夜ふけのなわとび 第1840回 林 真理子2024/05/10
暖簾
いやあ、本当にびっくりした。
暖簾のれんの話である。
テレビを見ていたら、すっかり寂れた(さびれた))温泉街を特集していた。廃業してそのままになっているホテルや大型旅館が建ち並んでいて、まるでゴーストタウンである。玄関が壊れたまま猿の住み家(すみか)となっているところも多いという。
「中には暖簾がそのままになっているところもあります」
驚いた。旅館の戸口(とぐち)の提灯(ちょうちん)は朽ちて(くちて)下におちているが、長く大きな暖簾は、ちゃんとかかっているのだ。
「暖簾は商人(しょうにん)の命や」
子どもの頃から、山崎豊子(やまざき とよこ)さんの“船場小説(ふなばしょうせつ)”を愛読していた私は、それがどんなにすごいものかをよく知っている。なにしろ「暖簾」という題名の小説だってあるぐらいだ。
その中で、さる老舗(しにせ)が火事に遭い(あい)全焼する。するとそこの主人は、暖簾が無事だったかどうかをまず確認するのである。そして従業員が必死で守ったそれにありがたいと涙する。これさえあれば、また立ち直ることが出来ると。
また名作「花のれん」では、吉本興業(よしもとこうぎょう)の祖がモデルの女主人が、名門の寄席を譲ってもらった商談の席で、座布団から下りて深々とお辞儀をする。
「おおきに、金沢亭を譲って貰もろうた上に、女おなごの大阪商人やとまでいうて戴いたら、わてなりののれんを、この寄席こやに掲げさして貰います」
そんな商人もいるのに、この旅館の主人はコロナで廃業する時に、商売人の命をかけっぱなしにしているのだ。いろいろな思いがあるだろうが、自分の手でおろし、畳むのが礼儀といおうか、人間としてのマナーではなかろうか。せめて、中に入れるくらいのことが出来なかったのか……。
腹が立って仕方ないのは、私が小商い(こあきない)のうちの娘で、祖先をたどれば商人の血筋だからに違いない。暖簾などとは無縁の田舎の店だが、それなりの教えのようなものもあった。
ところで話は変わるようであるが、NHKの朝ドラ「虎に翼」を、毎朝本当に楽しみにしている。名作の呼び声高い(こえだかい)が、確かにそうかもしれない。毎回毎回濃密である。
先日、主人公寅とも子この大学の同級生、梅子さんの人生に共感し、涙ぐんだ女性も多いだろう。エリートの弁護士に嫁ぎ、長男は帝大生。絵に描いたような上流夫人と思いきや、梅子さんは家庭の中で虐げられて(しいたげられて)いる。夫と息子は二人して、梅子さんのことを馬鹿にしているのだ。
家事をするしか能のない女だと。
夫の弁護士は、ある日寅子たちに講義する。女性の顔を傷つけた犬の飼い主はどれほどの賠償責任を負うかということについてだ。この判例では、嫁入り前の美人だったためかなりの金額が提示される。
「うちの家内だったら、せいぜい300円ぐらいですかな」
笑い声をたてる男子学生。じっと耐える梅子さん、ルッキズムの極致(きょくち)であるが、戦前の夫は妻にこういう無礼を働いても平気である。それは令和にも継続されているかもしれない。そして私がつくづく感じたのは、その昔「顔は女の暖簾」だったということだ。
お客をどんどん呼び込める華やかな暖簾もあれば、目立たないが色あいのよい暖簾もある。
「顔に傷」は「難あり」
当時のこの思想を伝えるある本に出会った。シェイクスピアの翻訳者として有名な、松岡和子さんの伝記を読んでいた時だ。お母さまについて長いページをさいている。
お母さまは士族の出でいいところのお嬢さまである。女子学院に学び、勉強が大好きであるが、明治生まれだから女の子は女学校で充分とされる時代である。それ以上のことは許されなかった。
ところが小学生の時に、歩いていたら老朽化した講堂のガラスがはずれて落ちてきて、頬に大きな傷をつくってしまう。するとお祖母さんと母親は、もうこの子は嫁の貰い手がない、学問を身につけさせなければと考えを変えるのだ。そしてお母さまは東京女子大に進学する。
こんな事故がなければ、進学がかなわなかった女性の生き方はなんともいびつだ。しかしご本人は会社勤めをし、当時の女性としては高給を得、青春を楽しんでいらしたようだ。
そして30歳を過ぎてお見合い結婚をする。相手は帝大出の判事であるが、奥さんを亡くした男やもめで子どももいる。
つまり、家柄も美貌も、学歴も文句なしの女性が、顔に傷があるために「難あり」になってしまうのだ。
お母さまの写真が載っているが、とても綺麗な方で傷などはわからない。おそらく化粧をすれば隠れたであろう傷。そのためにお母さまは運命が変わったわけであるが、それはいい方向に向いたのではなかろうか。
「虎に翼」のドラマを見ていて、ふとこの本のことを思い出したのである。
このお母さまから生まれた松岡和子さんは、もちろん勉強が出来、のびのびと大学、大学院へ進み、日本を代表する翻訳家になられたわけだ。この母と娘のことは、それこそ朝ドラにできそうなほどドラマティックである。
さて、作家の暖簾といえば、それは書いた本に他ならない。私も出版界の一隅に、暖簾をかけさせていただいているが、最近それがくすんで風に揺れている。ご存知のようにこの2年間、全くといっていいほど小説を書いていないからだ。連載はエッセイが2つだけ。開店休業のありさまである。近所の繁盛店を傍はた目めで眺めるだけ。
有難いことは、こんなわてでも(なぜか大阪弁になる)、見捨てることなく、仕事しまひょ、何か連載やりまひょ、と言ってくれる編集者が何人もいてはること。これからは夜のお酒や食事を極力減らし、とりあえず資料を読もうと思ってます。
わての暖簾、いつの日か晴れやかにかけさせていただきまっせ。
それにしても山崎豊子先生の本って、本当に面白い。