ツチヤの口車 第1328回 土屋 賢二 2024/02/10

見る目が変わった

 いまお笑い芸人の行動が問題になっているが、それ以外にも近年、芸能界、スポーツ界の闇が次々に暴かれている。告発されているセクハラ、パワハラのひどさは目を覆うばかりだ。

 こう感じるのは、わたしの見る目、わたしの価値観が変わったからだ。昔、子どもは当たり前のように親や教師に殴られ、後輩は先輩に殴られていた。当時は殴られても痛いとしか感じなかったが、いまは違う。幼児虐待のニュースを見ただけで身体が震えるほど腹が立つ。それほど大きく価値観が変わったのだ。

 人権だけではない。犬はたいてい家の外で鎖につないで飼っていた。イギリスの動物愛護団体が日本の状態を虐待だと非難したときは違和感を覚えたほどだ。それがいまでは犬はたいていの家では中高年男よりも大事にされており、中高年男は家の外の犬小屋(いぬごや)以外に寝る場所がなくなりそうな予感におびえている。

 人々の価値観を変えるのは容易ではない。30年前、イギリスにいたとき、一部の人たちが粘り強く運動していた。子牛(こうし)をフランスに輸出するのに抗議して港で連日(れんじつ)座り込みをした。医薬品・化粧品メーカーが動物実験をしていることが分かると不買運動が起きた。女性についても、某大学の定期刊行物(ていきかんこうぶつ)の表紙に女性モデルの上半身の着衣写真(着衣しゃしん)を使ったことに猛抗議がなされた。別の大学では男子学生の方が女子学生より成績がよかったことが問題になり、調査委員会が設置された。

 イギリスよりだいぶ遅れ、日本でもこのような変化が起きつつある。SNSで瞬時に感覚が共有され、価値観の変わり方が激しくなった。しかも変化は速度を増し、わずかな期間で価値観が大きく変わった。このままいくと将来、肉、魚、牛乳、卵は口にできなくなり、蚊やダニも殺すことはできず(へんず、変ずる、変わる)動物園や水族館は廃止される可能性がある。さらに進んで、植物も食べるべきではないという考えが広がれば、人工的に合成したものしか食べられなくなるかもしれない。

 十把ひとからげに「一般に」と論じる人は、一般に、独断的に決めつける傾向がある。いま起きている価値観の変化についても、一般に、変化の流れは人権や動物の権利を尊重する方向に向かっていると断言できる。

じっぱひとからげ 1―2【十把一絡げ】 いろいろなものを雑然とひとまとめにすること。一つ一つ取り上げるほどのことはないとして,まとめて扱うこと。

 だが一般に何事にも例外がある。例外は高齢者だ。高齢者は、老害だ、勝手に死ぬ、ボケる、年金や健康保険を財政的に圧迫しているなどとして邪魔者扱いされている。定年制度で仕事を奪われ、健康保険料も介護保険料も取られ続け、就職もできず、アパートも借りられない。高齢者の人権は守らなくてもいいのか。考えているうちに腹が立ってきたので、教え子に電話で抗議した。

「なぜ高齢者だけ人権が守られないんだ?」

「守っています。高齢者が役に立つかぎりは。自問してください。自分は画期的な発明をし続けて社会に貢献しているか? 人の嫌がる仕事を無償で進んで引き受けているか?」

「なぜ高齢者にだけ厳しい要求をするんだ? 若者も犬もネコも無条件に大事にしているだろう」

「それなら言いますが、高齢者の人権は守っています。高齢者がおれを大事にしろと文句を言わないかぎりは。現に、物言わぬ高齢者は先生と違って文句を言いません。犬もネコも幼児も文句を言いません」

「幼児も犬もネコも態度で文句を言うじゃないか」

「それなら言いますが、高齢者の人権は守っています。高齢者に人権があればの話ですが」

「人間だれにだって人権はあるはずだ」

「それなら言いますが、高齢者の人権は守っています。高齢者が若いかぎりは」

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