池上彰のそこからですか!? 第576回 2023/06/30
自公はどうして連立を?
このところ連立を組む自民党と公明党の選挙協力をめぐって、軋み(きしみ)が生じているというニュースがあります。
今回のきっかけは、次の衆議院選挙で選挙区の区割り(くわり)が変更になり、東京で5つの選挙区が増えることになったことです。公明党が自民党に対して、候補を立てる選挙区を増やしたいと要求したところ、東京の自民党が難色を示しました。怒った公明党が「東京都内の全ての自民党候補に推薦を出さない」と通告したという出来事です。
東京都内選出の自民党衆議院議員の中には公明党の推薦がないと当選が覚束ない(おぼつかない、うまくいきそうもない)人たちがいるため、騒動になったのです。公明党が推薦を出すということは、公明党の支持母体の創価学会(そうか‐がっかい)の人たちが投票してくれるということです。創価学会の票は、小選挙区で平均約2万票はあると言われています。自民党議員の中には、これまで公明党の推薦を受けていてもライバル候補との差が2万票より少ない人がいるため、創価学会の人たちが投票してくれなくなったら落選してしまうというわけです。
では、そもそも自民党と公明党の連立は、どうして始まったのでしょうか。公明党の支持母体の創価学会から解説しましょう。
創価学会は日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の信徒団体でした。日蓮の教えを受け継ぐ宗派(しゅうは)としては、日蓮宗と日蓮正宗があります。どちらも「南無阿弥陀仏(なむ‐あみだぶつ)」ではなく「南無妙法蓮華経(なむ‐みょうほうれんげきょう)」と唱えることで、誰もが仏の境地(ふつのきょうち)に入ることができると考えます。日蓮が亡くなった後、後継をめぐって日蓮宗と日蓮正宗に分裂。日蓮宗の本山(ほんざん)は山梨県の身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)ですが、日蓮正宗は身延山を離れ、静岡県富士宮市(ふじのみやし)の大石寺(たいせきじ)が本山です。
この日蓮正宗の信徒団体として発展したのが創価学会ですが、本山の大石寺と対立。大石寺は1991年に創価学会を破門します。その結果、創価学会は日蓮正宗とは関係を断ちます。日蓮正宗の信徒団体だったときは、会員が亡くなると、日蓮正宗のお寺の僧侶が葬式を執り行いましたが、現在は会員たちだけで執り行っています。
この創価学会は、仏法の教えを政治に生かそうとして、1961年、「公明政治連盟」を設立。1963年、東京都議会議員選挙に候補者を立てます。ここで一気に17議席を獲得します。この成果を受けて翌年の1964年11月、公明党が結成されました。当時の池田大作(いけだ だいさく)創価学会会長の発議によるものでした。国政選挙に乗り出すことになったのです。東京オリンピック開催の翌月のことでした。
それまで各地の選挙管理委員会は「公明選挙」を呼びかけていました。要は「公明正大な選挙を」という意味だったのですが、公明党という名称の政党ができてしまったため、「公明選挙」という呼びかけは断念。以後は「明るい選挙」を呼びかけることになったのです。
「政教分離」に反するか
公明党が国政に進出すると、創価学会員たちは全力で選挙運動に取り組み、国会議員を増やしていきます。選挙になると、学校時代の同級生から突然電話がかかってきて、投票を依頼されたという経験をお持ちの人も多いことでしょう。これは創価学会の中で「F票」獲得と呼ばれます。Fはフレンドのこと。「友人たちに働きかけて票を獲得すれば功徳(こうとく)がある」と組織内では言われています。
公明党は「平和主義」を大事にする政党で、1970年代は防衛政策をめぐって自民党と対立することが多く、野党を貫いていました。社会党や民社党(当時存在した政党)などと一緒になって自民党に対抗することも多く、自民党にとって目障りな(めざわりな)存在でした。
創価学会が設立した政党なので、「政教分離に反する」という批判もありますが、国会の論戦の中で、憲法が規制しているのは「国家権力」の側で、創価学会という支持団体(宗教法人(しゅうきょうほうじん))が公明党という政党を支援することは、憲法違反にならないということになっています。「政教分離」の原則は政府がある特定の宗教を擁護(ようご)したり、国民に強制したりするようなことを禁じており、一方で信教の自由、言論の自由、結社の自由は認められているというわけです。
とはいえ、公明党が野党として存在感を強めると、自民党議員の中には「公明党は政教分離に反する存在ではないか」と批判する人たちもいたのです。しかし、1998年の参議院選挙で自民党が議席を大幅に減らすと、背に腹は代えられぬとばかり(Necessity has no law.)、公明党に接近します。
公明党は公明党で、与党の一員になった方が、自らの政策を実現しやすいと考えました。その結果、1999年に自民党と自由党、公明党との連立政権が発足します。その後、自由党は連立を離脱しますが、離脱に反対した自由党議員は保守党を結成して自民党との連立を維持、やがて自民党に合流して、現在の自公連立政権の形になります。
自民党としては選挙で勝つために創価学会の票が欲しい、公明党は創価学会の会員の要求を実現するためには与党でいた方がいい。結果、連立政権が続いています。
たとえば2020年、安倍内閣はコロナ禍で経済的に困窮している世帯向けに30万円を支給する計画を立てていましたが、公明党が全国民に一律10万円を支給すべきだと主張し、当初の計画を変えてしまいました。自民党は公明党に頭が上がらないのですね。これに反発する自民党議員もいるのですが。
いつも自民党と一緒の公明党。まるで「自民党の下駄の雪(げたのゆき)」と批判されることがあります。これを私がテレビ東京の選挙特番で質したら(ただしたら)、公明党の山口那津男代表は、「公明党は下駄の鼻緒(はなお)として下駄の向きを決める」と答えています。中道政党として自民党の右傾化(うけいか)にブレーキをかける役割があると考えているのです。
日蓮(にちれん、承久4年(1222年)2月16日[1] - 弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(にちれんしゅう)](法華宗(ほっけしゅう)の宗祖。
- ちゅうどうせいとう【中道政党】
- 保守政党ほしゅせいとうと革新政党かくしんせいとうの中間にたった政策せいさくを主張しゅちょうする政党せいとう。今日の政党せいとうには,社会や経済けいざいのしくみをできるだけ変かえないで政治せいじ上の問題を解決かいけつしようとする保守政党ほしゅせいとうと,政治せいじ上の大きな問題の解決かいけつのためには社会や経済けいざいのしくみを変かえなければならないとする革新政党かくしんせいとうがある。しかし最近さいきんでは,保守ほしゅと革新かくしんの区別くべつがあいまいになったり,保守ほしゅと革新かくしんという分け方に不満ふまんな人も多くなったりして,両者の中間にたった中道政党せいとうを支持しじする人も少なくない。