夜明けのハントレス 第8回 河崎 秋子 2024/10/24
【前回までのあらすじ】札幌の大学に通うマチは恋人の浩太の家で狩猟雑誌を見つけ、狩猟の世界に惹きつけられる。大学近くの銃砲店を訪れたマチは、店主の堀井から、猟友会会長の新田を紹介される。彼は父の会社の取引先である新田工作所の社長だった。新田に、ハンターの情報交換の場になっている事務所に遊びに来るよう誘われ、父と一緒に行ってみることに。
新田は部屋の隅にあるポットで人数分のインスタントコーヒーを淹れると、一口飲んで「さて」と切り出した。
「とりあえず、何から聞きたい?」
マチの背後にいる父・義嗣ではなく、マチの方を見てにこりと微笑む。マチはすぐに持参してきたメモ帳とペンを手にとった。
「手続きや免許取得までがまず大変と聞くので、その辺りの流れや、具体的に何が大変なのか教えて頂けますか」
うん、と新田は頷く。熊野は腕を組んでうんうんと頷いた。よほど大変だったのだろう、とマチにも察しがつく。
「鉄砲関連の手続きっていっても色々あるんだけど、とりあえず、俺らがやってる猟友会の立場から、ベーシックな鹿撃ちや害獣駆除(がいじゅうくじょ) やってる猟師になるための免許とかから説明しておこうか」
新田は体をぐるりと後ろに回すと、事務用机の引き出しからクリアファイルを取り出した。中から紙を二枚取り出して、マチと義嗣に渡す。書かれている内容は同じ。『銃砲所持許可取得のために』というタイトルと、少しレイアウトの崩れたチャート図が印刷されている。一番下に、『行政とケンカしないように!』という手書きの文字と二重線が添えられていた。ざっと二十行以上にわたるチャートの長さからすると、かなり長い道のりになりそうだ。
「行政って、熊野さんがお勤めの部署ですか?」
「いや、確かに熊ちゃんのとこも行政ではあるんだけど、猟銃を持つためには警察署」
「警察」
普段あまり縁がない警察という単語にマチは驚いた。
「まず最初は、猟銃等講習会を受けなきゃいけない。いわゆる初心者講習ね」
新田はチャートの最初から説明を始める。用意されていた紙といい、落ち着いた口調といい、希望者に説明し慣れているようだ。
「これは住んでる地域の警察署の生活安全課に申し込み書類があるから、そこで書いて提出。日程や場所もそこで教えてもらえる。用紙は銃砲店、こないだ行った堀井さんとこにもあるんで、あらかじめ書いておいてもいい」
あの落ち着いて豪華な店内を思い出して、マチは少し意外に思いながらチャート図に『銃砲店にも』と書き込んだ。
「講習会は札幌市内でも定期的に開かれているから、自分に都合のいい日を申し込んでおいて受講する。講義の最後に内容を筆記試験で問われて、そこをパスしなきゃ次に進めない」
「試験って難しいんですか」
「うーん、真面目に講義受けておいて落ちた人ってあんまり聞いたことがないけど、銃を持つ上での安全上のことが問われるから、合格不合格問わずちゃんと頭に叩き込んでおいた方がいい」
新田の目は真剣だった。それだけ、危険を伴う道具を手にする覚悟が必要ということだ。マチは「はい」と真面目に頷いた。
「空気銃ならここで所持許可申請になるけど、火薬を使う銃なら、さらに射撃教習を受けることになる。いわば実技だな」
ここで実際に銃を触ることになる。そう思うと、試験一つに合格して射撃になるなんて、意外と早いのかも、とマチは素直に思った。
「これを受けるには、紙一枚で申請してハイ終わりじゃない。戸籍抄本や住民票の写し。同居親族書。禁治産者や破産の経験がないという証明書、精神状態に問題がないという精神科医の診断書なんかも必要になる」
「精神科医の診断書?」
「形式的なものだけど、大事なものだよ。メンタルに問題がないか、はもちろん、薬物中毒がないか、というのも確認が必要になる」
マチが納得して頷くと同時に、後ろで父が「なるほど」と呟いた。ヤバい状態の人に銃を持たせる訳にはいかない。厳しく、わかりやすく、そして大事な条件だとマチはもう一度頷いた。
「これらの書類を提出して、すぐに射撃教習の許可が下りるわけじゃない。許可下りるまで一か月はかかるから、早めにな」
一か月以上、許可を出していいか審議をされるのだろうか。長いようにも思えたが、それだけしっかり身元を確認されるのだと思うと、マチは別に調べられて後ろめたい訳ではないのに緊張を感じた。
「ああそうだ、射撃教習で使う弾を買うための火薬類譲受許可もこの時申請しないといけないから」
「まだあるんですね……」
マチは思わずうめいた。射撃に入るのが意外と早い、なんてとんでもない誤解だった。チャートはまだ終わらない。
「道は長いよー。ま、免許取るために路上で教習するための仮免許を取るようなもんだ。で、射撃教習が決まったら、堀井さんに相談して、クレー射撃用の銃を借りて、射撃場でいよいよ撃つ」
新田が両手で銃を構え、上空の的を狙うジェスチャーをして「ぱん」と言った。
「そこで規定以上の皿が割れれば、晴れて合格。まあ、目と集中力が大丈夫ならこれも大抵の人は合格する。銃砲所持許可申請プラス関連書類をまた警察署の生活安全課に持って行って、おわり。自分の銃を持つには所持申請とかガンロッカーを自宅に設置して警察官に確認してもらうとか諸々あるけど、細かいことはその都度、我々や堀井さんが教えるから」
そこで、熊野がいきなり高い声を出した。
「ハイこれでようやく晴れて狩猟デビュー! とは」
「ならないんだな、これが」
新田がすかさず首を横に振る。妙に息が合っている。新田が手元のプリントを裏返すのでマチも倣うと、『狩猟免許取得のために』という次のチャートが続いていた。
「ここまでの免許は、銃砲を持って射撃場で撃っていい、というところまで。野に出て動物を撃つには、狩猟免許が必要になる」
「狩猟免許」
復唱したマチの喉は渇いていた。今までが銃を持つための許可。ここからはその銃で狩猟をしていいという免許だ。
「ここからはうちの猟友会が準備講習っていう勉強会も主催してるから、そこで勉強するといい。狩猟免許試験に合格すれば、銃の所持許可との二本柱をようやく建てられて、ハンターのスタートラインに立つということになる」
「あの」
控えめな声とともに、後ろの父が手を挙げて質問した。
「銃の種類とか、それによる免許の差は、どんな感じになりますか」
マチははっとした。そういえば、種類というものをまったく考えていなかった。
「猟銃の場合、すごく大きく分類すると、空気銃、散弾銃、ライフル、ハーフライフルってところです。さっき言った空気銃は火薬を使わないものになるので、カモ撃ちなど小さくて軽い狩猟対象によく使われます。火薬アリになると、初心者はまず散弾銃。慣れてきたらハーフライフルも。ライフルは基本、散弾銃を所持して十年経たないと持てません」
新田は語尾をやや丁寧にしつつ、取引先の重役である義嗣にもフランクな態度で説明した。父はふんふん、と前のめりになって聞いている。
「ちなみに。試験や手続き、最初に持つ銃なんかも含めて、おいくらぐらいかかりますか?」
うっ、とマチは父親の切込みに息を呑んだ。正直、自分でも聞きたいが聞きづらかった質問だ。
「各種手数料や試験料、狩猟税、猟友会に入るなら会費、保険料、ガンロッカーなんかはほぼ固定として、猟銃や銃弾はいいやつを求めると天井知らずになるかな」
新田は指を折りながら、熊野に同意を求めるように言った。
「とはいえ、初心者からハイエンドモデルに手を出すのはオススメしませんから、エントリーモデルや信頼できる猟師の中古品を購入するとして……最低ラインで四十万円、標準ラインで五十万かな。その他に定期的に射撃場の利用料なんかがかかる。初期投資もそうだけど、維持経費も結構かかる趣味なんですよ」
はは、と熊野は苦笑(くしょう)した。
「最初は空気銃だけ、って人もいるからね。それだと初期投資は抑えられるし」
「結局、どういう形で銃を持つかは、何をしたいか、っていう動機によって変わってくるかな」
新田はマチの目を見て続けた。
「銃を撃ちたい、という目的の人はクレー、つまり射撃競技だね。狩猟で鳥を撃ちたいなら空気銃。鹿やクマを撃ちたいっていうなら散弾銃までとれるようにしなきゃいけない」
「僕も実は、学生時代にクレー射撃やってて、射撃場で会う猟師の人たちは同じ銃を撃つ人でも全然別の種類だと思ってたんだけど」
熊野はそう言って背もたれから上体を起こした。
「役所勤めになって害獣駆除の部署に回されて、初めてハンターの人たちと話してたら、せっかくの自分のスキルも活かしたくなってきてね」
「鹿仕留めて、獲物がとれた嬉しさよりも射撃の精度の確かさを喜ぶのは、うちの猟友会で熊ちゃんぐらいだな」
「そうなんですね……」
自分の能力を活かしたくて狩猟をする。そんな始め方もあるんだ、とマチは少し驚いた。
「ハンターさんって、狩猟始める動機って人それぞれなんですか」
マチは新田と熊野の顔を見て言った。二人は同時に「うーん」と腕を組む。新田が答えた。
「ホントに人それぞれすぎて、改めて新人さんに聞くこともなかったな。色々だよ」
「具体的には、どういう人がいるんですか」
「俺みたいな、鹿撃って害獣駆除的な社会貢献ができたと考える人、スポーツハンティングとして一つの技術としての狩猟を極めたい人、登山や渓流釣り(けいりゅうづり)が好きだから護身のために猟銃を持つ人ってのもいるな」
「ほんとに、いろんな人がいますね」
マチの驚きに、新田は頷く。
「ただ動物を殺傷するのが楽しいみたいな奴は見たことない。逆に、全員に共通しているのは、動物が嫌いじゃない、ってことかな」
「結局は狩る(かる)のに?」
言ってしまってから、マチはしまったと咳払いした。狩る、殺す、という具体的な行為と、新田が説明するメンタルの背景が、うまく結びつかなかった。新田は気を悪くしたふうでもなく、「そうだよ、殺すけど、だ」と笑った。
「さっきも言った通り、いろんな奴がいるから、仕留めた時に喜びを感じるハンターは多い。ただ、動物を憎くて殺す奴はいない。なんていえばいいかな。人間の人間たる優位性を証明する手段として狩猟を選ぶ奴はほぼいないね。少なくともうちの猟友会には」
「新田さん」
困惑したような、たしなめるような声で熊野が口を挟んだ。うっすら「しまった」という顔をして、新田は改めてマチに向き合う。
「以上、ざっくりだけど狩猟をするまでの流れ。正直、手続きは面倒で、お金のかかることでもある。狩猟になれば動物の命を奪うのはもちろん、撃つ側の身にも危険が発生することになる」
新田も熊野も、妙に柔和(にゅうわ)な笑顔をマチに向けていた。「やめてもいいんだよ」という退路を用意されたようで、一瞬だけマチの心に反発が生まれる。しかし、意識的に大きく息を吸い、言葉を選びながら口を開いた。
「私、正直、まだどのラインまでやりたいのか、分かってないです。害獣駆除をして社会に貢献したいとか、まだ知らない銃の技術を向上させたい、というのでもないし」
そうだ。自分がなぜあの日、浩太の部屋で雑誌のページに目を奪われたのかを思い出す。意地でも後ろを振り返るまいと思った。背後にいる父の顔を見て、『やってもいい?』と許可を請いながら説明したくはなかった。父の意見がどうあろうが、自分でやるかやらないかを決める。
もしかしたら、その覚悟を試すために自分の後ろに座ったのかもしれない、とさえ思った。
「知らないことを知りたい、やってみたい、っていうのが大きくて。今までできなかったことができるようになりたい。その一つが、銃なんだと思います」
たぶん、自分の心のありかたを的確に言葉にはできていない。だから、たぶんちゃんと伝わらない。でも、まだ形になったばかりの衝動を説明のために奇麗な鋳型に入れてしまうのも違う気がして、マチはただやってみたい、という願望をそのまま口にした。
「欲張りだねえ」
新田はマチの拙いが頑固な願いを、困ったように笑った。
「でもそれぐらいの方がいいかもしれない」
新田の視線を受けて、熊野もうん、と頷く。
「じゃ、試験受ける準備を進めながら、この間、堀井さんのとこで言ったように秋になったら鹿撃ちに一緒に来るといい。実際に見て、動物殺すのはちょっと、ってなったらクレーまでにすればいいし、射撃教習やって楽しいと思えなければ、そこでやめたっていい」
言い換えれば、自分にあったやり方でいい、と諭されたような気がして、マチはいつの間にか肩に入っていた力を抜いた。退路を用意されることは、侮りなどでは決してなかった。
「そりゃ役所で害獣対策やってる身としては、若いハンター増えてくれればありがたいけど、命を奪うことを無責任に勧めたくないしね」
「だから、試しにやってみる。それでいいんじゃないかな」
新田と熊野の、熱心すぎない勧誘にマチは「ありがとうございます」と椅子から立ち上がって頭を下げた。背後で父も同じように立ち上がり、マチより深く頭を下げている気配がした。