町山智浩の言霊USA 第681回 2023/07/15

 ナバホ国に行ってきた。

 アメリカ先住民のナバホ族が、アメリカ合衆国内に持つ準自治領だ。居留地と違って、ナバホ独自の法典もあるし、大統領府、議会、最高裁判所という三権分立による政府もある。ナバホの国旗も国立病院も国立大学もある。

 ナバホ国は、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコの3州にまたがり、コロラド州に接している。その面積は7万1000平方キロだから北海道よりも少し小さいくらい。そこに全ナバホ族33万人のうち、17万3000人が住んでいる。

 ナバホ国にはいちばん近い大都市フェニックスから車で5時間くらいかかる。ナバホ国の国境には何も目印がない。でも、地平線いっぱいに広がる荒野の向こうに赤い色の奇妙な形の岩山(かたちのいわやま)が見えてくる頃には、もうナバホ国に入っている。

 岩山(いわやま)が並んでいるのが有名なモニュメントバレー。ジョン・フォード監督の『駅馬車(えきばしゃ)』(1939年)をはじめ、数々の西部劇がここで撮影された。

 まず、メディスンマンのダンさんに会った。メディスンマンは医療と祭祀(さいし)を司り(つかさどり)(昔、両者は一体だった)、伝統や伝説、歴史を語り継ぐ仕事。

「先住民と呼ばれるけど、我々も移民です。遠い遠い昔にアラスカのほうから南下してきました」

 ダンさんは学校でもナバホ語を教えている。

「私たちがナバホ語をしっかり継承しているのを知って、シベリアの先住民に招かれました。彼らの言葉を保存するために参考にしたいからと」

 ダンさんは飛行機に乗ってはるばるシベリアを訪れた。

「するとみんなナバホと同じ顔をしてるんです。それだけじゃない。言葉の多くがナバホと同じでした。私たちは何千年か前にシベリアからはるばるやって来たんです。だから『暗く寒い世界から来た』と言い伝えられてきたんです」

 次にモニュメントバレーで撮影した映画の資料を保存する博物館に行った。ジョン・フォードは『駅馬車』以降も、『荒野の決闘』『アパッチ砦(』『黄色いリボン』『捜索者』『シャイアン』などほとんどの西部劇をこのモニュメントバレーで撮った。

「ジョン・フォードの西部劇に出てくる先住民はみんな、この近所に住むナバホ族が演じているんだ」

 モニュメントバレーの映画博物館でガイドをしているラリーさんは言う。

 でも『アパッチ砦(とりで)』はアパッチ族の話だし、『捜索者』はコマンチ族、『シャイアン』はシャイアン族の話だ。

「それぞれの部族に見えるように服装や髪型(かみがた)を変えているけど、話してる言葉はどの映画でもナバホ語さ」

 ナバホは後ろ髪を束ねて「みずら」のようにする。その形は大空(おおぞら)と大地(だいち)を表現しているという。ナバホ国は見渡す限り大空と大地が広がっている。ラリーさんは「大空と大地の間を馬に乗ってどこまでも駆けていくのが好きなんだ」と言う。

「私はナバホの若いもんを連れて馬に乗せて1週間くらい荒野で暮らすキャンプをやってるんだよ。大空と大地の間にいれば酒もドラッグも吹っ飛んじゃうさ」

 そのキャンプは酒やドラッグの問題を抱えた青年たちのためのリハビリだという。

 ナバホ国に限らずアメリカの先住民たちにとってアルコールは白人が持ち込んで以来、ずっと問題になってきた。

 入植した白人たちは先住民にウィスキーを与えた。先住民は強いアルコールに耐性がないうえに、土地を奪われ尊厳を奪われたトラウマで酒に溺れ、心と体と生活を壊された。それでナバホ国では酒を禁じた。東北地方全体よりも広い国土内(こくどない)に酒屋(さかや)やバーは存在しない。ホテルやレストランでも酒を出すのは禁じられている。

遺伝的に多い病気

「私の娘はユダヤ人と結婚して、カリフォルニアでワイン・レストランを経営してるのよ。ナバホがお酒を売るなんてとんでもないけどね」と語るのは、モニュメントバレーの近くのレストランを経営するジュリーさん。羊肉(ひつじにく)を中心にしたナバホ料理を出している。

 観光客相手の商売なので、コロナの間は本当に苦しかったという。

「観光客が来なかっただけじゃなくて、ナバホはコロナでいっぱい亡くなったの。遺伝的に糖尿病が多いから」

 ナバホ族の糖尿病の有病率は白人の4倍。コロナでは3万1000人が感染し、1900人が亡くなった。ナバホ国は全米で最も死亡率が高かった。

 ナバホ国は様々な問題を抱えている。観光と牧羊(ぼくよう)が主な産業だが、貧困率は40%。失業率も40〜45%。犯罪や行方不明者も多い。ナバホ警察は約300人いるが、北海道並みの広さをたった300人でカバーできる?

「だから最近は各州の警察も入ってきてるね」

 今年70歳になるゲイリーさんは言う。

「ここはナバホ国と連邦政府と3つの州が重なり合っているから行政が複雑だ」

 インフラはどこの管轄なのか押し付けあっている。

「たとえば学校は各州の管轄だ。電気は連邦も州もやらないから、ほとんどの家に電気がない」

 モニュメントバレーにある発電用の巨大なソーラーパネルと、雨期の水を備蓄する貯水池は、ナバホ国政府が作ったそうだ。

「水道がある世帯はまだ3割くらいだ。連邦政府の管轄のはずだけど」

 かつてナバホ族は川の近くに住んでいた。しかし、1860年代、アメリカ政府は川から離れた地域に強制移住させた。だから、ナバホ国は連邦政府には水道を引く義務があると訴えていたが、6月22日、連邦最高裁は、連邦政府にその義務はないと判決した。ナバホの苦難は終わっていない。