夜ふけのなわとび 第1806回 林 真理子 2023/08/11

ポリス

 夏になり女の子の浴衣姿(ゆかたすがた)をよく目にするようになった。

 とても可愛い。帯をセットで買うらしく、コーディネイトも素敵だ。最近目につくのは、浴衣にサンダルを合わせているお嬢さん。それは理にかなっているかもしれない。私にも経験があるが、慣れない下駄(げた)で外出するのは途中で拷問(ごうもん)になってくる。何度捨ててしまおうと思ったかしれない。袴にブーツというのもアリなのだろう。浴衣にサンダルというのは、これからのコンセンサスであろう。

 しかし世の中は私のように、寛大なおばさんだけではない。聞いたところによると、“着物ポリス”というおばさんがはびこり、若い女性にあれこれ注意するという。親切心からであろうが、知らない人に帯やらあれこれいじられるのは気分のいいものではない。

 少し前のこと、結婚式に出るために訪問着姿(ほうもんぎすがた)でホテルへ向かった。トイレに入って、私はちょっと怯んだ(ひるんだ)。なぜなら私と同じぐらいのおばさんが3人、ぺちゃくちゃ中でお喋りしている。そしてじーっと私を見た。それはあきらかに、獲物を狙って(ねらって)いる目であった。

 用を済ませドアを開けた。女性は3人まだそこに立っている。そしてすかさず(at once)1人が叫んだ(さけんだ)。

「ちょっと、ちょっと、帯のタレ(お太鼓結び(おたいこむすび)の下端(かたん)が上がってますよ」

 トイレから出た後、後ろ向きになって鏡に映し、帯をチェックするのは当然のことである。が、女性はそれも許してくれないのだ。

「わかってるわよ。手を洗ってからしようと思ったのに、うるさいわね!」

 私は言いたかったが、もちろん黙っていた。そして、

「ありがとうございます」

 と素っ気なく(そっけなく)答えたのであるが、これが“着物ポリス”かとつくづく思った。若い女の子がこれをやられたら、どんなに不愉快であろうか。

 しかし私は今、ポリスになっている。それは“ワンコポリス”である。

 この記録的炎天下で、犬を散歩させる人はさすがにいないと思いきや、午前中の遅い時間や、早い夕暮れに犬を連れて歩く人は少なからず(たくさ)いる。

 私は犬を飼っていた時、朝の6時に歩かせていたが、それでも日射病(にっしゃびょう、sunstroke)になってしまった。

「せめて5時にしてください」

 と獣医(じゅうい)からきつく言われてしまった。

 しかし9時、10時によたよたと犬を歩かせている人は少なからずいる。そういう人に限って、スマホを見ているから嫌な感じである。

 先日、郷ひろみさんのコンサートを見ようとNHKホールに出かけた。が、友人と待ち合わせをした時間までかなりあった。私は代々木(よよぎ)公園まで歩き、ウーロン茶をぐびぐび飲みながらあたりを見わたす。

 いました、目の前にトイ・プードルを連れた若いカップル。男性は例に漏れず短パンにTシャツ。からむといちばんうるさいタイプである。

 飼い主にはプライドがあるのは確か。だから私はまず犬に声をかける。

「まあ、なんて可愛いワンコちゃんなんでしょう!」

 それから、

「でも道が熱くて、ちょっと可哀想かもしれないわね」

 ちらりとこちらを見る飼い主さん。不機嫌そうになるが、なんとかちょっとは気づいてほしいものだ。

40周年なのに……

 さて、私は他にも“ポリス”をやっている。それはあの有名な“整形ポリス”というもの。

 なぜならば、この頃私と同世代か少し下の女性たちが次々とやり始めたからだ。芸能人ならあたり前のことであるが、ものを書いたり、コメンテーターとして出ている女性がある日、違う顔になっているのにはびっくりする。

 文化人といわれる女性がやってはいけないのか、と問われそうであるが、はっきり言ってやり方がヘタ。女優さんやタレントさんなら、一流の医師が注意深くやるのであろうが、文化人の女性は、いきなり大規模にやるような気がする。そしてポリスたちの飲み会で好餌となる。

「〇〇さん、どうしてあんなことになっちゃったのかしら……」

「もともとキレイな人だったのに、どうしてあそこまでやるのかしら」

 が、このポリスは婦警だけである。男性で整形に気づく人はまずいないからだ。

 この頃少なくなったが、“自粛警察”もすごかった。コロナの最中、それ、マスクをしていなかった、宴会をしていた、といって怒る人たちである。

 その傾向は続いていて、ちょっと楽しそうなことをしている人たちを、徹底的に叩く。そんな人たちも見ているSNSに、旅行の様子をのせた自民党の女性議員たちは、本当に不用心(ぶようじん)だなあと思う。

 私などこのあいだもパリに1泊して、古市憲寿クンたちと評判のレストランでランチをしたが、それを書いても、

「ああ、そうですか」

 という感じ。文字というのは有難いもので、読む人は穏やかに受けとめてくれる。そもそも私のことを嫌いな人は、このページを開かないので、私の楽しむ様子を知らないのだ。

 これがもしレストランでの写真を、SNSにのっけたりしたら、悪口はいっぱいに溢れ返るに違いない。

 ところで今日、大学の秘書課の女性たちが花束(はなたば)をくれた。

「『夜ふけのなわとび』40周年おめでとうございます」

 なんと私も忘れていたが、1983年の8月に、この連載は始まっていたのだ。週刊文春の編集部も忘れている。担当者も何も言わない。

 ひどい。いくら今、気まずいことがあったとしても。私はこれからアニバーサリー・ポリス(anniversary police)になるからね。