夜ふけのなわとび 第1858回  林 真理子 2024/09/27

ナマステ!

「今日、午後から渋谷の年金事務所に行ってまいります」

 朝、秘書のセトが言った。

「えー、年金事務所?」

「ハヤシさん、忘れたんですか。来月から年金もらうのー、ってこのあいだ言ってたんですよ」

 そうだった。本来は65歳からもらえる年金であるが、70歳まで我慢すると支給額が増える。そんなわけで今年まで待っていた。さらに税理士さんに言われた。

「75歳まで待てば、さらにぐっとアップしますよ」

 それもそうだと一度は思ったのであるが、2ヶ月ぐらい前に考えが変わった。

「人間なんて何が起こるかわからない。年金長いこと、ずーっと払い続けて一円ももらわないのは残念だよ。私、もう今年からもらうことにする」

 しかしふと考える。秘書に聞いた。

「あのさ、75歳からもらうとすると、いったいいくらもらえるの」

「ちょっとお待ちください」

 秘書がパソコンで調べてくれる。

「これだけ上がります」

「ふぅーむ」

 かなりの差である。迷い始める。

「75まで元気で働けると思うけど、その保証は何もないよ。もし病気になったらどうしよう」

「その時はその時です」

 若いのにしっかりしている。

「私はハヤシさん、このままずーっとお元気でお仕事出来ると確信してます。ハヤシさん、見た目もすごく若いですし」

 お世辞もちゃんと言ってくれる。

「私、ハヤシさんが年寄りっぽくなるのイヤなんです。年金もらうと、やっぱり気持ちの上で『年金暮らし』ということになるんじゃないでしょうか。だったらもう少し延ばした方がいいです」

 ということで、年金はもらわないことにした。

 しかしこのトシになっても、ちゃんと働ける、ということは本当に幸せなことである。

 私が毎日行く日大本部でも、私と同じぐらいの年齢で働いている人がいる。清掃の男性で、エレベーターや廊下でしょっちゅうすれ違う。大きなワゴンを難なく押していく姿に、勝手にシンパシーを感じ、

「おはようございます」

 いつも大声で挨拶する私である。

 ところが今朝、その男性がいない。どうしたのだろうかとあたりを見わたしたら、すごく美しい女性が2人。褐色の肌、彫りの深い顔立ち。清掃のユニフォームを着ている。

「どちらのお国の方かしら」

「私たちはネパールです」

「ネパール!」

 何という縁であろうか。

「私、カトマンズに行ったことあるわよ」

「私たちカトマンズから来ました」

「それからね、私、ネパールの観光親善大使だったのよ」

「シンゼン? 何をするんですか」

「シンゼンっていうのはね、日本とネパールがもっと仲よくするために尽くす、っていうこと。これからよろしくね」

 部屋に戻り、職員の男性に言った。

「今、そこでネパールの女性に会ったよ。今日から清掃が代わるらしい」

「そうですか……」

「あのね、私、ネパール観光親善大使だったんだよ」

「ええ!」

 いつも私の話に食いつきが悪い彼が大きな声を出す。

「そんなことまでやってたとは!!」

「これには長いストーリイがあって、本学と関係しているんだよ」

 私は語り出す。このことはもう既に、本ページで書いていたと思うがお許しいただきたい。珍しく私の話に驚き、しっかり聞いてくれる彼が嬉しくて語り出す。

「西郷どん」とネパール  あれは2017年、書店のサイン会に行った私は、一人の綺麗な若い女性から手紙をもらった。『西郷せごどん!』のサイン会だ。

「はじめまして。私はハヤシさんの大ファンで西郷真悠子と申します。名前でおわかりのとおり、西郷隆盛の弟、西郷従道の玄孫です。そして日大芸術学部演劇学科在学中のハヤシさんの後輩です。私をなんとか大河ドラマ『西郷どん』に出していただけないでしょうか」

 到底無理かと思ったが、一応脚本家の中園ミホさんに相談したら、

「あら、いいんじゃない、話題にもなるし。でもオーディションに受からないと、NHKは出られないよ」

 彼女に伝えたところ、頑張ってオーディションに挑戦し受かった。そして最初の回、従道の娘役で、チラッと出たのである。

 その後も彼女とのつき合いは続き、ご両親ともおめにかかった。農水省の官僚だったお父さまが、ネパール大使になられたのは6年前のこと。遊びに来てください、と言われたが、まあ忘れかけていたある日、たまたま建築家の隈研吾さんと食事をしていた。その時、彼からこんな提案が。

「西郷大使、僕も知ってるから一緒にネパール行こうよ」

 あら、いいわね、と一緒にいた中国人実業家ラーさん、リーさん夫妻もご一家で行くことになった。そうなると中園ミホさんも誘い、やがて9人のツアーとなったのである。

 大使がいろいろ心を砕いてくださり、ネパール旅行は実に楽しかった。その時大使に頼まれ、私はネパール観光親善大使就任を承諾し、あちらのえらい人にも会った。いろいろなイベントに出てほしい、と言われていたのであるが、コロナのせいで何もないまま今日に至る。

 優しいお人柄で、皆から慕われていた西郷大使が病いに倒れ、お葬式にうかがったのは最近のこと。

「でもね、ネパールと私の結びつきはずっとあったの。そして日大とも関係があったのよ」

「リジチョーの交友関係って、めちゃくちゃ広いと思ってたけど、それは偶然がいくつも重なってるんですね」

 初めてといっていいくらい感嘆のまなざし。

「そうだよ、年寄りの話はちゃんと聞くと面白いでしょ」

 私は言った。