池上彰のそこからですか!? 第590回 2023/10/27
イスラエル、レバノン国境でも緊張
イスラエルに対するハマスの攻撃は、多くの市民を無差別に殺戮(さつりく)するものでした。イスラエル国民の多くが、ナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を想起(そうき)したと言われます。身の毛(みのけ)がよだつような(hair‐raising)惨事ですから、イスラエルの人たちの怒りはよくわかります。
その一方、イスラエル軍による報復攻撃で、ガザの一般民衆(いっぱんみんしゅう)にも大きな被害が出ているのを見ると、やりきれません(たえられない)。
さらに、ハマスの攻撃以降、イスラエル北部のレバノンとの国境付近でも、レバノンにいる武装組織ヒズボラとイスラエル軍との戦闘が伝えられて(つたわれて)います。これがもし本格的な戦争になったらどうなるのか。ますます不安が募ります。そこで今回は、ハマスではないイスラム武装勢力ヒズボラとは何かを解説します。
日本ではヒズボラと発音していますが、原音に近い表記はヒズブッラー。「神の党」という名称のイスラム教シーア派の武装勢力です。この組織の宗教行事「アーシュラー」を2012年にレバノンの首都ベイルートで取材しました。
シーア派とは「アリーの党」のことで、イスラム教創始者(そうししゃ)ムハンマドの従弟(じゅうてい)で娘婿(むすめむこ)のアリーの血筋を引く者が信者を統率すべきだという考えを持っています。このアリーの次男フサインが敵対勢力によって殺されたことを追体験する行事がアーシュラーです。男たちは上半身裸になって、手に持った鎖で我が身を打ち、血まみれになってフサインの無念に思いを致します。この毎年恒例の行事によって、世界中のシーア派教徒の団結心(だんけつしん)が固められています。
ベイルートではヒズボラの支持者を含め10万人が「アメリカに死を!」「イスラエルに死を!」とスローガンを叫びながら行進していました。ヒズボラが抱える戦闘員は最大4万5000人とされており、組織力(そしきりょく)たるや(…と言えば。…に至っては)、かなりのものです。
このヒズボラが結成されたのは1982年のこと。イスラエル軍が同年6月にレバノン南部に侵攻した際、イランの革命防衛隊によって創設(そうせつ(されました。
イランでは、イラン・イスラム革命によって1979年に成立したシーア派の政権が「革命の輸出」を始めます。つまり自らのシーア派の思想を他国に広め、アラブ諸国にもイスラム原理主義の政権を樹立しようと考えたのです。そこでイラン軍とは別に革命防衛隊を創設して周辺国家に浸透を図ります。レバノンにも触手(しょくしゅ)を伸ばし、レバノンに侵攻してきたイスラエルに対して戦おうと呼びかけて組織を拡大しました。
では、なぜイスラエルが当時レバノンに侵攻したのか。
この頃は、まだ「オスロ合意」が実現していませんでした。オスロ合意によってパレスチナ自治区でのパレスチナ人による自治が始まったのは1994年のこと。それより前のこの頃は、アラファト議長率いるPLO(パレスチナ解放機構)が反イスラエルの武装闘争を繰り広げていました。その拠点がイスラエルの隣国レバノンだったのです。
イスラエル軍、ベイルートも爆撃
そもそもなぜパレスチナで紛争が続いているのか、オスロ合意とは何か等(なにかなど)は、先週号の拡大解説を読んでいただくことにして、イスラエルにとって当時のPLOは宿敵(しゅくてき)だったのです。相次ぐ中東戦争で多くのパレスチナ難民がヨルダンに逃げ込み、難民キャンプができていました。PLOは当初、このヨルダンを拠点にイスラエルを攻撃していました。しかし攻撃のたびにイスラエル軍が報復のために越境(えっきょう)してヨルダンを攻撃してきます。そこでヨルダンのフセイン国王はPLOを危険な存在と考え、1970年9月、退去を命じます。反発したPLOは激しく抵抗。多数の死者が出る事態となりました。これが「ヨルダン内戦」です。
結局、PLOはヨルダンを退去し、今度はレバノンの首都ベイルートに拠点を移してイスラエルへの攻撃を続けたのです。PLOが隣国から攻撃してくるため、イスラエルはPLOが拠点を置いていたレバノン南部に侵攻して占領。国境を越えて攻撃するのは乱暴なことですが、イスラエル軍の攻撃はそれに留まりませんでした。ベイルートにも反イスラエルの軍事組織の拠点があると主張して、激しく空爆したのです。
その後もイスラエルはレバノン南部に駐留しましたが、イランの支援を受けたヒズボラが次第に力をつけてイスラエル軍を攻撃するようになります。これでイスラエル軍の兵士に多くの犠牲が出るようになったため、イスラエル軍は2000年にレバノンから撤退(てったい)しました。
その後、2006年にもレバノンに侵攻し、ベイルートを空爆しましたが、このときは大規模な戦闘には発展せず、イスラエル軍はまもなく撤退しました。しかし、互いに国境を挟んで睨み合って(にらみあって)きたのです。
いまイスラエルと戦っているハマスはイスラム教のスンニ派ですが、ヒズボラはシーア派。本来は共闘することが考えにくいのですが、イスラエルは共通の敵。「敵の敵は味方」というわけで、ヒズボラとハマスは連携を強めています。
今回ヒズボラがイスラエルに対してロケット弾などを撃ち込んでいるのは、これによりイスラエル軍の一定の戦力をレバノン国境付近に引き付けて、ガザ攻撃に振り向けるイスラエル軍の戦力分散を図ろうとしているものと見られています。
ヒズボラはレバノン国内で政治にも進出して国会議員まで出しています。ヒズボラの軍事力は、イランの支援を受けて強力となり、ハマスよりはるかに強大。レバノン政府軍を上回るほどで、レバノン政府はヒズボラに太刀打ち(たちうち)できないのです。今後ヒズボラがイスラエルに対する本格的な攻撃に出るかどうかは、背後にいるイランが決定権を持っています。イスラエル軍のガザへの攻撃の様子次第で、さらに戦線が拡大するかもしれません。なんともやりきれない事態が続いているのです。
アラビア語で「神の党」「アッラーの党」を意味す(ḥizb, ヒズブ, 「集団、徒党;政党」の意)とイスラームなどのセム系三大宗教の唯一神のアラビア語名称 (Allāh, 実際の発音:ʾallāh, アッラー)の2語から成る。
- 国ごとのイスラム教の分布。緑系はスンナ派、赤紫系はシーア派、青はイバード派