土屋賢二 ツチヤの口車 第1366回 2024/11/16

老後の楽しみ

 歳を取ったとき楽しい毎日を過ごすために趣味をもて、と無責任きわまるアドバイスをする人がいる。わたしもその一人だった。

 そもそもわたしは「楽しい」とは何かということも分かったためしがない。子どもが芋ほりや潮干狩り(しおひがり)をした後感想を求められると「楽しかった」と言うし、わたしもそう言ったと思うが、苦痛ではなかったということ以外、楽しいとはどういうことか、何も分かっていなかった。たんに「おはよう」「ただいま」と同じ決まり文句だと思っていた(こうやって無責任な発言が培われる(つちかわれる)のだ)。

 大人になると、「楽しむ」と言えるような落ち着いたものとは無縁になった。短期間打ち込んだ趣味は、詰将棋( つめしょうぎ 、電子工作、プログラミングなどだ。いずれも睡眠時間を削って夢に見るほど打ち込み、わずか数年で飽きてしまった。

 観光や散歩は嫌いで、のんびり楽しむことができない。温泉に行って、風呂にも入らず徹夜麻雀するタイプだ。歩くのは好きだが、競歩しているのかと思うほどの速足で、東京駅から池袋まで連日歩き、疲労骨折したほどだ。

 これらの趣味はとりつかれたようにはなるが、「楽しい」と呼べるものではなかった。顔つきからして違う。まなじりを決した、ひきつった顔を見て、だれが「こいつは楽しんでいる」と思うだろうか。

 一番多くのエネルギーと金と時間と円満な家庭を奪ったのはジャズだ。即興演奏の面白さにとりつかれたためだ。それも静かに味わうようなものではなかった。楽器を買い、猛練習をして、他のアマチュアバンドをさげすみ、プロ並みの演奏を目指すものの、実際に演奏すると絶望して、仲間はすべてを忘れるまで酒を飲むのが決まりになった(わたしも酒が飲めたらそうしていただろう)。「俺らは腕を鍛える代わりに肝臓を鍛えているぞ」と冗談を言ったりしたが、肝臓は鍛えられず、検査の2、3日前になると禁酒しなくてはならなくなった。こんな趣味をもたなかったら連中の肝臓はもっと健康だっただろう。

 なぜこんな目にあってまで打ち込んだのか。それは、即興演奏中1年に数分ほど、神がかり状態になったからだ。そのために何百時間も苦しむのだ。その数分間の神がかり状態は極度の興奮状態で、平穏さの対極にあるものだ。

 演奏中でなくても、寝起きにベッドの中でジャズの即興演奏の珠玉のフレーズが頭の中でとめどなく湧き出て止まらなくなったことがある。また、寝る前に、「デタラメ短歌」(短歌のようだが無意味なことばの羅列)が次々に怒濤のように押し寄せ、制御できなくなったこともある。どちらも役に立たないが、役に立つかどうかなどわたしにはどっちでもいい。わたしにはこれらはとてつもなく貴重なものだ。記録していたら何物にも代えがたい宝になっていただろうが、記録する余裕もないほど次々に押し寄せて、圧倒され、記録どころではなかった。

 こういう何かにとりつかれるような経験がなければ、音楽には何の価値もなかった。だから「老後の楽しみ」とはほど遠いものだ。

 一番「楽しんだ」という表現に近いのは、文章だった。夜中に一人、デタラメな文章を書いては笑っていた。読者もいない、金にならない、何の役にも立たない、締め切りもない、制限枚数もない。ただ純粋に自分の楽しみのために、デタラメを書くのが面白かったのだ。これが一番穏やかな「楽しい」時間だった。

 たぶんわたしは理性や常識を破るのが楽しいのだ。理性が強すぎるのかもしれない。ただ、老後ぐらい、もっと建設的なことに楽しみを見出すべきだと思う。