夜ふけのなわとび 第1866回  林 真理子 2024/11/22

文藝手帖、お前もか

 今日はショックなことがあった。

 毎年11月になると送られてきた、文藝春秋の「文藝手帖」。これが今年でなくなるそうだ。

「戦前より発行してきた当手帖ですが、誠に勝手ながらこの2025年版をもちまして、発行を終了することとなりました。

 長年にわたり、日々の供としてご愛用くださりまことにありがとうございました」

 そう書かれた紙がはさまっていた。本当に長年愛用してきたのに……。最近はスマホのタイムツリーと併用していたが、あちらは老眼の目につらい。

「やっぱり文藝手帖だわ」

 業界の人、たとえば他の出版社の人とスケジュールを確認し合う時も、みんなこれを取り出した。文藝春秋から毎年これを送ってもらうのは、ちゃんとした業界人の証。

 後ろの方には寄稿家住所録もあって、これに載るのはちゃんとした物書きの証。初めて名前と住所が記された時は嬉しかったなあ。

 が、最近はプライバシーの問題で、住所や電話番号を載せない人が多くなった。Eメールだけの人もいる。

 それにしても寂しい。手にとるとこの2025年版は、モスグリーンの落ち着いた色。この手帖をいただくようになってから、もう40年近くになるだろうか。若い時のスケジュール欄は、それこそ真黒になっていたはず。長く線を引いてあるのは海外旅行に出かける時だ。

 今も棚にずらーっと保管されている文藝手帖。毎年1月5日か6日が、週刊誌の初めての〆切りとなり、そこに秘書が「初荷」と書いていたっけ。

 この頃は雑誌の休刊も相つぎ、ずっとそこにあるものと信じていたものがひとつずつ消えていく。そしてついにこの文藝手帖もか。

 もうひとつ、私にとってつらいことがあった。それはおとといのこと。久しぶりにカットとカラーリングに出かけた時のことだ。そうしたらそこのオーナーに、

「もうセミリタイアすることにしました」

 と宣言されたのだ。

 青山の大きなサロンは閉めて、銀座のレンタルスペースで、決まったお客さんだけ相手にするそうだ。

「もう年だし、そろそろ限界かなあって」

「そんなこと言わないでくださいよ」

 私は叫んだ。

「ついこのあいだ、クリエイターとして、やってけるところまでやっていく、っておっしゃってましたよ」

 海外のショーでも、作品を発表する実力者なのだ。

「でもね、体力もなくなったしね。でも来年のハヤシさんの大学の卒業式と入学式は、ちゃんとやらせてもらうから」

 いつもヘアメイクをお願いしていた。着物に似合う華やかなスタイルやアップは、若い人にはなかなか出来ない。早々と日を押さえていたのである。

 セミリタイアと口にしたオーナーが、急にフケたようですっかり寂しくなってしまった。70過ぎてもおしゃれな人だったのに。

消えゆく記憶  しかし希望はある。先週のことである。漫画家の弘兼憲史さんの「画業50周年記念パーティー」に出かけたのだ。

 ホテルに200人ぐらいの人が集まっていた。発起人のスピーチが終わり、私は奥さんの柴門ふみさんを探した。すると前の方で、皿を持ち、早くも料理を食べ始めている女性の姿が目に入った。

「まさかね」

 近づいていったら、やっぱり彼女だった。

「サイモンさんたら……」

 思わず言った。

「ふつうこういう時、奥さんは着物着て、微笑んで主役の旦那さんの傍に立つもんじゃないの?!」

「あら、そうなの」

「でも、そういうところが大好きだよ」

 弘兼さんは政界を舞台にした「加治隆介の議」という作品も書いているので、ファンのえらい政治家も何人もいらしていた。が、サイモンさんは「我関せず」で、おいしそうにビュッフェを食べている。

 ご夫妻に初めて会ったのは、私がデビューしてすぐの頃。お二人もまだ若かった。その頃住んでいらした石神井のマンションで、麻雀をしたこともある。サイモンさんとは、バブルの東京を共に過ごした。お二人のすごいところは、どんなに有名になっても、どんなにお金持ちになってもまるで変わらないところ。外見もそんなに変化がないから嬉しい。

 サイモンさんは、おいしそうにオードブルを頬ばりながら、

「ねえ、ねえ、〇〇さんが結婚したって本当?」

 なんて聞いてくる。気取りのなさは昔のまんま。

 そして変わらないといえば、来賓でスピーチをされたちばてつや先生もすごい。85歳の文化勲章受章者は、背筋がぴしっと伸び声にも張りがある。長身でカッコいい。私は先生の少女漫画で育った世代だ。その後は「ちかいの魔球」「ハリスの旋風かぜ」といく。漫画と読者との関係というのは極めて濃密である。生きてきた時代をきっかりと彩色してくれているのである。あの時読んだ漫画の一コマが、人生と重なっているのだ。

 だから漫画家の方たちは、いつまでも長生きして、元気でいてくださらなければ困る。水野英子先生が、時々お元気な姿を見せてくださるのがどれだけ嬉しいか。「ファイヤー!」「白いトロイカ」、むさぼり読んだ少女漫画が次々と浮かぶ。

 繰り返しになるが、ずーっと存在していると思っていたものや、人がいなくなるのは本当に悲しい。楳図かずお先生は早過ぎた。ものすごくフケたり、ボケたりされるのもイヤ。憧れの記憶に関して、人はものすごくエゴイストである。

 ところで神宮外苑のイチョウ並木の伐採が早くも始まっているが、本気なんだろうか。記憶を壊す作業だ。