町山智浩の言霊USA 第682回 2023/07/22

Let-them-eat-cake obliviousness(ignorance)(パンがなければケーキを食べればいいのに的無関心)

 去年、人工中絶を女性の権利とした判例を覆したアメリカ連邦最高裁判所。今年も暴走を続けている。

 連邦最高裁は9人の判事の多数決で憲法判断を決定する。判事を任命できるのは大統領だけ。一度任命されたらまず罷免(ひめん)できない。入れ替わるのは判事が引退するか死ぬか弾劾(だんがい)されたときだけ。それは司法に対する権力の介入を防ぐためだが、現在、判事9人中6人(きゅうにんちゅうろくにん)が共和党の大統領の任命なので、圧倒的多数の力で次々と共和党的な、つまり白人の金持ちに有利な判決を下して(くだして)いる。

 今回、最高裁は、名門ハーヴァード大学などが入学審査において黒人(アフリカ系)やヒスパニックを優遇(ゆうぐ)していることを違憲とした。この判決によって全米の大学で半世紀も続いてきた「アファーマティヴ・アクション affirmative action 」に終止符が打たれることになるかもしれない。

 1960年代、キング牧師(ぼくし)が主導した非暴力の戦いで、人種差別は憲法違反とされた。それから全米の大学で、人種による教育格差を是正するためのアファーマティヴ・アクション(積極措置(せっきょくそち))が始まり、入学に際して黒人やヒスパニック、先住民が優遇(ゆうぐ)されてきた。

 これに対してアジア系の匿名(とくめい)の受験生が、黒人とヒスパニックだけ優遇するのは差別だと訴え、最高裁の共和党系判事6人がその訴えを認めた。

「受験生は人種ではなく、個人の経験によって評価されなくてはならない」

 ジョン・ロバーツ最高裁長官は多数派の意見として、そう表明。黒人であるクラレンス・トーマス判事は「法律は人種を無視すべき」、つまり法はすべての人種を同じに扱わねばならない、と語った。

 だが、民主党の大統領に任命された判事はこの判決に反対している。

「パンがなければケーキを食べればいいのに的無関心の判決です」

 マリー・アントワネットが言ったとされるセリフの引用で批判したのはバイデン大統領によってアフリカ系の女性として史上初めて最高裁判事に任命されたケタンジ・ジャクソン判事。「ダチョウ(駝鳥)が砂に頭を突っ込むようにして人種問題を無視しても、現実の差別は存在します」

 では現実を見てみよう。

 問題となったハーヴァード大の学生は白人が39.6%、アジア系が27.5%、ヒスパニック10.8%、黒人9.3%という割合。全米の人口では白人は60%、ヒスパニック19%、黒人13%、アジア系6%だから、ハーヴァードではアジア系の学生が飛びぬけて多い。

 人種別の大卒率を見てみると、2011年から2021年までの10年間で、白人の4年制大卒率は34%から41.9%に上昇したが、黒人の大卒率は19.9%から28.1%。ちなみにアジア系の大卒率は50.3%から61%に増えている。

 これはアジア人が優秀で黒人が優秀じゃない、ということではない。

 大卒率の高さは世帯の年収と比例する。白人の平均年収7万8000ドルに対して黒人のそれは4万8000ドル。ちなみにアジア系の平均年収は10万ドルを超えている。そしてアメリカの大学生が年間にかかる学費と生活費の合計の平均額は3万6000ドル。黒人は子どもを大学に行かせること自体が難しい。

 ハーヴァードでは年収6万ドル以下の世帯の学生の学費を全額無料にしている。だから勤勉な黒人にとってハーヴァードのアファーマティヴ・アクションは本当に希望だった。

 ジャクソン判事は今回の判決は「アファーマティヴ・アクションが『不平等の継承』を止める効果を認めていない」と憤って(いきどおって)いる。

「人種的不平等を固定化するもの」

 ハーヴァードに限らず、黒人を優先的に大学に入学させることは、将来的な収入格差の解消、貧困の撲滅(ぼくめつ)に効果がある。なぜなら、アメリカでの大卒の平均年収は高卒の約2倍なのだ。大卒なら自分の子供を大学に入れることができる。貧しさの連鎖から脱出できる。

「今回の判決は人種的不平等を固定化するものです」と意見したのは、ソニア・ソトマイヨール判事。オバマ大統領に任命された、史上初のヒスパニック女性の最高裁判事。ニューヨークの下町(したまち)ブロンクスに貧しいプエルトリコ移民の夫婦の娘として生まれ、9歳で父親を亡くし、看護師である母に育てられた。アファーマティヴ・アクションによって名門プリンストン大学に入学した。「アファーマティヴ・アクション無しに、今の私はありませんでした」ソトマイヨール判事は言う。

 しかし、共和党系の最高裁判事6人は、本気で不平等を固定化するつもりなのだ。

 彼らはさらに学費ローンの一部免除を憲法違反と判決した。

 先述(せんじゅつ)したようにアメリカの大学の学費(がくひ)は高い。大卒で学費ローンを抱えている人たちの負債は平均3万7000ドルにもなる。大卒の初任給(しょにんきゅう)の平均は5万5000ドルだから、社会人人生のスタートから重荷を背負うことになる。

 そこで、バイデン大統領は、低所得の人々の学費を最大2万ドル、帳消し(ちょうけし)にする政策を出したが、最高裁がこれを止めた。3000億ドルもの支出には議会の承認が必要だと。

 学費ローン免除はバイデンの政策だから、議会を多数支配する共和党が通すはずがない。

 ただ、不可解なのは、アファーマティヴ・アクションも学費ローン免除も、それを阻止した最高裁の主導者はクラレンス・トーマス判事だということだ。トーマス判事自身、南部で貧しく育った黒人で、苦学(くがく)して名門イエール大学の法科大学院を卒業したが、人種差別のために法律事務所に就職できず、多額の学費ローンに苦しんだ人物だ。その彼がなぜ?(続く)

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