林真理子 夜ふけのなわとび 第1862回 2024/10/25
オバさんは思う
「マリコさんのエッセイって、この頃オバさんっぽいね」
突然こう言ったのは、本誌でもおなじみの、サイバーエージェント社長の藤田晋(ふじた すすむ) さんである。
ショックだった。
藤田さんといえば、IT産業の頂点を極めたお一人であるが、アクの強さがまるでない、いつもはにかんだ風の、もの静かな方である。
年に何回かおめにかかるが、その夜の食事は、日本橋室町のスペイン料理であった。赤と白のとてもいいワインを持ち込んでくださり、食事もご馳走してくださったが、藤田さんのエッセイによると、
「飲食費は会社の接待費ではなく、必ず自分のお金で払う」
とか。いつもすみません。
やさしくてお金持ちでイケメンと、私の「男性ベスト3」に入るその藤田さんから、
「オバさんっぽい」
と言われて、思わず「ひどい!」と叫んでしまった。
「オバさんどころか、バアさんなんだから仕方ないじゃないですか」
「いや、オバさんっぽいところがいいのかなあって思ったんです」
なんでもご自分がエッセイを書くにあたり、読者の年齢層を考えているとのこと。確かに「週刊文春」の読者の方は、やや年齢層が上であるが、だからといってオバさんっぽくていいわけではない。
それなら今週から、うんと若づくりにしようかな。えーと、若いネタって何だろう。私は「週刊文春」ともう一つ、女性誌の「anan」にもエッセイを連載しているのであるが、こちらはたいてい美容とおしゃれ、ダイエットについて書くようにしている。
中身にも気をつけていて、このあいだは「眼瞼下垂(がんけんかすい)」について書いたが、若い読者にはふさわしくなかったのではないかと反省した。それよりヒアルロン酸について書いた方がよかったかも。
それで「週刊文春」でもとにかく若々しくね。はい、わかりました。最新ネタ、韓国ミュージカルについてとか書こうかな。いや、それは私ではなく友人たちが行ってきたのだ。彼女たちは“推し”があるからものすごく若い。
私の推しといえば、日曜日久しぶりに歌舞伎に出かけた。半年ぶりくらいだろうか。私は毎月必ずチケットを買っているのであるが、自分で行けたためしがない。直前に用事が入るので、秘書とか編集者にあげてしまう。が、その日は珍しく何もなくて、近所のママ友と出かけたのだ。
歌舞伎のいいところは、見ているうちにリラックス出来るところ。私はオペラも大好きだが、あっちは体も心もかなり緊張してしまう。もしウトウトとしたらどうしようかと、全く気が抜けない。しかし歌舞伎は違う。あの三味線の音と唄声(うたごえ)、昔からのセリフまわしは、人間の心を心地よく癒してくれるのだ。感動もじわっと(slowly but steadily)きて、すとんと奥の方に落ちていく。その気持ちいいこと。
「歌舞伎って、こんなに面白かったっけ」
夜の部も必ず見なくてはと思った。玉さまと仁左衛門さんとの「婦おんな系けい図ず」。以前あの有名な、
「切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ」
を生で聞きたくて、新派の舞台を見に行ったっけ。今度は玉さまのあのセリフを聞きたいと思ったのであるが、夜は完売であった。残念……。
ついに時が来た……
ふーむ、やっぱり話題はオバさんっぽくなっていくな。それならばもう、居直って、本当のオバさんネタを書こう。
「10月1日から本部のペーパーレス化を実施。これから決裁もパソコンで行う」
という連絡を聞いた時、私はついに来るべきものが来たかと思った。
私はパソコンが苦手。というよりもあまり触れることがない。
私の原稿がすべて手書きというのは、ご存知だと思う。その方がはるかに早いからである。パソコンで打とうと、何度かチャレンジしたが、自分の頭の中に浮かんだ言葉を、変換することにどうしても慣れない。
私の場合、それよりも頭と手を直結(ちょっけつ)させて、腕の赴く(おもむく)ままに書いた方がはるかにスピーディーで、いいものが書けるような気がする。そんなわけで、Zoomはタブレットでやるし、たいていのことはスマホですませる。
原稿を書かなければ、パソコンを使う機会はほとんどないのだ。
しかし私のそんなアナクロなスタイルは、もう許されなくなった。仕方ない。パソコンやりましょう。しかしオタオタするところを人に見られたくない。
昔読んだミステリーを思い出した。お屋敷に勤めるメイドは、文字の読み書きが出来ない。子どもの頃に教育を受けなかったからだ。彼女はそのことを必死で隠そうとするのだが、バレるのを怖れるあまり殺人を重ねていく……。
私は秘書のセトに言った。
「うちに使ってないパソコンあったよね」
「1台は廃棄し、1台は私が使ってます」
「じゃあ、うんと安いのを1台買ってきて」
そうしたら5万円のを手に入れてくれた。毎朝15分、出勤前に特訓。
そしてついに10月1日がやってきた。目の前に大きく真新しいパソコンが置かれる。
「さっそくこれで決裁してください」
担当の職員2人が私の傍に立った。
「見てませんから、早くご自分のパスワード入れてください」
入れた。しかしログインできない。緊張して手がすべるのだ。5回めに成功して、やっと決裁書類にたどりついた。今は何とか普通に出来る。
今日はワードで手紙を書いた。お礼状をいつも職員に頼むのであるが、忙しいとあまりいい顔をされない。そんな時は私が手書きで書いてきた。今日からはパソコンで私が書く。しかしものすごく時間がかかる。
世間の人って、本当にみんなこんなことしてるんでしょうか、とオバさんは不思議で仕方ない。