室町ワンダーランド 第50回 清水 克行 2023/04/22

ラブホテル取締り令 --- 

 この連載も第50回、おかげさまで開始から1年が経とうとしている。これまで色々とよもやま話を書いてきたが、いま僕自身が いちばん力を入れている研究については、まだ一度も書いていなかった気がする。

 今から9年前、僕は、同じ分野を研究している桜井英治さん(東京大学大学院教授)と、『塵芥集(じんかいしゅう)』という法典を 読み解く異色の対談本を刊行した。『塵芥集』とは、戦国大名伊達稙宗(だてたねむね)が制定した分国法(領国法)で、知る人ぞ知る有名史料だ。 その内容は詳細を極め、道路の通行法から夫婦喧嘩まで、様々な戦国時代の猥雑な(わいざつな)トラブルとその対処法が具体的に171条にわたって書かれている。

 当然、研究者のあいだでは古くから知られていた史料なのだが、実は読み解くのは決して容易ではない。その証拠に、有名なわりに今まで全文の 現代語訳は誰も行っていないのだ。難解である最大の理由は、ふつう分国法というのは法律に明るい官僚たちが草案(そうあん)を作り、それを大名当主の 名前で公布するものなのだが、『塵芥集』の場合、どうやら伊達稙宗自身が誰にも相談せずに独力でこしらえてしまったらしいことだ。

 現代でも、あまり出来の良くないワンマン経営者が、やたらと社内に我流(われりゅう)の訓示を貼り出したり、社内の広報誌に推敲(すいこう)不十分な檄文(げきぶん)を 載せたりして社員の顰蹙(ひんしゅく)を買うという話をたまに聞くが、『塵芥集』もちょっとそれに近いところがある。どうでもいい些末な(瑣末な、さまつな)ことをダラダラ 書いているかと思えば、肝心なことは言葉が足りなかったりする。そのため読んでも、いったい稙宗が何を言いたいのか、さっぱり分からないのだ。

 桜井さんと僕は、この奇妙な法典(ほうてん)をネタにどんな解釈が可能か、編集者Hさんの企画で、稙宗の居城(きょじょう)桑折西山城(こおりにしやまじょう) 近くの福島県の土湯(つちゆ)温泉に2泊3日で泊まり込み、縦横無尽(たてよこむじん)に語り合うガチンコ対談を行ったのだ。旅館に軟禁され、ひたすら対談収録と 温泉休憩を繰り返す3日間は、さながら将棋の名人戦のようでもあり、杉田玄白(すぎた げんぱく) と前野良沢(まえの りょうたく)の『ターヘル・アナトミア』の 翻訳作業のようでもあり、僕の研究者人生のなかでも最も楽しく濃厚な3日間だった。

 たとえば『塵芥集』第163条には、こんな条文がある。

 一、密懐(びっかい)の事、押して嫁(とつ)ぐも、たがいに和(やわ)らぐも、媒宿密懐」なくして、これあるべからず。かくのごとくの輩(ともがら)、同罪たるべきなり。

 ここに出てくる「媒宿」というのは、男女が逢瀬(おうせ)を遂げる宿屋。今で言えばラブホテルに当たるような場所である。室町~戦国時代の恋人たちがどのように出会い、 どのように愛を育んだ(はぐくんだ)のか、実は具体的なことはあまり分かっていない。双方に家族がいる場合、どこか野外の人目につかない場所で落ち合わなければならない。 そうしたとき、この「媒宿(なかだちやど)」が存在意義を発揮したのだろう。こうした宿屋の存在は当時の他の史料からは一切確認できないもので、史料としての 『塵芥集』の面白さは、こういうところにある。

 ところが、この条文をちゃんと解釈しようとすると、意外に難物(なんぶつ)だ。「密懐(びっかい)」とは今で言えば不倫のこと。「嫁ぐ」とは性愛関係をもつこと。だから、 この条文は従来の研究では次のように解釈されてきた。

不倫は、無理やりだったとしても、合意のうえだったとしても、媒宿以外で行ってはならない。不倫するような者は男女とも同罪である。

 しかし、この解釈を裏返せば、「媒宿だったら不倫しても良い」ということになってしまう。媒宿以外では不倫は厳禁だが、媒宿ではやり放題。媒宿は稙宗も認める“ 自由恋愛空間”だったことになってしまう。

史料に沈潜する喜び

「そんなはずないだろう(笑)」と口を開いたのは、一緒に対談した桜井さんだ。桜井さんは、文中の「媒宿なくして、これあるべからず」という一文は「媒宿以外で不倫を してはならない」ではなく、「媒宿以外で不倫をすることはありえない」と解釈し(「べからず」は「禁止」ではなく「不可能」を表わす)、次のような全く異なる新解釈を生み出した。

 不倫は、無理やりだったとしても、合意のうえだったとしても、媒宿以外で行われることはありえないだろう。だから媒宿の経営者も同罪である。

 なるほど。こちらのほうが、どう考えても自然な文章だ。法の趣旨は、不倫の温床(おんしょう)となっている媒宿の経営者を狙い撃ちにしたものということになる。 当時の媒宿という場所の性格も、より明確になっている。

 万事こんな調子である。個人的には楽しい経験だったが、「ああでもない」「こうでもない」の繰り返しで、最終的に結論が出ないこともある不思議な対談本は、 一般の読者にはちょっと難しかったようだ。ところが、この奇妙な対談本に、意外にも同分野の大先輩、村井章介さん(東京大学名誉教授)が反応してくれ、 自分だったらこう読む、という新たな代案なども提示してくれた。これに意を強くした編集者Hさんが勢いづき、気がつけば今度は三人で、対談ではなく『塵芥集』の 全訳に取り組もうという話になってしまった。

 こうして、ここ数年、僕らは月1回3人で集まって、『塵芥集』の全訳に取り組んでいるのだ。70代、60代、50代と三つの異なる世代の研究者が半日にわたって数行の 文章にかぶりついての真剣勝負である。「三人寄れば文殊の知恵」で、さぞかし仕事は捗(はかど)るかと思われるだろうが、さにあらず。解釈は三者三様、三つ巴(みつどもえ)で、 渋滞を繰り返している。

 ただ僕などは、教員になって他人から自分の史料解釈にダメ出しされる経験もすっかり無くなってしまっている。そうしたなか、この勉強会では先輩2人からの猛攻撃を うけ、毎回けっこう心地良い(ここちよい)刺激を受けている。新たな発見の喜びもあり、この会は、今では僕が成長することができる数少ない大事な勉強場所になっている。

 覚えているだろうか。連載初回で、僕は歴史学者には必要な「三つの力」があるのではないかと書いた。そのうちの一つは「自身の内面から生み出された研究への情熱」で あることは、すでに述べた。残る二つのうち一つは、僕はこうした史料への沈潜(ちんせん)に喜びを感じることができる力なのではないかと思っている。いくら純粋でも 、思い入れだけでは研究にはならない。なにより史料の世界に耽溺(たんてき)できる歴史家を、僕は信用する。とはいえ3人共作の全訳が完成するのは、まだまだ先の予定である。