夜ふけのなわとび 第1827回 林 真理子 2024/01/26

寒い!

 年をとると、寒さが本当につらくなる。

 朝起きて洗面所に行く。身支度(みじたく)をしながら震える私。

「寒い……」

 そして私は毎朝能登の人たちのことを考える。北陸の寒さはこんなものではないだろう。そのうえ避難所で暮らしているのだ。床の上に直に眠っている。着の身着のまま(きのみきのまま)で、お正月以来、お風呂にも入れないと聞いている。

 私と同じような年齢の人たちが身を寄せ合うようにして、ストーブにあたっている姿をニュースで見るのはせつないものだ。なんとか早く、安全で暖かい場所を確保してほしい。国や県が二次避難場所を用意しても、行く人があまりいないと聞いた。住みなれた場所を離れたり、近所の人と別れたりするのに抵抗があるようだ。なんとかいい手立て(てだて)はないものだろうか……。

 寒い、寒いとつぶやきながら、とにかく着替えて階下に行き、セコム(英称:SECOM Co., Ltd.)のセキュリティをはずして暖房をつける。そこでほっとひと息つく。

 そこからまたひと仕事。玄関に行き扉を開け新聞を取ってくる。この頃になると体もややあったまってくるのだ(It warms up slightly.。

 コーヒーを淹れ、シリアルと牛乳の朝ごはんを食べ、朝ドラを見、お化粧をしてから大学へ向かう。

 この建物がこれまた寒いときている。昭和の建物で、熱効率をあまり考えていない。廊下も冷えるし、部屋も冷える。自分のうちから電気ストーブを持ってこようかと考えているほどだ。

 そしてお昼にお弁当を食べる。これはあらかじめメニューを決め、何人かでまとめて買ってきてもらうものだ。

 おとといはシューマイ弁当で、昨日はトンカツ弁当であった。シューマイ弁当は大好きであるが、こう冷たいお弁当ばかり食べるのはちょっとナンである(It is a little strange to eat only cold lunches like this.。

 半年前までは大学の秘書と2人、そこいらをぶらぶら歩き、ラーメンや定食を食べに出かけたものだ。それが一連のあの騒ぎで、昼食に出かけられなくなった。マスクをして歩いていても、

「ほら、ほら、あの人」

 と振りかえられたりするからである。そんなわけで毎日がお弁当となりだんだん飽きてきた。冬に温かいものを口にするというのは、メンタル的にも非常に重要なことではないかと思う私である。

 そんな日々であるが、昨日は直木賞選考会であった。私にとっては年に2回の非常に重要な日。

 暮れに候補作が届くたびに身がひき締まる思いになる。この何年か大掃除もせず、おせちも自分でつくらないのは、ひとえに候補作を読むためである。私が選考委員になったばかりの頃、重鎮の作家の方々は候補作を読むために、ホテルに入ったり温泉に行ったりしていた。別荘に行くという方も。

 私もそういう日々に憧れたが、うちを離れることも出来ず、あわただしい日常の中で本を読むこととなる。

 正月になり、駅伝を沿道で応援したり、だらだらとNetflixを見たりしているうちに、冬休みはあっという間に終わる。そして後は選考会の日まで計算しながら読んでいくことになるのだ。

北海道で羊飼いを

 そして選考会の日、会場は築地の老舗有名料亭、大広間で行なわれる。ここがまただだっ広い。冷えないように、膝かけが用意されている。熱いコーヒーをいただきながら議論していく。

 今年はなんと3時間もかかった。

 うちの秘書に言わせると、

「すごい議論になっているんだろう」

「もめているんだな」

 とXでささやかれていたそうだ。

 が、中にいる私たちは長いなどとはまるで感じなかった。

 ある作品をめぐって、選考委員たちがいろいろな解釈を述べ、それがとても楽しかったからだ。

「えー、そんな風にとらえていたのか」

 他の方の考えが目からウロコで、感心したり驚くことしきり。

 受賞作が決まり、皆で拍手し、そこで記録的長さになっていると初めてわかったのである。

 今回は私が推した2作品が受賞となり、

「ハヤシさん、講評の記者会見お願いします」

 と頼まれた。

 昔はこの料亭で記者たちが待っていて(なんと料亭のお弁当が出ていた!)そこで記者会見であったが、今はリモートである。

「記者会見、慣れてるんだからよろしくね」

 と何人かの選考委員に声をかけられ、すぐにはわからなかったが、ちょっと考えそういうことかと理解した。皆さんからかっているのだ。

「私、よほど怖い人と思われているらしいんで、にこやかにやってきます」

 と返した。

 さて選考会の後の食事も終わり、二次会はホテルのバーへ。ここで記者会見を終えた受賞者の方がやってきて、軽くお祝いをすることになっているのだ。

 まずは河﨑秋子さんがやってきた。

 この方は『ともぐい』という、凄まじい迫力の小説をお書きになった。一人で山で暮らし、鹿や熊を獲って生きていく猟師の物語である。

 この方はとてもいい面構え(つらがまえをしていた。女性に面構えという言い方は失礼かもしれないが、がっしりとしていてとても小説を書く女性には見えない。北海道でこのあいだまで羊飼いをしていたそうである。

「専業作家になることを決めて、このあいだ60頭の羊を手放しました。それがとてもいい値段で売れたんですよ」

 という話を淡々となさる。すごいと私はもうたまげてしまった。そして、

「お住まいの十勝、寒いでしょうね」

 とんちんかんなことを口にした。

「寒いですよ」

 それが何か、と言いたげ。全く新しい作家が現れた。