ツチヤの口車 第1349回 土屋 賢二 2024/07/13
本と脂肪と有価証券(ゆうかしょうけん)
教え子に電話した。
「急用じゃないからね。心配しないように。わたしは変わりない。残念ながら」
「残念です。失礼します」
「ちょっと待て、実は家の中を徹底的に片づけようと思ってるんだ」
「終活ですか」
「終活でも就活でもトンカツでもない。広々とした部屋で暮らしたいんだ」
「それなら徹底的に断捨離(だんしゃり)する(ミニマリストをご参考に。失礼します」
「待ってくれ。ミニマリストでは不十分だ」
「カーテンも布団もなしで暮らしている人もいます」
「不十分だ。第一、家を断捨離していない。ドアも壁も天井も床も捨ててない」
「それだとホームレスになってしまいます」
「ホームレスになったぐらいで安心するのは早い。古代ギリシアのホームレス、ディオゲネスは、子どもが泉の水を手ですくって飲んでいるのを見て、持ち歩いていたお椀を捨てたんだ」
「知っています。ではこれで失礼します」
「待て。それでもまだ不十分だ。彼は着ている服も靴も捨てるべきだった」
「逮捕されます」
「逮捕されるところまで徹底しないと不十分なんだ」
「そんなことをおっしゃるなら、本人が一番不要なのではありませんか。本人がいるから部屋も服も必要になるんです。本人がいなければ円満かつ完全に解決します。では失礼します」
「待て。君と話していると極端になってしまう。建設的に話そう。わたしの家には本が大量にある。君のところもそうだろう?」
「わたしのところは大したことはありません」
「真面目に勉強していれば本は増えるはずだ……わたしが本に金をつぎ込んでいる分、君は食べるのに金をつぎ込んでいるのか」
「そうかもしれません」
「わたしの家に本が余っているように、君の身体には脂肪が余ってるんだ」
「では失礼します」
「さっきから電話を切ろうとしているが、即席ラーメンができたのか」
「違います。いまお湯を入れたところです。長年の活動の結果残る物はさまざまです。貴金属、ブランド物、有価証券が残っている人もいますし、本や脂肪のようなゴミが残る人もいます」
「わたしが何をした。君がしたことは分かるが」
「ダイエットに失敗したんです。お互い、投資に失敗したと思えばいいんじゃないんですか? 失敗組と成功組がいるのは当然です」
「負けは分かった。ただ、いまは空間がほしい」
「窓から空が見えませんか? 本は捨てればなくなります。では失礼します」
「わたしの本の中にも価値の高いものがあるんだ」
「えっ、神戸牛ですか?」
「神戸牛は本じゃない! 価値のある物は食べ物だという先入観を捨てなさい。まるで食欲の奴隷じゃないか。わたしの蔵書には初版本が多い。どれもほぼ入手困難だ」
「いまはたいていは手に入りますけどね」
「名作はそうだが、三流作家の失敗作は、入手不可能なものが多い」
「三流作家の失敗作って、先生の本ですよね」
「で、電話を切るよ」
「どうぞ。最後に一つだけ。無価値なものは、入手できなくても困りません」
「価値・無価値について教えよう。昔、チューリップの球根がバブルで異常な高値になり、球根一個が家屋敷と交換されるまでになった。理由もなくだ。何が価値をもつか分からない」
「先生の本がそうなればいいですね。失礼します」
「ちょっと待て」
「チューリップのバブル、はじけたんでしょう?」
「そ、そうだ」
「それなら、バブルで価値が出ても、はじければ同じです。では失礼します」