夜ふけのなわとび 第1855回 林 真理子 2024/08/30
懐かしのテニスコート
軽井沢(かるいざわ)に出かけた。
ここに滞在するのは2年ぶりである。昨年の夏は不祥事により(しつこいな)、毎日大学本部に詰めていて1日も夏休みがなかったからだ。
昭和30年代に建てられた、平屋(ひらや)の古い家であるが、ところどころ手を入れている。あれはここを買ってすぐの頃、編集者6人ぐらいとバーベキューをしていた。その最中、椅子の脚が、ベランダの穴にすっぽり入り、私は大音響と共にそのまま倒れてしまったのである。もしかしたら大けがするところであったが、なぜかすぐに起き上がった。何ともなかった。酔っていたのがよかったのかもしれない。
しかしお客さんに何かあったら大変と、ベランダをつくり替えた。ちょうどわが家の中庭(なかにわ)の床(板)もボロボロになりすべてとり替え、あの年の出費の大変さを今も憶えている。
私の友人で大富豪の息子がいるが、彼はお父さんから常々(つねつね)言われたそうだ。
「別荘(べっそう)と二号(にごう)は、金と手間がかかるから持ってはいけない」
確かにそのとおりである。しかも私はこの家をほとんど利用していないのだ。
「そのうち、年とったらひと夏すごそう」
と考えていたのであるが、年とってますます忙しくなった。
そのうえ、怖がりの私は1人でこのうちにいることが出来ない。姪(めい)など、5日間ひとりでいて、
「全然どうってことなかったよ」
と言うが私には無理。このあたりは夜になると真暗になる。後ろに古い別荘があったのだが、それが去年とり壊されている。誰かがやってきたら、もしかして熊が! などと考えるととても1人で眠れない。
いつもは姪と一緒に行くのであるが、彼女は仕事があり途中で帰るという。私は友だちにSOSを出した。
「1泊でいいから来てくれない」
こうして近所のママ友とか、仲よしの女友達(おんあともだち)が来てくれたのであるが、ここで大問題が。
今年の軽井沢はものすごい人出(ひとで、croud)で、飲食店がどこも満員なのだ。私は1週間前にあちこち電話したのであるが、
「お盆中は席がありません」
冷たく断わられた。遠くのおそば屋にでも行こうと考えても、タクシーを呼ぶことも出来ない。
私はあれこれ考えた。たまたま来てくれた管理人さんに頼んで、駅に行ってもらい友人をピックアップ、そのまま駅に近いスーパーに行き、とにかく食材を買い込む。
ちなみに軽井沢の人気のスーパー「ツルヤ」は、多くの人が殺到し、道路が大渋滞だというのである。比較的空いているスーパーに向かったのであるが、ここも駐車するのがひと苦労(くろう)だ。
だがせっかく来てくれたママ友に、1回ぐらいは外でおいしい食事を、と考え、オープンしたばかりの東京の出張店(しゅっちょうてん)に頼み込み、何とか早い時間に席をつくってもらったりした。
こんな時、天使のように現れたのがジュンコさんである。彼女は某有名(ぼうゆうめい)中華料理店(ちゅうかりょうりてん)のオーナー夫人。なんと食材とエプロン持参である。
「軽井沢は“レストラン難民”続出と聞いていたので、全部私がつくるわ」
ということで、極上のシャトーブリアンを持ってきてくれた。愛用の肉専用のフライパンと共に。そしてうちの冷蔵庫の中の野菜をつかってサラダをつくり、東京から持ってきた手づくりの副菜をテーブルに並べてくれた。
「さあ、召し上がれ」
有難くて涙が出そう。彼女が言うには、友だちの別荘に“出張料理人”としてよく出かけるが、これほど使いやすい台所は初めてという。あたり前だ。この家は料理研究家の友人から譲ってもらったもの。別荘とは思えない広さに、オーブン、食器類も全部そのままにしておいてくれたのだ。
脱走事件
さてジュンコさんは車で来てくれたので、次の日から遠出することも出来る。私が向かったのは、南ヶ丘(みなみがおか)。ここに日本大学軽井沢研修所があるのだ。
実はここ、私にとって思い出の地である。今から半世紀以上前、テニス部の部員だった私はここで合宿(がっしゅく)をしたのだ。森の中の道を、かけ声をかけながら走っていく18歳の私。真白いスコート(short skirt for playing tennis)をはいていた。今となれば楽しい思い出ばかりなのであるが、ここで大事件が起こった。
上級生の横暴(おうぼう)がいくらでも許された時代。ガクラン(boy's school uniform)を着た怖い先輩がいて、態度が悪いと、1年生の男子を平気で殴った(なぐった)のである。これに腹を立てた1年生男子が、集団で合宿所(がっしゅくしょ)を脱走した。当然大騒ぎになるのであるが、彼らはせっかく来たのだからと、その後、しっかり観光したようである。鬼押出しや浅間山の方まで行き、楽しそうな写真を撮っていて、それが合宿の記録写真と混じってまたひと悶着(もんちゃく)起こった。写真学科の1年生が写真係だったので仕方ない。
写真係の彼は後に高名なカメラマンになり、アメリカ・ロサンゼルスで再会した。彼は脱走事件のことを憶えているだろうか。
さて研修所は、1万坪の敷地に立つ立派な建物。私の知っている木造の平屋は跡形もない(あとかたもない)。中を見学させてもらったが、大浴場やラウンジもあり、素晴らしい施設である。
ちょうど柔道部の学生が、練習を終えて近くの道場(どうじょう)から帰ってくるところであった。
「コンニチハー!」
見知らぬ(たぶん)おばさんが2人そこに立っていてもちゃんと挨拶するいい子たち。この日のランチは、ミートソースパスタとアメリカンドッグ。どちらも食べ放題だそうだ。
「ぜひ食べていってください」
と言われたのであるが、学生の食べものをいただくわけにはいかない。緑に囲まれた研修所を失礼する。懐かしのテニスコートを見ながら。
半世紀前、ランニングでいちばんビリ(last)を走っていた女の子が、理事長になってここに来るなんて、いったい誰が想像しただろう。