ツチヤの口車 第1361回 土屋 賢二 2024/10/12
妻にとってわたしは何なのか
自分が何者なのか、どんな人間なのかは、自分の思い込みでは決まらない。
「おれはナポレオンだ」と思い込んでも、ナポレオンになるわけではない。わたしが「イケメンであることしか取り柄がない男だ」と強く思い込んでも、まわりが認めようとしない。
自分が何者かを決めるのは、周囲の意見の方が多い。妻がわたしを何者で、どんな存在だと思っているのか、最近、思い知らされた。
このところ毎日三食、認知症の妻の食事を介助するために介護センターに通っているが、毎回妻の反応が違う。不機嫌なこともあるし、機嫌がよくても突然食べなくなることもあり、予断を許さない。
何とか食べさせようと工夫(くふう)している。妻は人一倍死ぬことを恐れるから「食べないと衰弱して死ぬよ」と脅して食べさせようともするが、その効果は限定的だ。逆に妻が食事中、わたしになぜか腹を立て(昔から妻の怒りの原因の8割は分からない)、食堂の入口を指さして「早く出て行かないとあなたは死ぬよ」と脅すようになった。
先日は画期的だった。妻が笑ったのだ。
わたし「ほら、これはナスだよ。お前の好物だよ」
妻「ほんと?」
わたし「おれの好物だったかもしれない」
こう言うと、「ふっふっ」と笑った。笑うのは1年ぶりだ。
そうかと思うと、わたしが顔を見せると、妻はわたしを警戒した目つきで睨みつけることもある。不安になって「おれが誰だか分かる?」と聞くと、首を横に振る。わたしを認識できないのだ。恐れていたときがきた。「不審がられるのももっともです。通りすがりの者です」と言っても、ニコッともしない。このときはほとんど食べてもらえなかった。
だが数時間後の夕食のときは、わたしを見て「分かる。けんちゃん」と言う。「そう、お前の旦那、夫だよ」と言うと「違う!」と激しく首を横に振る。「50年前に結婚したんだよ」と言っても「嘘だっ!」と強く否定した。
毎回わたしは何者なのかが問われているのだ。
わたしが顔を出すと、最初は笑みを浮かべていても、いざ食事となると、口を開けようとしないこともある。「噛んで」と頼んでも口は動かない。ハンサムな男が優しく口を開けるよう何度も促し、懇願しながら辛抱強く待っているのに無視するのだから、並大抵の神経ではない。
このことから主従関係がどうやって成立するのかが分かる。わたしが食べさせてもらう立場なら、食べさせてくれる相手の無言の圧力に押されて、苦手な物だろうが毒だろうが、何でも食べるだろう。
だが、妻は食べさせてくれる相手を平然と無視するだけで、どちらが上かを分からせる。相手の意向を無視する神経の太さで上下関係が決まるのだ。
このことに気づいてから、妻にとってわたしは「妻を介助する献身的な夫」というよりは「妻に仕える下僕(げぼく)」だということを知った。それでも下僕がいなければ妻も困るだろう。妻にとってわたしは必要な存在なのだ。そう思って仕えていると、順調に食べる日が二、三日続いた。うれしくて心がはずんだ。だが疑問が芽生えた。妻が依存心を強めて、わたしが手助けしないと食べなくなるのではないか。できれば自力で食べるようになってほしい。
介護士の人にその懸念を伝えると、即座に否定した。
「心配いりません。ご主人の身体がもつかは心配ですが、奥様の依存は心配ありません。現に、ご主人がいなくても、奥様がご主人を探し求めるようなこともありませんし」
よかった……。