夜ふけのなわとび 第1798回  林 真理子 2023/06/16

トシとったら

 このたび文藝春秋(ぶんげいしゅんしゅう)の新社長が決まった。

 古い読者の方は憶えておいで(御出で、「いること」の尊敬語)だろうか。この連載エッセイの初期によく登場していた「イイクボ青年」のことを。

 当時はファックスもなく、私が原稿を書く間、彼はずうっとテレビを見ていたものだ。その彼が出世階段をかけ上がり社長就任となった。

 長く作家業(さっかぎょう)をやっているが、担当編集者が社長になった、というのは初めての経験である。めでたい。何かいいことがあるわけではないが、嬉しいものである。そういえば、“上から目線”で有名であった、このページの元担当者、ハトリさんは、停年退職後の昨年、作家デビューを果たした。長年(ながねん)の恩に報いる(むくいる)ため、ちゃんと帯の推薦文(おびのすいせんぶん)を書いた私。そのせいとは言わないが、最初の歴史小説は売れゆきが好調で、重版(じゅうはん)となったそうだ。もう次回作も決まっているとか。よかった、よかった。

 編集者から作家になる人は昔から多くて、最近もマガジンハウスの元担当編集者が、純文学系の文芸誌の新人賞を受賞した。先日も三島賞(みしましょう)の候補になったばかりだ。

 マガジンハウスの編集者だから、おしゃれでカッコいい青年である。フジテレビのアナウンサー試験の最終に残ったという経歴が自慢だ。彼が三島賞を受賞したら、島田雅彦さん((しまだ まさひこ、1961年3月13日 - )以来の美男作家となったのに非常に残念である。次は頑張ってほしい。

 ところで考えてみると、いや、考えてみなくても我々作家は受注産業(じゅちゅうさんぎょう)。じっと待っていて、お仕事をいただくわけだ。編集者との関係はよくしておかなければならない。本が売れてくると威張ったり(イバったり)、私用に使う人がいるらしいが、とても信じられない話だ。

 作家はトシをとったら、ますます編集者に気を遣わなくてはならないのである。

 自分がもし若い編集者だったら、気を遣うジイさん、バアさんの作家のところなんかに行きたくない。それよりも若く売れてる作家をやりたいと考える。クラブ活動の延長のように、居酒屋で飲んだり、一緒に旅行に行った方がずっと楽しそう。

 話は変わるようであるが、先週の日曜日は、わが大学のワールド・カフェ。新入生1万5000人がいくつかの会場に集まり、ひとつのテーマでディスカッションするイベントだ。

 私もさっそく近くのキャンパスに行ってみることにした。思いっきり若づくりして、カジュアルな格好で出かけた。

 200人が5人ほどのテーブルに分かれる。

「理事長も参加してください」

 ということで、4人のグループに入れてもらった。まずいろんな学部の子が集まってくるので、胸に自己紹介のカードをつける。

 学部と名前、呼び名を書く。私はピンクのマーカーを使い、

「本部 マリコ」

 と記して胸に張った。

 が、まわりのコたちは固まっている。それでもあちこち歩くうち、

「一緒に写真撮ってください」

 というコも。新入生はピチピチしていて本当に可愛い。Ⅴサインはもちろん、手でハートをつくるようにと指示された。私もウキウキと楽しくなってくる。が、彼らから発せられるひと言、

「うちのお祖母ちゃんがファンなんです」

 そうか……とうなだれる。この頃、

「母がファンなんです」

 というフレーズには慣れたつもりであった。しかしついに「お祖母ちゃん」となったか。こうなってくると、電車で席を譲られる日も近いかもしれない。私はまだ経験していないが、あれはとてもショックなものらしい。

 断わると相手の人に悪いしと、おろおろして次の駅で降りることもあるとか。

 まあ、何を言いたいかというと、トシをとったら、社長になりそうな昔からの編集者にも、新しく担当になった編集者にも気を遣わなくてはならない。

おべべ道まっしぐら

 さて、今日理事長室に着物姿の女性が現れた。打ち合わせに着物でやってきた編集者は初めてである。単衣の藍染と生紬の帯という通の装い。高橋真琴風(これわかる人、かなりの年配かと)の花柄のパラソル。

「まあ、なんて素敵なの!」

「ハヤシさんのおかげで、おべべ道まっしぐらです」

 彼女は私が西郷隆盛の伝記を書いた時の担当者。あと3人の編集者とチームを組み、奄美大島や鹿児島を旅したものだ。その時彼女は大島紬(おおしまつむぎ)の魅力に触れたらしい。ボーナスをはたき、「銀座もとじ」さんで最初の一枚をこしらえた。

 それならばと、まだ着ていない、しつけ糸がついたままの宮古上布をあげたところ、驚喜乱舞した。喜びのあまり、わざわざ沖縄まで飛び、ヘアメイクまでつけ着物姿を撮ったことは既にここでお話ししたと思う。

「ハヤシさんがくださったあの宮古上布のおかげで、私の人生は変わりました。会社にも毎日着物で行ってます」

「へえー」

「ハヤシさんも、着物で大学通ったらどうですか」

「まさか。田中優子先生の真似してるのかと言われちゃうよ。それに朝のあわただしい時間に、着物着るなんて絶対に無理」

「慣れてしまえばどうということありません。それより明日、何着ていこうかと考える楽しさに比べれば」

「そんなに着物増えたの?」

「50代の私が着るとわかったら、70代、80代の方からいっぱいいただくようになりました。ハヤシさんにもこのあいだ写真を送った生成りの紬(つむぎ)は、90代の方からのものです。それからこの写真……」

 何枚も見せてくれる。

「〇〇〇さんからいただきました。帯も」

 〇〇〇さんは着物好きの作家である。しゅんとなる私。

「まあ……〇〇〇さんは私よりずっとお金持ちだから。私も今度、きっと何かあげるからね。見つくろっとくからね」

 他の作家の方々は、私よりずっと編集者を大切にしているのだ、とわかったのである。


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