ツチヤの口車 第1324回 土屋 賢二 2024/01/12

断り切れない男

 早熟(そうじゅく)な人はいるが、わたしは大器晩成(たいきばんせい)タイプだ。なぜそう言えるかと言うと、これまで一度も芽が出なかったからだ。

 花開く(はなひらく)のがいつなのか、どんな大輪(だいりん)の花が開くのか、楽しみにしてきた。今年こそ花開くのではないかと待ち続けて65年になる。それなのにまだ萌芽(ほうが)も見られない。この調子でいくと、花開くまであとどれぐらいかかるか分からない。これからは長生きできるかどうかが勝負だ。

 だが問題がある。長生きできるような生活をしていないのだ。これまで自然に従う生活を心がけてきた。自分の身体に耳を傾けて、身体が欲していれば(よくしていれば)肉の脂身(あぶらみ)を食べ、身体が休息を欲していれば休んできた。

 その結果、どう考えても長生き(ながいき)できない生活を送っている。なぜ自然に従うと長生きできないのか納得できないが、それが事実だ。

 長生きするには節食(せっしょく)と運動しかない。食べ過ぎと運動不足を続けるのは死に急いでいるに等しい(ひとしい)と分かっている。だから自覚的に死に急いでいるのだ。

 しかもだれかに強制されているのではなく、自分の意思で意図的にその生活を選んでいる。だとするとわたしは意図的に死に急いでいるのだろうか。長生きして大輪の花を咲かせたいのに、意図的にそれに反する生活をしている。だがそんなことがありうるだろうか。

 不可解に思われるかもしれないが、それに類した事例は多い。30センチの柵を軽く飛び越えようとジャンプすると、ジャンプ力が足りず、飛び越え損ない、転んでしまう場合、飛び越え損ねることを意図したわけではない。意図した通りに実行する能力がないだけだ。意図した通りに速くは走れず、意図した通りに外国語を話せないのは、意図を実現する能力がないからだ。その場合、意図とは違う結果になるのは当然だ。

 だが能力があっても意図に反した結果になることがある。たとえば自殺する人が青酸カリだと思い込んでビタミン剤を飲んだ場合、意図した通りに実行しても、結果は意図に反したものになる。これは誤った思い込みに基づいて行動しているからである。オイディプスは喧嘩の相手が自分の父親だと知らずに殺したが、父親を殺す意図はもっていなかった。無知のせいで父親を殺したのだ。無知や誤解に基づく行動は意図した結果を生まないのである。

 だが、わたしの場合はこれらの場合とは違う。大食いと運動不足を実行すれば不健康になることを一点の疑いもなく知っている。その上で、意図した通りに実行しているのだ。

 だから意図的に不健康になっていると言うしかない。

 納得できない人は次の事例を考えてもらいたい。カツカレーを食べるのは快楽を求めるからだが、もれなく付録として不健康がついてくる。カツカレーを食べると快楽を得られるが、付録についてくる不健康を断ることはできない。その結果、意図した通り、快楽と不健康を手に入れる。

 薬を飲むと副作用がついてくる。わたしが飲んでいる頭痛薬(ずつうくすり)の副作用の一つは頭痛である。わたしは頭痛になるリスクを冒して頭痛薬を飲んでいる。

 寝る前にスマホを見る楽しみには質の悪い睡眠が付録についてくる。幸い、スマホを見るのはもともと質の悪い睡眠しかとっていない人が多いから、大きい損にはなっていない。

 部屋を片づける労力を惜しんでラクをすると乱雑さが付録についてくる。

 多くの物事は望まない付録とセットになっている。だが望まない付録つきのものがわたしのまわりに集中しているような気がする。しかもわたしはきっぱり断れない男だ。大輪の花は無理かもしれない。

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オイディプス Oidipūs ギリシャ神話中の人物。テーベ王ライオスとイオカステとの子。男の子ならば父を殺し母を妻とするという神託により,生まれてすぐ捨てられる。成長後,父とは知らずにライオスを殺し,スフィンクスの謎を解いてテーベ王となり,母イオカステを妻とする。のち,真実を知って苦悩し,両目をえぐり,娘アンティゴネに導かれつつ諸国を流浪したという。エディプス。