夜ふけのなわとび 第1848回 2024/07/05

労災はありません

 私のトシだと、たいていの友人、知人に孫がいる。

 孫は本当に可愛いものらしい。仲よしのある男性は、待望の孫が出来て大喜び(だいよろこび)。そのコの姿をLINEのスタンプにしている。

「OK」

 の返事に、幼児が手を拡げている写真が送られてくるのはなかなか微笑ましい(ほおえましい)。彼がやり手のビジネスマンなのでなおさらだ。

 若くてキレイで、現役バリバリ感のある女性が、

「私、実はおばあちゃんなんです」

 とカミングアウトして、こちらはびっくりすることもある。彼女が孫と遊んでいる姿など全く想像も出来ないからだ。

 昨日のことである。日大の湘南キャンパスに出かけた。ここは東京ドーム12個分の広大な土地に、小学校から大学院まである。昨日はそこの小学校を視察したのだ。その後、車で1時間ほど離れた日吉にある附属の中高にも行き、頼まれて短い講演もした。

 湘南では小学生が可愛くて可愛くて、つい調子にのって一緒に遊んだ。中高でも張りきって、皆と写真を撮ったりした。そうしてたら夜疲れ過ぎて、バッタリベッドに倒れ込んでしまった。

 化粧も落とさず、目を覚ましたのが午前2時。その後お風呂に入ったのであるが、前にもお話ししたとおり、

「ここで心臓マヒで死んでしまったらどうしよう」

 という不安が残る。

 この頃土日も学校の行事に行くことが多い。

「バアさん、若い学長についてくので精いっぱいだよ」

 とついグチをもらしたら、

「ちなみに役員は労災はありません」

 ときっぱり言われた。あら、そうなの。そんなの初めて聞いた。

 ところで全く話は変わるようであるが、先日両陛下がイギリス・ロンドンを訪問された。私がかつて失礼なことをしたチャールズ国王(詳しくは昨年9月7日号のこのエッセイを参照されたい)が、貫禄あるキングになられているのは感慨深い。そしてカミラ妃も最初から奥さんだったような雰囲気。みんなダイアナ妃のことを忘れているのではないか。

 それはいいとして、馬車でのパレードの時、雅子さまがマスクで顔を覆っていらっしゃるのに、驚いた人々は多いに違いない。どうしてこんなことに、という私らの疑問に応えるように、すぐにニュースのアナウンサーは続ける。

「雅子さまは、馬アレルギーのため、マスクをおつけになっています」

 そうだったのかとわかったものの釈然としない。沿道に並ぶロンドンの人たちも不思議に思っただろう。わが日本国民自慢の、美しく聡明な皇后さまを見てもらいたかった。オックスフォードに留学していらっしゃるのだ。それなのに白いマスクでお顔が見えない。もし馬アレルギーがわかっていたのなら、オープンカーにしてもよかったのではないか……。

もっと学生と接したい  などと考えていたら、馬術部に行ってみたくなった。日大馬術部の寮は、湘南キャンパスの近くにあるので、昨日帰りしな寄ってもらった。

 実はここの寮の看板を、私が書いているのである。墨で黒々と書いた看板がちゃんとかけられていたが、陽の中で見たらやっぱりヘタだった……。

 それはともかくこの寮は、馬場も厩舎もついていてかなりの広さだ。馬はなんと36頭いる。いきなり訪れたら、当然のことながら学生は授業で留守だった。しかし陽に灼けた一人の男子学生がやってきた。

「おはようございます」

 ハキハキしていてとても感じがいい。

 馬の世話や授業との兼ね合いについて、いろいろ質問している間にも、下の厩舎から馬のにおいがぷんぷん。

 そうか、雅子さまはこれもダメだったのかも。帰りしな、

「馬って可愛いんですってね」

 とシロウトの極みのようなことを尋ねたら、

「本当に可愛いですよ」

 とにっこり。

「一人一人性格がまるで違うんです」

「このコの名前は?」

「〇〇〇〇(憶えきれない英語名)です」

 競走馬だったそうだ。

 そうか第二の人生を、学生たちのために生きてくれているのかとしみじみと思う。

 この学生に送られて馬術部を出た。まぁ私など、孫はいないけれども、このところ孫のような学生や生徒と接することが出来て本当に幸せだ。楽しくて仕方ない。

「そもそも私は理事長を引き受ける時、まず浮かんだのは、緑のキャンパスを学生たちとキャッキャッと笑いながら歩く自分の姿だったんだよ」

 よくまわりの人たちに、私は憎まれ口を叩く。

「それがどう、働くのはこの暗い昭和の建物で、会うのはあなたたちおじさんだけじゃん。考えていたのとまるで違うよ」

 日大の本部は独立していて、市ケ谷の駅前にある。中には立派な講堂もあり、時々ここで「理事長・学長セレクト講座」という講演会を開くので、学生がやってくる。しかし人数は限られている。

「もっと学生と接したい」

 という私の願いもあり、ドーナツを配ったり、オープンキャンパスで名刺を渡しているのであるが、私はとんとトシのことを忘れていた。

 以前と同じようなスケジュールがもうこなせない。勤務後、夜の会食が続くと、朝起きるのが本当につらい。

 が、もうひと頑張りと立ち上がると、あの声が。

「労災はありませんよ」

 かなりのプレッシャーである。