ツチヤの口車 第1331回 土屋 賢二 2024/03/02
急がば転ぶ日々
『急がば転ぶ日々』(文春文庫)が発売になる。
ツチヤ本の購買から遠ざかっていたため、「ツチヤ? だれそれ? 本? 何それ?」と言って認知症を疑われた人もいるだろう。
いまや、購買意欲を満たせなかったくやしさを、思う存分晴らすことができる。読書用、保存用、予備用、投資用、贈答用と、何冊でも買いたい放題だ。とくに入学祝、就職祝のシーズンのいま、そして誕生日、病気見舞い、クリスマスを10カ月後に控えたこの時期に、タイミングよく贈り物になる物を諸兄姉(しょけいし)にお届けできるのは欣快(きんかい)の至りである。
ツチヤ本のような人気商品は相手がすでに買っているだろうから贈り物にはならないと思う向きもあるだろうが、心配も遠慮も無用である。わたしの本は読んでも記憶に残らない。すでに買ったと自信をもって断言できる人は少ないから贈り放題である。
この本は贈り物の必須(ひっす)五大条件を満たしている。
(1)軽い(重量も内容も)。重さが30キロだったら、寝転んで読むのは命がけだ。内容的にも軽さが必要だ。戦争や災害に苦しむ世の中にあって、重苦しい(おもくるしい)内容を読みたがる人が、現実の重苦しさ深刻さを認識しているかどうか疑わしい。本書はコクはなくてもキレがある(内容は薄いが、記憶に残らない)。忘れることは重要だ。人間を苦しめるのは、忘れようとしても忘れられないものだ。何気ない日常の一コマ一コマ、何の変哲もないありふれた風景など、貴重な(きちょうな)ものはすぐに忘れるし、そもそも気にも留まらない。死に直面したときに気づくだけだ。
それに対し、頭にこびりついて忘れられないのは、財布を落とした、侮辱(ぶじょく)されたなど、不愉快(ふゆかい)なことか、ノーベル賞をもらったなど、一時的に浮かれた出来事だ。これらはこだわりや執着を生み、いつまでもクヨクヨしたり、過去の栄光にすがったりして、自由闊達な精神を奪ってしまう。
人間の自由を守るのは、記憶に残らないほど内容が薄い本だ。買ったことを忘れて何度も買うような本(本は買うときが一番楽しい)になっていることを願うばかりだ。
(2)安い。節約になるからもう1冊買える。また災害時、寒いときには、燃やして暖をとる(だんをとる)ことができる。これがシェークスピアの初版本(はつばんほん)だったら、もったいなくて燃やすのを躊躇(ちゅうちょ)しているうちに、低体温症になる恐れがある。本は命を奪ってはならない。
(3)希少(きしょう)。書店に登場したかと思うとすぐに姿を消す。この潔さ(いさぎよさ)がツチヤ本の特徴である。出回っている数が少ないため、投資の対象になる。大量に出回っている本には目もくれず、本書をもち続ければ、それだけで、数百年、数千年後には大富豪だ(保証するものではありません)。買い占めて市場に出回る数を減らすことを考えてもいい。
(4)深遠。「軽薄(けいはく)なものは深遠ではない」と考える人は軽薄である。ジョークの中に深遠な真理が含まれていることもあるし、他愛のないことで幼児が立てる笑い声にも、老人の涙にも、深遠さはある。哲学者のことばにもパチンコ店の喧噪にも同程度に深遠さはある。深遠さは至るところにあり、壁でも石ころでも、じっと見ていれば途方もなく深遠だと感じることができる。当然、本書にも深遠さを見出せるはずだ。
(5)万人向け。「急がば転ぶ」のは高齢者である。高齢者は、「仕事のため」とか「人生観を磨く」といった無益な目的を捨てている。何より、購買能力がある。すべての人は高齢者か高齢者予備軍であるから、本書は万人向けである。急げば転ぶだろうが、書店から消える前に急いで購入されることを願っている。