ツチヤの口車 第1325回 土屋 賢二 2024/01/20
高齢者の創意工夫
歳をとると心身が衰えて(おとろえて)くるが、高齢者は簡単には挫けない(くじけない)。創意工夫(そういくふう)をこらして切り抜けている。
たしかに感覚は衰える(残念なことに、痛覚(つうかく)は衰えない)が、衰えた分は経験で補える(おぎなえる)。聴力が衰えても、相手の表情や口調(くちょう)から、過去の経験をもとに何を話しているか推測できる。わたしを叱っていないことが分かれば、それ以上知るべきことがあろうか。
視力も衰えるが、細かい文字を大体(だいたい)の見当で(けんとうで)読むようになる。若いころと違って、正確に理解する努力は払わない。はっきり読み取るために、虫眼鏡(虫眼鏡)を長時間かけて探して読むほどの内容ではないだろうと過去の経験から判断する。はっきりさせる労力はもっと重要なこと(昼寝など)のために取っておく。
その結果、「……してはならない」と「……しなくてはならない」をはっきりさせないまま放置することになる。これができるのは、どっちつかずにしておく度量(どりょう)がある高齢者だけだ。高齢者は、薬の説明書を読んでも、頭痛薬(ずつうくすり)といっしょに飲んでもいいのかいけないのか、どちらかだということは把握しても、その先はあいまいなままだ。最近、薬が効かないのはそのためかもしれない。
顕著な(けんちょな)のは読書だ。だいたいの印象で適当に読むから、「速読法(そくどくほう)」に似ており、いわば「遅い速読法」だ。このやり方でミステリを読んでいると、死んだはずの人物が登場するということがある。こういうとき、読み直すような手間はかけず、推理ですませる。ミステリの謎を解く前に、なぜ死んだはずの人物が登場するのかという謎を解決しなくてはならない。解決はいくつか考えられる。その人物の生前の姿を回想しているのかもしれないし、同姓同名の別人かもしれないし、よく似た名前の別人かもしれない。「グレゴリー」「グレムリン」「グルタミン酸ナトリウム」「クルミあんドーナッツ」「ポン・デ・リング」をごっちゃにした可能性もある。
いずれかを選んで読み進めると、加速度的に謎(なぞ)が増えていく。死んだはずの人物はラーメン屋の店員だったのに、なぜ大学で講義しているのか、といった謎が生じる。この謎も解決が必要だ。もともと大学で教えていたのだが、不祥事を起こしたとしてクビになり、ラーメン屋の店員をしていたところ、冤罪だったことが判明し、復職(ふくしょく)したのだ。そう想定して3ページ先になると、この人物は鉄工所(てっこうしょ)に勤めるベテラン職人になっている。
辻褄(つじつま)を合わせるたびに不自然さと複雑さが増し、どんな単純なミステリでも収拾がつかなくなってしまいそうだが、最終的にはタイムマシンか多次元世界の話で切り抜けるから、むしろマンネリになる。
無理な推理を重ねると、筋は支離滅裂になるが、どうせ1週間もすれば読んだかどうかもはっきりしなくなる。むしろ構想力、想像力、つじつま合わせの能力が鍛えられるのが大きい。
マンネリズム 4mannerism 思考・行動・表現などが型にはまり,新鮮さや独創性がなくなること。マンネリ。「―におちいる」
最近、身体の衰えをカバーする新しい方法を発見した。壁は風雨をしのぐ以外に重要な役割がある。ソックスを履くとき、わたしは壁のそばに行く。立ったまま履けないから壁にもたれるためだ。子どものころも履けなかったが、身体が柔らかく、床に座ってソックスを履くことができた。その前は親が履かせてくれたが、現在、身体は硬直し(こうちょく)、手助けしてくれる人はいない。
こういうとき必要は発明の母とはよく言ったものだ。壁にもたれるとソックスが履けるのだ。
だからもし寄りかかる壁も岩もない大平原(だいへいげん)で、ソックスをもって途方に暮れている紳士を見かけたら、それはわたしである。