池上彰のそこからですか!? 第575回 2023/06/23
戦争にもルールがある
戦闘が続くウクライナで、水力発電所のダムが決壊(けっかい)し、広い地域が浸水して犠牲者が出ています。ダムの決壊について、ウクライナもロシアも「相手がやった」と主張しています。現時点で、どちらが実行(じっこう)したのか確証(かくしょう)は得られませんが、状況証拠(じょうきょうしょうこ)は集まりつつあります。
まず、このダムと水力発電所は、去年からロシア軍が占領していること、ダムは、外部からのミサイル攻撃程度では決壊しないこと、アメリカ軍の偵察衛星(ていさつえいせい)が、ダムのあたりで爆発の閃光(せんこう)を捉えて(とらえて)いること、ノルウェーの地震計(じしんけい)に、地震ではなく爆発(ばくはつ)による振動波が記録されていることがわかっています。
となれば、答えは自ずから明らかでしょう。何者かが、ロシア軍が占領している水力発電所のダムの内側に大量の爆薬(ばくやく)を仕掛けて爆発させたという筋書き(すじがき、plot)が見えてきます。そんなことができたのは、どちらかということです。
ましてウクライナ軍が、自国の領土に古くから存在するダム(ソ連時代に建設)を自ら破壊(はかい)して領土を浸水させることは考えにくいでしょう。ただし、ダム決壊によって、ウクライナ側ばかりでなくロシア軍支配地域でも浸水の被害が出ています。
そこで考えられるのは、ロシア軍が、自軍の支配地域に被害が及ぶことを覚悟(かくご)の上でダムを破壊したということでしょう。所詮(しょせん、after all)は自国の領土ではないですから。
大規模(だいきぼ)な浸水が起きたことで、ダムの下流(かりゅう)のドニプロ川は氾濫。川幅が広がって、ウクライナ軍は川を渡るのが困難になりました。
さらに川岸付近(かわぎしふきん)が水浸しになったことで、地面はぬかるみ、戦車(せんしゃ)や装甲車(そうこうしゃ)が通れなくなってしまいました。こうしたことから、ロシア軍がウクライナ軍の大規模な反攻(はんこう)を阻止(そし)するために実行した可能性が高いと考えられます。
どちらが実行したにせよ、これは明白な戦争犯罪です。変な話ですが、戦争にもルールがあるのです。戦争は互いに相手を殺そうと戦うもの。究極(きゅうきょく)の殺人ですが、そこでも、「これだけはやってはいけない」という禁止事項があるのです。
これは、過去の数々の戦争で、捕虜(ほりょ)を殺害したり、病院を攻撃したり、民間人に被害を与えたりという悲惨な(ひさんな)出来事が起きたからです。
そこで、第二次世界大戦後の1949年に、「戦争中にやってはいけないこと」をまとめ、4つの条約がスイスのジュネーヴで締結(ていけつ)されました。これを「ジュネーヴ諸条約(しょじょうやく)」といいます。さらに1977年に「追加議定書(ついかぎていしょ)」が採択(さいたく)されました。これらの条約を「戦時国際法」あるいは「国際人道法」と呼びます。「戦争犯罪」は、ここで禁止されている非人道的な行為のことです。外務省のウェブサイトによると、最初の諸条約は、「武力紛争が生じた場合に、傷者、病者、難船者(なんせんしゃ)及び捕虜、これらの者の救済にあたる衛生要員及び宗教要員並びに文民を保護することによって、武力紛争による被害をできる限り軽減することを目的とした」というもので、日本は1953年に加入しました。
ダムの破壊は戦争犯罪
さらに追加議定書は「武力紛争の形態が多様化・複雑化したことを踏まえ、文民(ぶんみん、civilian)の保護、戦闘の手段及び方法(ほうほう)の規制等の点で、ジュネーヴ諸条約を始めとする従来の武力紛争に適用される国際人道法を発展・拡充(かくじゅう)したもの」で、日本は2004年に加入しました。
ロシアもウクライナも批准しています。
では、このうち追加議定書の条文の一部をみてみましょう。外務省の日本語訳です。
第51条 文民たる住民の保護
-
文民たる住民及び個々の文民は、軍事行動から生ずる(しょうずる)危険からの一般的保護を受ける。この保護を実効的なものとするため、適用される他の国際法の諸規則に追加される2 から 8 までに定める規則は、すべての場合において、遵守する。
-
文民たる住民それ自体及び個々の文民は、攻撃の対象としてはならない。文民たる住民の間に恐怖を広めることを主たる目的とする暴力行為又は暴力による威嚇(いかく)は、禁止する。
-
文民は、敵対行為に直接参加していない限り、この部の規定によって与えられる保護を受ける。
(以下4、5、6、7、8と続く)
「文民たる住民」という表現がわかりにくいですね。一般的な住民であっても、戦闘に参加することはありえます。その場合は戦闘要員として保護の対象にならない場合もあります。ここでは戦闘に参加しない住民のことです。メディアでは「民間人」と表現されますね。
第56条 危険な力を内蔵する工作物(こうさくぶつ)及び施設の保護
- 危険な力を内蔵する工作物及び施設、すなわち、ダム、堤防及び原子力発電所は、これらの物が軍事目標である場合であっても、これらを攻撃することが危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときは、攻撃の対象としてはならない。これらの工作物又は施設の場所又は近傍(きんぼう)に位置する他の軍事目標は、当該他の軍事目標に対する攻撃がこれらの工作物又は施設からの危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらす場合には、攻撃の対象としてはならない。
(以下2、3、4、5、6、7と続く)
ダムや堤防、原子力発電所は「危険な力を内蔵」しているのですね。だから、これらを攻撃対象にしてはいけないのです。これまで捕虜の虐待や民間人の虐殺などを繰り返してきたロシア軍ですが、ダムの破壊は戦争犯罪だということを改めて言わなければならないのです。