第593回 池上 彰 2023/11/17

アメリカはなぜイスラエル寄りか

 パレスチナのイスラム武装勢力ハマスによるイスラエル攻撃で、多数のイスラエル人が殺害されたことは衝撃でした。

 その一方で、イスラエル軍のガザ攻撃で、パレスチナの一般市民が犠牲になっているのを見るのもやりきれません。イスラエル政府に対し、停戦を呼びかけても、ネタニヤフ首相は受け入れません。なぜそんなに頑なな(かたくなな)のか。そこには、ユダヤ人たちの恐怖心があります。

 イスラエルを攻撃したハマスの戦闘員は、一般市民を見境なく(みさかいなく)殺害しました。このときハマスは殺害の様子を動画に収めていました。イスラエル軍がハマスの戦闘員を殺害して動画を入手(にゅうしゅ)すると、防犯カメラの映像などとともに公表しました。そこには、一般家庭に突入した戦闘員が、子どもの前で父親を爆殺し、それを見た子どもが泣き叫ぶ横で冷酷にも冷蔵庫からコーラを取り出して飲んでいる姿が映っていました。

 このような虐殺の様子は、イスラエルの人たちに、「イスラエルが攻撃されたのではなく、ユダヤ人が狙われた(ねらわれた)のだ」という恐怖心をかき立てました。そこで思い起こされたのは、第二次世界大戦中にヨーロッパでユダヤ人600万人が虐殺された歴史です。

 ユダヤ人たちが続々と強制収容所に送り込まれていたのに、これを阻止しようという動きは、ごく少数の例外を除き(のぞき)、起きませんでした。助けてくれる国はなかった。結局は、自分たちのことは自分たちで守るしかなかった。これが、ユダヤ人がイスラエルを建国し、自衛するようになった動機です。

 この思いを持っているからこそ、ガザへの攻撃で多くの一般市民が犠牲になっていることを他国が批判しても、ユダヤ人の多くは、「では、ユダヤ人が苦境に立ったとき、我々を守ってくれるのか」と反発してしまうのです。

 こうしたイスラエルの態度に対しても、アメリカ国内では断固支持する人たちが多くいます。そもそもユダヤ人の歴史を見ると、アメリカでもユダヤ人差別があったのに、今はどうして支持する人たちが大勢(おおぜい)いるのでしょうか。

 以前にも取り上げたことがありますが、ユダヤ人が差別されることになった根拠はキリスト教の『新約聖書』にあります。たとえば「マタイによる福音書」の中には、イエスに対する死刑執行をためらうローマ帝国の総督に対し、集まったユダヤ人の群衆が「十字架にかけろ」と言い、「その血の責任は、我々と子孫にある」と言ったと記述されています。イエス殺しの責任が、自分たちの子孫に及ぶことを認めているというのです。

 また、イエスが処刑された後、キリスト教の教えを大きく広めたとされるパウロによる「テサロニケの信徒への手紙」の中には、次のような一節があります。

聖書の記述が差別にも支持にも

「ユダヤ人たちは、主イエス(あるじイエス)と預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、(中略)いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです。しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます」(『新共同訳 聖書』)

 この記述が根拠になってユダヤ人たちはキリスト教社会で差別されることになります。ヨーロッパでの差別を逃れてアメリカに渡ったユダヤ人たちは、そこでも差別を受けます。

 それでも生き延びるために必死になって働いたユダヤ人たちは、政財界で地歩を築き、同じユダヤ人たちによって建国されたイスラエルを支援するために、アメリカ政府を動かします。結果、イスラエルが建国された後、アメリカは全面的にイスラエルを支援し続けます。

 それだけではありません。アメリカ国民の中にはユダヤ人に対する差別意識を持つ人もいますが、一方でイスラエルを熱烈に支持する人たちもいるのです。それがアメリカの「福音派」です。

 福音派は、聖書に書かれたことは一字一句(いちじいっく)真実だと信じています。聖書とは『旧約聖書』と『新約聖書』の双方です。ちなみに『旧約聖書』は、ユダヤ教の聖書とほぼ同じもの。『新約聖書』はイエスの言行録を中心に編集され、イエスによって人類は神と新しい契約を結んだとの内容から「新約」といいます。それまでの聖書は神との古い契約になったということから「旧約」とされています。

 キリスト教福音派は『旧約聖書』に書かれていることも全て真実だと考えています。『旧約聖書』の中には、エジプトで奴隷になっていたユダヤ人に対し、神が「カナンの地を与える」と約束したことが記されています。このカナンの地が、パレスチナであり、現在のイスラエルが存在する場所です。この土地が「約束の地」なのです。

 ということは、福音派にとって、ユダヤ人がイスラエルを建国したのは、神の意思に沿った行いということになります。神によって約束された土地を守るイスラエルの行為は神の意思なのです。

 さらに福音派は、昇天したイエスが、「この世の終わり」が到来するときには地上に降臨(こうりん)し、人々を導いてくれると信じています。そのためには、イエスが降臨する土地を神から与えられたユダヤ人が守っていなければならないのです。

 福音派はアメリカ国民の4分の1を占めていますから、政治家にとって無視できない存在です。福音派は選挙になると、支持候補にせっせと献金をして選挙運動に熱心に取り組んでくれますから、政治家にとって大事な存在なのです。結果としてアメリカはイスラエル支持になるのです。

 キリスト教徒によって差別されてきたユダヤ人たちが、熱心なキリスト教徒によって支持される。不思議な構図は、聖書によってもたらされているのです。