸びしながらやっと選手たちを見た。想像以上にすごいスピードで、あっという間に通り過ぎていく。
今回わかったのであるが、出場校は応援の場所を割り振られていて(わりふられていて)、そこにOB、OG、関係者が集まるのである。朝の7時半に行ってみるともうブラバンやチアリーダーが出ていて、それぞれパフォーマンスをやっている。隣は中央大学であるが、ここもとてもにぎやか。
「皆さん、お疲れさまです」
と声をかけた。
「みんな、誰だかわかるよねー」
と部長が言ったが、みんなもじもじ(遠慮したり恥ずかしがったりして〕。
「そうだよねー。いつも怖い顔して謝ってばかりだもんねー」
それでも一緒に校歌を歌ったり、手拍子(てびょうし)をとったりしているうちに、学生もなれてきて、
「ハヤシさん、写真一緒に撮って」
「ハヤシさん、ここ、よく見えるよ」
と声をかけてくれる。スタートの時は団子状態でよく見えなかったが、ゴールする時は、選手ひとりひとりがくっきりわかる。と言っても、やはりものすごい速さであるが。
今日の私たちの陣地の隣は、道路ひとつはさんで青山学院。ものすごい人だかりである。私たちもあんな風になりたいと心から思う。
走ろうと思えば
そしてその青学であるが、余裕を持って1位到着。しかしなかなか駒澤大学(こまざわだいがく)がやってこない。今年は優勝確実と言われていたのに驚きだ。
やがて騒がしくなり、白バイがやってきた。駒澤の選手に私たちもみんな声援をおくる。駅伝のいいところは、他校の学生でも、前を通ったら精いっぱいの応援をするということ。それにたいていの大学は、何らかの縁があるのだ。
もう亡くなった父や叔父、従兄たちの母校が出場している。ガンバレ!と、目の前を走る選手に声をかけていくと、彼らの顔が浮かんでくる。叔父も従兄もあの時代、山梨から東京へ進学させてもらい幸せな学校生活をおくったんだろうなあと思いたい。
そんなことをしているうちに、いよいよ日大が近づいてきた。
「ハヤシさん、“リューヘイ、詰めるよ”って叫んでくださいね」
隣でピンクののぼりを持っているチアリーダーのコが言う。アンカーの選手が、リューヘイというのだ。
「わかった、“リューヘイ、詰めるよ”だね」
皆で叫んだが、学生とは声のトーンがまるで違う。若いというのは、声がこういうことなんだ。
そしてわが日大は、15位と善戦した。予選会から勝ちあがって、新しい監督の下、頑張ったのだ。走る選手を見ていると、目頭(めがしら)が熱くなってくる。
さて、2024年はどんな年になるのだろうか。私個人に関しては、あまりいいことがないかも。その理由を書いていくと愚痴になるから言いませんが、昨年は小説を全くといっていいほど書かなかった。小説の連載はひとつもなく、このエッセイとananのコラムぐらいしか書いていないのだが、それでも「二足のワラジ」とか叩かれ、すっかり嫌になってしまった。毎日朝から夕方まで日大にいるのだから、小説など書けるはずもない。
小説誌に短篇を書く約束も、3度ぐらいキャンセルした。
「それでは2月号に、20枚でいいですから」
というので冬休みに入ってから書き始めたら、なぜかすらすら書けて、あっという間に40枚。休んでいても、走ろうと思えば走れるのだ。これは嬉しかったなあ。愚痴から自慢となりましたが、今年もよろしく。