夜ふけのなわとび 第1791回 林 真理子 2023/04/21
ありきたり
今年も恒例の「桃源郷ツアー(とうげんきょう)」に出かけた。各社の編集者たちとバスを仕立てて、山梨で美しい桃の花を満喫する、というものである。
年によっては、
「桃を存分に食べたい」
という声が強くなり、真夏に行なわれることもあるが、今年は花を愛でたい(I want to love (it))、という意見が強かった。
一宮御坂(いちのみやみさか)で高速を下りる。いつもならピンクのカーペットを敷いたような盆地(ぼんち)が見られるはずだ。 しかしそこにあるのは、爽やか(さわやか)な若葉の畑……。
いつもより1週間、花が散るのが早かったのである。
しかし今年初めてのコース、「ぶどうの丘」のテラスでのバーベキューが大好評(だいこうひょう)だ。地元のワインを飲みながら、 肉や野菜を焼いていく。その後は地下のカーヴに行き、皆でワインの試飲(しいん)をすることになった。1520円の小さな盃(さかずき)を購入すると、 いくらでも好きなワインを試せる(ためせる)のだ。
「山梨ってなんて太っ腹な(ふとっぱらな、generous)の!?」
みんな大喜びである。私は言った。
「昔はもっと太っ腹だったよ。ワングループ、ひと家族で、ひとつの盃をまわし飲みしていても誰も何にも文句言わなかったもの」
暗いカーヴには、山梨県産のワインがずらりと並び、樽(たる)の上で自分でどんどん瓶からついでいく。
ほとんどの人がこれに参加したが、私はパス。ずっと風邪気味だったのと、夜、東京で会食の予定があったからだ。私の他にも 飲まない人数人で展望台(てんぼうだい)でお喋りする。
輪の中心にいるのは、歌人の小佐野彈(おさの だん)さん。最近は小説家としても売り出し中だ。彼は短歌の楽しさを、私たちに説く。
「自己表現として、こんなに面白いものはないよ。一度始めるとたいていハマる。みんなでやろうよ」
彼は俵万智(たわら まち)さんたちと、『ホスト万葉集』を企画したのだ。
「でも短歌はすごく勉強しなきゃならないって、うちの母が言ってた」
私の母は何十年もやっていたけれど、短歌は、万葉から新古今(しんここん)といった古典を学ばなくてはならない、とても仕事の 片手間に出来るものではないので、手を出さないようにと言っていた。
「短歌より俳句の方が、ずっとむずかしいかも。あれこそ勉強しなけりゃならない」
と彈くん(ひくん)。
「僕は学生の頃から短歌をやっていて名を知られるようになると、小説を書こうって編集者がやってくる。他の有名な歌人もみんなそう。 だけどね、有名な小説家に、これから短歌をやりましょう、っていう人はいない。これっておかしいよね。文学のいきつく先は小説じゃないはずでしょう」
なるほどねえ、と皆が頷き、近いうちに歌会をやろうかということになった。
「これはね、皆の前でボロクソに言われて(to speak very ill o)すごく傷つく。でも面白いよ」
「歌会はやめて、歌部、ってことにしない、その方が気楽だし」
その前にまずは学ぼう、というまじめな私たち。その場で彈くんが薦める短歌入門書をアマゾンで買った。
そして短歌の話題の後で、皆が議論したのが、今、世界中で話題になっている、AIを使ったチャットGPTである。
“中高生の読書感想文”
このあいだ開発元のCEOが来日して、岸田総理と面会したと見ると、元グーグルの専門家が警告を出した。
「世界の全人口が実験台として利用されている」
ということである。しかしテレビの特集を見ていると、もうふつうに使われ始めているらしい。学生がインタビューに答えて、
「レポートこれでやってますが、とても便利です」
とハキハキ。
AI研究の第一人者である松尾豊先生も、
「近い将来、これを無視することは出来なくなるでしょう」
とおっしゃっている。
私も作家として、学生を預る者としてこれには無関心ではいられない。いろいろな意見を聞いている最中だ。
が、私はこれによって作った文章を読むたび、いつも中高生の読書感想文コンクールを思い出すのである。長いこと、この審査員をしていた。決めていたことがある。ありきたりのものは選ばない、ということだ。
たとえば、「走れメロス」の感想文があるとする。
たいていの作文は、
「私もこのように、友情を信じる人になりたいと思います」
で終わる。こういうのは選ばない。私がこれ、と思うのは、ありきたりのことを書かない文章。
「どうして友だちの命を預けたりしたんだろう」
「そもそも無理なことをしなければいいのに」
「ここまで相手を信じる根拠がよくわからない」
という疑問を投げかけ、そこから発展させたものを私は選んだ。
このコラムにしたってそうだ。私たちが長いこと、お金をいただける理由は、ただひとつ、
「人と同じことを書かない」
もちろん、誰が考えても同じことはある。それにしても書き方は変える。時には叩かれても炎上しても、
「私は違うことを考えている」
と訴え、時には、
「へえー、こんな考え方もあるんだなあ」
と思ってもらいたい。それが私の願いだ。
そして学生にこのチャットGPTを使わせたくなかったら、やるべきことはただひとつ。提出レポートは必ず手書きでさせること。パソコンを通すから、他人の考え方を自分のもののように錯覚する。ひと文字ひと文字、書き写していけば、そのおかしさに気づく、と私は信じているのだが。
ところで、今、「林真理子がチャットGPTについてエッセイを書く」と打ち込んだら、AIの回答は実にありきたりであった。