夜ふけのなわとび 第1792回 2023/04/28

動き出した

「コロナで、もうクラシック業界はおわりだね」

 ある人が言った。

「クラシックは、中高年によって支えられてきたけど、もうそういう人たちが行かなくなったんだもの」

 私はオーケストラや器楽のコンサートにはあまり出向かない(でむかない)が、オペラは大好物(だいこうぶつ)。毎月のように新国立劇場(しんこくりつげきじょう)に出かけていた。

 しかし、確かにコロナの間中(あいだちゅう)、空席(くうせき)が目立つようになった。外国からの主役級が来なくなり(こなくなり)、日本人歌手が抜擢され(ばってきされ)大活躍したこともあったのに。

 それより心配だったのが歌舞伎(かぶき)であった。1階の観客を数えて18人、というのもこの目で見ている。ものすごくいい配役(はいやく)なのにびっくりだ。

「コロナが明けても、オペラや歌舞伎に行く習慣がなくなったとしたら、今後大丈夫なんだろうか」

 胸を痛めていたのであるが、それは杞憂(きゆう)に終わった。先日歌舞伎座に『新・陰陽師』を観に行ったらほぼ満席。嬉しかったのは、若い人たちがいっぱい来ていたことだ。

 私はかねがね(for a long time)「歌舞伎の創作(そうさく)もの」に懐疑的であった。面白いものにあたったことがない。へぇーっと思ったのは『ワンピース』くらい。あれは漫画の原作と歌舞伎とが、本当に幸せな“結婚”をした。

 全て見ているわけではないけれど、コミックなどが原作の新作は、

「どうしてこれを歌舞伎で見なくてはいけないのか」

 と首をかしげたくなるものばかり。歌舞伎の所作をパロディっぽく演じるのもなんかイヤな感じ。

 しかし『新・陰陽師』の場合、猿之助さんの演出はとてもオーソドックスであった。さまざまな演目の名場面をうまく取り入れているのも、パロディ[1] ではなく尊敬の念がある。

「ああ、歌舞伎って、なんて面白いんだろう」

 としみじみ思う。明日は夜の部『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』を観に行くことになっている。あの“切られ与三”だ。

 そして昨日は、新国立劇場の『アイーダ』を観に行った。

 前評判がすごく良く、公演が始まる頃には、

「もうチケット、1枚もないよ」

 新国立劇場25周年の演目は、ゼッフィレッリ演出の、豪華絢爛(ごうかけんらん)のグランドオペラなのだ。ものすごい人気で連日満席(れんじつまんせき)だという。それなのにどうして2人の秘書の分まで取れたかというと、発売になってすぐに申し込んだからだ。

 2人の秘書というのは、もともとの私の秘書と、日大本部で私についてくれている秘書の女性だ。なぜ新国立劇場に誘ったかというと、深い理由がある。

 先日、“創作オペラ”を観に行くつもりでチケットを2枚買っておいた。しかし風邪をひいたうえに、ホールは遠い千葉。行く気を失くして(なくして)しまっていたのである。

「せっかくだから2人で行ってきたら」

 とチケットを渡した。既に顔見知りの2人はとても嬉しそうに出かけていった。次の日。

「オペラ観るのは初めてですが、とても面白かったです。オペラって、あんな風に好き勝手やってもいいんですね。すごくエッチな場面もありました」

 という言葉を聞いて、

「そんなんじゃない」

 と首を横にふる私。

「オペラはそればかりじゃない」

 見てもいないのに乱暴であるが、彼女たちがオペラに対して、間違った認識を持ってはいけないと思ったのだ。

「ブラボー!」

 こういうことは私の場合、いくらでもあって、どうしてよりによって、おじさんなのに40年近く前の若い女性向けのこんなエッセイを読むかなー、と思うことがある。揚句の果て(あげくのはて)に、

「全くわからない。くだらない」

 とかネットに書かれたりする。

 まあ、私のことはどうでもいいとしても、私の愛するオペラを、若い2人がちゃんとわかってくれなくては残念でたまらない。

「それなら、今度、名作『アイーダ』を観に行きましょう。あれはわかりやすいうえに、名アリア[2]もいっぱい。絶対に退屈しないと思うよ」

 そうでなくても、お芝居やオペラのチケットは必ず2枚買う私。1枚は若い人にあげることが多い。これは彼女たちを喜ばせるだけでなく、私のためにもなる。若い人の反応を見るのは、私にとってとても楽しいことだからだ。

 さて、昨日の『アイーダ』は本当にすごかった。舞台にのりきれないぐらいの数の人たちが出演し、舞台装置も素晴らしい。本物の馬だって2頭出てくる。これにはびっくりだ。バブルの頃を思い出すなあ。代々木(よよぎ)の体育館でやった『アイーダ』。これでもか、これでもか、という感じでお金がふんだん(惜しげもなく)に使われた。昨日だって負けていない。きらびやかな黄金(おうごん)のエジプトの世界に圧倒された。

 歌手の方たちも素晴らしく、久しぶりに、

「ブラボー!」

 が飛び交った(とびかった)のである。

 休憩の間、ずうーっとお喋りしている2人の秘書。興奮さめやらぬ面持ち(おももち)だ。感想を聞いていると、舞台の上でのことを現実としてとらえている。

「アイーダって、かなり気が強い。どうして恋敵とはいえ、王女さまに歯向かったりするのかしら」

「エチオピアの王女っていうプライドがあるからじゃない」

 そもそも、と私はつい口出しした。

「『アイーダ』って物語としてはおかしい。英雄の男は、王女を妻にして、アイーダを愛人にすれば、すべてうまくいったのに」

「ハヤシさん、その考えはないですよ」

 若い2人にたしなめられたが、ひどく愉快な心持ちになった。今日はこれから「ブルーノート東京」で夏木マリさんのライブ。これも満席とのこと。なんかエンタメ、いい感じで動き出している。


[1] パロディとは、既存の作品や慣習的な表現方法を意図的に模倣・風刺・改変することで、その作品や表現方法に対する批評や皮肉を込めた作品を作ることを指します。一般的には、笑いを誘うことを目的として行われることが多いです。また、パロディは、文学、音楽、漫画、映画、テレビ番組、広告などの様々な分野で用いられます。

[2] アリア (伊: Aria、 独: Arie〈アーリエ〉、仏: Air〈エール〉、英: Air〈エア〉) は、叙情的、旋律的な特徴の強い独唱曲(どくしょうきょく)で、オペラ、オラトリオ、カンタータなどの中に含まれるものを指す。また広義(こうぎ)に、そのような独唱曲を想起させる曲を指す。