ツチヤの口車 第1319回 土屋 賢二 2023/12/02
不可逆的(ふかぎゃくてき)グルメ道
グルメを極め、「不可逆的グルメ道」を提唱しているニャン・猫田氏に話をうかがった。氏は他にもワン・犬田、モー・牛田などのペンネームをもっている。
――早速ですが、「不可逆的グルメ道」ってどういうことなんでしょうか。
「いま人々はあくことなく(飽きることのない)おいしい物を求めている。ラーメン1杯を食べるために博多まで飛行機で飛び、コーヒー1杯を飲みに札幌まで飛ぶ。おいしいラーメンを求めてラーメンを1年500杯も食べる人もいる。人里離れた(ひとざとばなれ)蕎麦屋に行列ができる。そんな現状に一石(いっせき)を投じたいのだ」
――何のためですか?
「問題点が見えんのか! ネコを見よ。ネコは食べる心配をしない。買いだめに走らず、明日の心配をしない。ハラが座っている」
――計画性がないんですね。
「聖書を読め。空飛ぶ鳥、野に咲く百合は明日を思いわずらうことがない」
――分かった! アリとキリギリス((螽蟖、螽斯、蛬)ですね? キリギリスは計画性がなくて、冬になって困るという……。
「違う!」
――じゃあ、老後のために貯金(ちょきん)するのはやめて、いま使い切れ、という政府の宣伝ですね?
「もっと違う。あんたには無理だ。その話は忘れてくれ。昔テレビで見たんだが、中南米の山奥に具も何も入っていないトルティーヤ(tortilla)しか(食べない老人がいて、『これがあれば何もいらない』と言っていた」
――一度お好み焼きを食べさせてあげたいですよね。
「気の毒がる場合じゃない。その老人のことばは深い。昔飼っていたネコは、サバやムロアジ(室鯵、鰘)の『削り節』を喜んで食べていた。だがある日、カツオを削った本物の『カツオ節』を食べさせると、狂ったように食べ、次の日から削り節には見向きもしなくなった。カツオ節を知らなければ削り節を一生おいしく食べられていたのに」
――舌が肥えたん(こえたん)ですね。
「舌が肥えると身体も肥え(こえ)、欲望も肥大化する。カツオ節の存在を知らないで一生を終えた方が幸福だったかもしれない。ネコはまだいいが、人間の場合、欲望が肥大化すると、資力(しりょく、財産の)があれば、ラーメンを食べに飛行機で博多に行き、そのうち、チョコレートがほしくなったらウィーンに行き、最後には、五つ星レストランのシェフを雇い、牛、豚、野菜を自前で育てるところまで行きかねない」
――食べるどころじゃなくなりますね。
「ネコが削り節に戻れないように、おいしい物を求めると元に戻れなくなる。不可逆的なのだ。同様に現代人はテレビやスマホのない生活には戻れない。これも不可逆的だ。非常に面白いエッセイを読むと、以前面白く読んでいたエッセイは読む気がしなくなる。不可逆的に。わたしが面白いエッセイを書かないのはそのためだ」
――わざとだったんですか。道理で……。
「さらに、奥さんが優しくて家事もやるイケメンを見たら、夫が見劣り(みおとり)する。不可逆的だから夫は挽回(ばんかい)不可能だ。イケメンを見なきゃ満足していられたのに」
――満足しないと思います。妻はどんなことにもケチをつけますから。
「いったんグルメに走ると、もはや食事を味わうというより、やっているのは色々な店の比較となり、審査になる。粗末な食事だけ食べていれば満足していたのに、グルメの道に一歩足を踏み入れると、何を食べても究極の満足は得られず、欲望はどこまでも不可逆的に肥大化する。これに警鐘をならし、粗末な食事に徹するべきだと説いている」
――そうですか! 実は、入手困難な大福を買ってきたんですが、召し上がりませんよね。普通の大福が食べられなくなりますから。
削り節(けずりぶし)とは、かつお節やイワシ、サバ、マグロなどの干した魚を薄く削ったものです。 かつお節は、カツオを加熱してから燻製にして乾燥させたものであり、削り節の原料です。 「かつお節」を削ることにより「かつお削り節」になります