夜ふけのなわとび 第1835回 林 真理子 2024/03/21
古来まれなり
人生(じんせい)七十(しちじゅう)古来(こらい)稀(まれ)なり 《杜甫「曲江」から》70歳まで長生きする者は、昔から非常に少ない。→古希 (こき) 「じんせい【人生/人世】」の全ての意味を見る
「ハヤシさん、古希のお祝い、どうするんですか」
最近いろいろな人に聞かれるようになった。そのたびに少々(しょうしょう)苛ついて(いらついて)答える私。
「何もしないよ。そんなことお祝いしてもらってどうするのよ」
いちばんショックを受けているのは私である。
何度か知り合いの古希のお祝いに出た。そのたびに皆さん挨拶でこう言う。
「古希は、古来まれなり、ということで、昔はここまで生きるのは本当に珍しかった。そして私もついにこの年齢になりました」
つまり、本当に年寄りになった、ということ。
還暦の時はまだよかった。100人ぐらい集まって盛大な会を開いてくれた。真っ赤なドルチェ&ガッバーナのジャケットをもらった。
「私ってまだまだイケるじゃん」
と内心思っていた。事実、まわりの60代を見てもみんな若く、老いを感じさせなかった。恋愛をしている人もいっぱいいた。もちろん仕事だってバリバリしている。
私も60代は楽しかった。本もいっぱい書き、世界中いろいろなところを旅した。しかし気がつくと、70代は目の前である。
「ウソでしょ!?」
という感じである。
今まで自分のことを、
「私らオバさんは」
などと書いてきたが、もうそうはいかないだろう。この3ヶ月ぐらい、
「私らばあさんは」
という風に変えた。すると本当に年をとったような気がした。悲しい。
自分では外見がそれほど年をとった気がしないのであるが、昔の写真と比べるとまるで違う。50代の頃は太っていても、顔にそれほどの肉がついていないのだ。
外見ばかりではない。記憶力がどんどん衰えていく。固有名詞が出てこないのはずっと前からであるが、若い時は頓珍漢(とんちんかん)なことを言っても、
とんちんかん 【頓珍漢な】 前后不符 qiánhòu bùfú English inconsistent; incoherent ▸ とんちんかんなことを言う 说得自相矛盾 shuōde zìxiāng máodùn ▸ どうも話がとんちんかんだ 说得真是前后矛盾 shuōde zhēn shì qiánhòu máodùn
「お茶目な人」
ちゃめ 1【茶目】 (名•形動) 子供っぽい,愛敬のあるいたずらをする・こと(さま)。また,それの好きな人やそうした性質。「―をやる」「お―な人」
ということになるが、最近はまわりの人は失笑(しっしょう)している。
「だからおばあさんは……」
という目だ。つまり私はとてもひがみっぽくなっているのである。
僻み(ひがみ)っぽい性格は、周囲を不快にさせるだけでなく自分の心も傷つけるものです。物事を素直に捉えずねじ曲げてしまうため、他人を悪く言ったりネガティブな感情に囚われたりします。僻みっぽくなる人の特徴と原因、性格改善のための方法を見ていきましょう。
「というわけで、古希のお祝い、なんて何もしないからね。あんまり人に言うのもやめてね」
誕生日が近づいてくるにつれ、だんだんネガティブな気分になってきた。
これまた30年近く前の話になるが、とてもおしゃれでセンスのいい友人がいた。彼女は40歳になる時、ショックで外に出られなくなったというのである。
イジワルをして、何かの会話の折、
いじわる いぢ― 32【意地悪】(名•形動) わざと人を困らせたりつらくあたったりすること。また,そうするさま,人。「―をして泣かせる」「―なことを言う」
「40になった人が、そういう考え方するのおかしいよ」
と言ってやると、やめて、と本気で叱られた。その時は年齢のことで落ち込むなんて、変な人、と思っていたのであるが、自分が古希になるとよくわかる。やはり年齢というのは、その人のメンタルに大きく影響するのである。
70代。どうしても死について考える。断捨離をしなくてはいけないし、遺書だって書きなさいと、週刊誌は言う。もう60代のように働けないのはあたり前のことである。
断捨離の思想 「断捨離」のそれぞれの文字には、ヨーガの行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応し、
- 断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
- 捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
- 離:物への執着から離れる。 という意味がある。
いっそのこと、もう消費のみに生きる時に来ているのかもしれない。
お金持ちの友人は、70代になってからはひたすら使う人生にシフトしたようだ。夫婦でしょっちゅう海外に行き、コンサートやお芝居を楽しんでいる。私ももうあくせく働くのをやめようか。年金をもらい(まだもらっていない)、何とかやりくりすればもう働かなくてもやっていけるかもしれない。
幸いなるかな、私
が、まてよ、と私は考える。うちは長生きの家系で、父は92歳、母は101歳まで生きた。DNAを受け継いでいるとすると、私はあと30年生きることになる。30年、遊んで暮らすような資力( しりょく)はとてもない。やはり何かしなくてはならないだろう。
先日、ある弁護士さんと食事をしていたら、その方がしみじみおっしゃった。
「いやあ、80になっても、こんなに稼げるとは思わなかったよ」
その自慢といおうか感慨が、とても心に響いた。80になってそんなことを言えるなんて、なんて素晴らしいことだろう。が、私にはその自信がない。気力、体力、頭脳(ずのう)も持ち合わせていないのだから……。
とにかく誕生日を前に、私の心は千々に(ちぢに)乱れているのである。そんな時、秘書が言う。
「ハヤシさん、今度の桃見の会、雑誌のグラビアに載せたいそうです。ハヤシさんの70のお祝いをそこで伝えたいと」
「いやだよー」
どうして私が本当のばあさんになったことを、世間に披露しなくちゃいけないの。
そして今日、恒例の桃見の会があった。編集者たちとバスに乗って、私の故郷山梨へ向かう。勝沼にある施設で、皆でバーベキューをするのだ。今年も同じ山梨出身で、私の高校の後輩でもあるマキタスポーツさんがゲストでいらしてくださった。これで2回めだ。
バーベキューが終った頃、幹事が言った。
「ハヤシさんにサプライズプレゼントです」
大きなバースデーケーキが運ばれ、マキタスポーツさんがギターで「ハッピーバースデー」を奏でて(かなでて)くれた。皆で大合唱。手にしたフラッグを振る。それは今年の幹事役、文藝春秋の若い人たちがつくってくれたもの。古希にちなんだ紫色のマリコ・フラッグ。私のイラスト入り。すごく可愛いのを皆が大きく振った。
このサプライズに思わずホロリ。なんて幸せな私でしょう。ここまでされると70を受け入れざるを得ない。ここのところ、まるっきり書く仕事をしていなかったのに、みんなこれからの私に期待してくれてるんだ。もうひと頑張りしなきゃ。無理しない程度に頑張ります。