夜明けのハントレス 第5回 河崎秋子 2024/10/03

【前回までのあらすじ】札幌の大学に通うマチは、恋人の浩太の家で狩猟雑誌を見つけて手に取る。恵まれた環境で育ち、趣味でトレイルランニングを続けつつもなにか物足りなさを感じていたマチは、狩猟の世界に惹きつけられる。大学の近くに銃砲店があると知ったマチは、あいた時間で店を見に行くことに。外から様子を窺って(うかがって)いると、老婦人から店へ招き入れられる

「こちらにどうぞ」

 お婆さんに誘われて、マチは店の奥にあるテーブルの前の椅子に腰かけた。センスのいいカフェにあるような、一枚板の大きなテーブルのまわりにぐるりと置かれた椅子が八つ。これみよがしなソファセットと異なり、かえって店の親しみやすさを感じた。店のハードルを高くして相手を値踏みするのではなく、オープンで客と対話をしやすい雰囲気を意識しているのだろう。

これみよがし ( 形動 ) 「がし」は接尾語〕 これを見よといわんばかりに,得意そうに見せつけるさま。 「 ─ に飾り立てる」 「 ─ の態度」showy; ostentatious

 マチはついきょろきょろと店内を見回した。お婆さん(おばあさん)はテーブルの端にあるポットからお茶を用意している。店内はBGMもなく静かだった。ほんのりと、レザー(leather)のようなにおいがする。

「珍しいものが沢山あるでしょう。若いお嬢さんなら、ちょっと怖いかもしれないね」

「いえ、見たことないものばかりで、面白いです」

「そう」

 お婆さんはマチに緑茶(りょくちゃ)を出し、自分も湯飲みを片手に向かいの椅子に座った。こちらの意図を隠していてもしょうがない、とマチは腹をくくる。

「私、岸谷といいます。ちょっと大学が休講になって、学校の近くに銃砲店があると聞いていたので、少し見てみたいなと」

「あらそうなの」

 何も意外ではない、という感じでお婆さんは自分の湯飲みを口に運んだ。

「これから狩猟やクレー射撃をやってみたいとか?」

Clay pigeon shooting, also known as clay target shooting, is a shooting sport involving shooting at special flying targets known as "clay pigeons" or "clay targets" with a shotgun. Despite their name, the targets are usually inverted saucers made of pulverized limestone mixed with pitch and a brightly colored pigment(a substance that gives something a particular colour when it is present in it or is added to it.)

「ええと」

 穏やかな声で、しかし核心を突く質問をされて、マチは口ごもった。やってみたい、というのが答えだ。しかしあまり前のめりになってはいけないような気もする。なにせここはマチにとってはアウェーで、しかも商店の中である。どんな店なのか見極めもしないまま率直な答えを言うわけにはいかない。少し言葉を選んで答えた。

「この間、たまたま狩猟の雑誌を目にする機会があって、どんな世界だろうと思って。身内でやってる人もいないので、まったく知らない世界だから、面白そうだなって感じたんです」

「そうなの」

 お婆さんは湯飲みを置くと、店の最奥にある小さなドアを開けた。

「ちょっとあなた、作業の手、休められる? 狩猟に興味あるっていう人が訪ねて来られてね」

 訪ねたというか、招き入れられたというか。口を挟まず成り行きを見守っていたマチの前に、ドアの向こうから人影があらわれた。

「おやどうも、いらっしゃい」

 年の頃は五十代か。銀縁眼鏡(ぎんぶちめがね)をかけ、小柄だが筋肉質の男性が出てきた。アイロンのかかったワイシャツの上に、やや草臥れた(くたびれた、to become worn out)白いエプロンをつけている。一見、時計屋や写真館の主人、といった雰囲気だ。マチは立ち上がって頭を下げた。

「こんにちは、お邪魔してます」

「こちらのお嬢さん、雑誌をご覧になって狩猟に興味持たれたみたいでね。あなた、お話ししてあげて」

 男性はエプロンのポケットから名刺を取り出すと、丁寧な仕草でマチへと差し出した。

「店主の堀井(ほりい)です。どうぞよろしく」

「あ、岸谷万智(きしたに まち)といいます。大学生なので名刺なくて」

『堀井銃砲店 店主 堀井誠(まこと)』

 受け取った名刺には、店のシンボルなのか猟銃と鹿のシルエットがエンボス(silhouette;embossing) 加工(かこう)で刻まれていた。

「あの、お仕事中すみません」

「いいのいいの。仕事っていうか、趣味も兼ねたナイフのシース作りだから」

ナイフシース, 刃(は、やいば)の折りたためない固定刃のナイフはシースに収納しないと、むき出しの刃が危なくて持ち運べません。ですからナイフシースはフィクスドブレードのナイフに必須のアイテムです。固定刃のナイフはシースに入れないと持ち運べないことから、シースナイフと呼ばれます。

 こういうの、と堀井は展示ケースから革製のナイフカバーを取り出して見せてくれた。ハイブランドの革製品と比べても遜色(そんしょく)ない作りだった。

「暇さえあれば何時間でも革をチクチクやってるんだものねえ。呆れちゃう(あきれちゃう)でしょ」

 お婆さんは困ったように笑った。親子なのだろうな、とマチは予想する。二人とも、柔らかい雰囲気とぱっちりした目元がそっくりだった。

ぱっちり (adv,adv-to,vs) (on-mim) wide open (of eyes); large and bright

「若い方に興味持ってもらえるのは嬉しいね。僕でよければ、なんでも聞いてください」

 堀井は感じの良い微笑みを崩さない。それでも、初めて店に足を踏み入れた女子大生を頭の天辺から足の爪先まで観察している雰囲気をマチは感じ取った。性的なものでないから不満はない。むしろ、客を見定めて商品を売る姿勢は信頼が持てた。この店に置いてあるのは時計やカメラではなく、ナイフや銃なのだ。軽薄では客側としても困る。

 そのうえで、マチは自分がどう見られているか冷静に分析した。多分、浮かれた女子大生だと思われている。ごくわずかに細められた目と妙にフランクな声音に、マチは堀井の評価を察した。真意の見えなかったお婆さんより若干分かりやすい。

「ええと、知らないことだらけで失礼なこともお聞きしちゃうかもしれないんですけど……」

 それでもマチは憤慨することなく話を続けた。自分は何も知らない女子大生。それは確かなのだ。変なプライドを持ち出す意味は別にない。

 何を質問すべきか考えていたタイミングで、店の入り口(いりぐち)のドアが開いて小柄な(こがらな)男性が入ってきた。短く刈り込んだ白い髪が年齢を感じさせるが、細いジーンズにくたびれたネルシャツというラフな格好と日焼けした張りのある肌から、若々しいおじいちゃん、とマチは思った。何より、歩き方が力強い。重心移動がスムーズだ。男性は慣れた様子で店主に片手を上げた。

ネルシャツとは、表面を起毛させたコットンやウールなどの生地を使って作った暖かいシャツのことです。フランネル(柔らかく軽い毛織物(けおりもの))のシャツという言葉を省略して『ネルシャツ』と呼ばれています。無地のものはほとんどなく、様々な色のチェック柄の生地を使用したものが多いです。保温性に優れており、肌触りも良いため、秋冬(あきふゆ)にかけての人気のアイテムです。

ネルシャツ.png

「こんちは大将。頼んでたスコープ、取りにきたよ」

「ああどうも新田(にいだ)さん。ちょうどいいとこに」

 堀井はそう言ってマチを見た。マチは慌てて立ちあがり会釈(えしゃく)をする。

「新しいお客さんかい?」

「うん、ちょっと狩猟に興味持ち始めたところ、なんだって。新田さん少し話してくれる?」

 いいよ、という新田の返事と同時に、堀井はマチに向き直った。

「この人、猟師の新田さん。猟友会(りょうゆうかい)の会長やってるベテランだから、何でも質問するといいよ」

「会長っても、この間代替わり(だいがわり、taking over)したばっかりだけどね」

 新田はそう言ってマチの斜め向かいの椅子に座った。慣れた様子でお婆さんがもう一人分茶を用意する。

「あの、私、何がわからないかもわからない素人(しろうと)で。そもそも鉄砲って、持とうと思って持てるものですか?」

 急にベテランの人が出てきたことに戸惑い、マチはしどろもどろに質問した。新田は「んー」と薄く生えた顎鬚(あごひげ)を撫でた。

「女性に年齢聞くのはあれだけど、あなた今おいくつ?」

「今月二十歳になったばかりです」

「なら大丈夫だ」

 うん、と店主とお婆さんが同時に頷く。

「日本で銃を持つには、銃砲所持許可がまず必要でね。それは二十歳以上が条件。狩猟をやるなら、そこからさらに狩猟免許が必要になる」

 新田は視線をマチから外さずに説明した。口調(くちょう)はのんびりとしたものだが、小さな目からうかがえる光は強い。マチは真剣に耳を傾けた。

「まあ、試験とか実技とか調査とか色々あるけど。逆に言えば、二十歳以上で心身健康でやる気があれば、止められる理由はないってこと」

 新田はそう言って微笑んだ。

「まあ家族の同意とか金銭面とか、実質的なハードルはあるんだけどね」

 テーブル近くのディスプレイを眺めて、堀井がつけたした。マチもチラチラと確認はしていたが、飾られた銃にはそれぞれ数十万円の値札(ねふだ)がついている。マチの考えを察したように新田は頷いた。

「この店のは基本新品ばかりで高いからね。まあ、中古とか掘り出し物(ほりだしもの; bargain)探せば出費(しゅっぴ)を抑えることはできるけど、自宅で銃をしまうロッカーとか、実弾(じつだん)とか、射撃場(しゃげきじょう)でかかる分とか、決して安く楽しめる趣味じゃないのは覚悟しておいた方がいい」

「うちは自信を持って売れるものしか扱ってないんだけどなあ」

 堀井が唇を突き出して言った。マチは頷く。物は安ければいいというものではなく、品質の保証やきちんとした取引に高い値が不可欠なこともある。たぶん、安全第一の銃ならなおさらなのだろうと思った。

「ああごめん、脅すようなこと言っちゃったけど」

 黙っていたマチを気遣ってか、新田は明るい声を出した。

「経済的な負担はあるけど、まあゴルフでも釣りでも金がかかる趣味はかかるからね。最近は狩猟ブームっていうか、鹿でもクマでも害獣問題(がいじゅうもんだい)がマスコミでよく扱われるようになってきて、それとセットでハンター(hunter)不足とか高齢化問題も取り沙汰されるもんだから、若い人でやってみたいという人が増えてるよ」

 うん、と隣で堀井も頷く。

「うちの新規のお客さんもね。義務感というか、使命感というか。人の役に立てれば、っていう志を持って店に来る人、増えたね」

 堀井は腕組みし、店内に陳列された銃を眺めて続けた。商品への自信と愛情がうかがえる眼差しだった。

「そのうち実際に免許とるまでいくのは何割か、という問題はあるけど。それでも、やってみたいという人が増えてくれなきゃ、自然消滅しちまいかねないものだからね、鉄砲撃ちってのは」

 堀井の言葉に新田は頷いていた。猟友会会長だという新田はマチからはまだ元気に見えるが、さっき言っていた高齢化などはリアルな問題なのだろう。無暗に(無闇に、むやみに)マチに免許取得を勧めるわけでもなく、さりとて拒んでいる訳でもない様子に、二人の誠実さを感じた。せっかくの機会だ。こちらも積極的に質問を試みることにする。

「あの。女のハンターさんって、多いですか?」

 うーん、という声が新田と堀井から漏れた。

「単純な男女比でいえば、少ないね。ただ、最近は女性で狩猟やりたいって人は増えてる傾向にあるかな」

「うちの客も増えてるね」

「身体的(からだてき)なハンデとか、そういうの、ありますか。体力や腕力が足りないとか」

 マチは言葉を選んで訊ねた。人間の能力に性差(せいさ)は関係ない、と言いたいところだが、運動競技をやってきたマチだからこそ、男女による体力差や肉体の構造差があることはよくわかっている。そしてそれは、トップ選手を目指す者ほど埋められないのだということも。トレイルランをやっていた高校時代、いくら女子部門で一位になっても男子一位のタイムには及ばなかった(およばなかった)。

「無いとは言わんけど、そこは頭の使いようっていうかさ。日常からトレーニングするとか、道具をうまく使うとか、男女関係なくそういうのサボらずやる奴は大丈夫かな」

 新田の言葉に、堀井と、テーブルの隅で大人しく茶をすすっていたお婆さんも頷いていた。もしかして、彼女も実はベテランハンターか、もしくは女性のハンターと知り合いなのかもしれない。

「その意味で、男よりもよっぽど上手い女性ハンターも沢山いる。女だから鹿運べない、男だからクマ獲れた、ってことはないよ」

 クマ獲れた。新田が発したその単語にマチは思わず目を丸くする。そうだ、分かっていたはずだけれど、北海道でハンターになるということは、クマと切っても切り離せない。害獣駆除、自己防衛、それ以外に撃ちたくてクマを撃つ人もいる、ということが急に目の前に迫った気がした。

「ま、クマに限らず、狩猟は獲物を仕留める(to shoot dead; to shoot down)にも、危険を避けるにも、知識と経験が大事」

 思わず体を強張らせていたマチに笑いかけながら、新田は言った。

「お嬢さん、もし興味あるなら鹿撃ち見に来るかい? 秋になって、猟期(りょうき)入ったらさ」

「ああ、それがいいね。新田さん、人連れて山入るのも慣れてるから」

「いいんですか」

 マチは立ち上がって頭を下げた。そして、自分が新田に名乗っていなかったことに気づく。

「ご迷惑でなければ、ぜひ、よろしくお願いします。あ、私、岸谷万智(きしたに まち)といいます。そこの大学通ってる二年生です」

「岸谷?」

 あれ、と新田が妙な顔をして、キシタニ、キシタニ、とぶつぶつ繰り返す。

「お住まいは札幌?」

「はい、中央区です」

「もしかして、ポラリスさんに関係あるおうちだったりする?」

 意外な単語が出てきて、マチは驚きつつ頷いた。

「ええ、ポラリス製菓は曽祖父(そうそふ)が創業者で。父は専務やってます」

「あー! 岸谷さん!」

 新田は大仰に驚くと、遠慮なくマチを指した。その視線はマチの姿を通り越して、その背後に向けられているようだった。

「え、なに、知り合い?」

 堀井の怪訝(けげん)そうな声に、新田はいや、とか、うん、と曖昧に呟く。

「俺たぶん、お嬢さんのお父さんと取引させて頂いてるわ」

 新田はジーンズの尻ポケットから名刺を出すと、マチに差し出した。

『株式会社新田工作所 代表取締役 新田勇一(にいだ ゆういち)』

「新田工作所、さん」

 父の会社にノータッチのマチには聞き覚えがなかったが、新田は「岸谷」「ポラリス」「専務」という単語ですっかりこちらの立場を察したようだった。

「うちの会社で、ポラリスさんのお菓子の金型(かながた、mold)、作らせてもらってます。ほら、星形(ほしがた)ホワイトチョコの」

 あー、と今度はマチが驚く番だった。ポラリス製菓が誇る創業以来の定番商品である星形のチョコレート。あの金型を作っている会社の社長と、こんな形で会うことになるとは思わなかった。マチは思わず「父と会社がいつも大変お世話になってます!」と最大限頭を下げ、新田も「いえこちらこそ長くお付合いさせて頂きまして」と畏まる(かしこまる)。

「あらあら。ご縁て面白いものねえ」というお婆さんの困ったような笑い声が店内に響いた。