ツチヤの口車 第1307回  2023/09/09

ねじが時限爆弾になるまで

 新しいパソコンは驚くほど速い。記憶媒体にハードディスクではなくSSDが入っているからだ。ハードディスクとの差は圧倒的だ。ちょうど東京から大阪に車で行くのにかかる時間と、自転車で行ったと嘘をつくのにかかる時間ぐらい違う。

 これで納得できた。何十年も前から長編(ちょうへん)ミステリを20冊は書こうと思いながら1冊も書けなかったのは、実際には遅いハードディスクを速いと思い込んでいたためだ。SSDなら驚くほどの速度で書ける。これからでも大長編(だいちょうへん)を5冊は書ける(全部未完(みかん)になるだろうが)。「幻の名作(まぼろしのめいさく)」なら何冊でも書ける。

 そこで別個(べっこ)SSDを購入してパソコンに取り付ける。SSD本体はチューインガム1枚ほどの大きさだ。取り付けるねじは直径5ミリ長さ5ミリほどと小さい。取り付けるとき、恐れていた最悪のことが起こった。

 パソコンの内部は部品が密集していて、手を突っ込むと、手に隠れてねじ穴が見えなくなる。角度を工夫(くふう)して無理な姿勢をとると、5秒後には足が攣る(つる)。10秒(じゅっびょう)後には腹筋(ふっきん)か指の筋肉がつるはずだ。邪魔になっているケーブルや部品を外せば手は自由になるが、部品を元に戻せる自信がない。無理な姿勢で苦闘していると、その努力を嘲笑う(あざわらう)かのように取り付けねじがパソコンの中に落ちてしまった。

 小さい物は手に負えない(手に余る,てにあまる、自分の力では到底扱うことができない)。小さいゴミが目に入れば我慢できないほど痛い。どんな猛獣もウイルスや病原菌には歯が立たない(相手が強くて対抗できない)。ライオンは目に入ることもできない。ダニのようにふとんに住むこともできない。

 2時間探してもねじは見つからない。超能力者のように精神統一してねじの所在(しょざい)を思念する。何も浮かばない人もいるだろうが、わたしが念じると、ありありとねじの姿が浮かんだ。ホームセンターに並んだ何千本(なんせんほん)ものねじが。

 パソコンを傾ける(かたむける)と転がる音がする。見えた! ケーブルに引っかかっている。ケーブルを枕にして寝ているようだ。幸運だった。過去のどんな行動が神に評価されたのか懸命に思い巡らしたが、褒められる行動をした記憶は一つも見当たらない。自分のいい所は自覚できないものだ。謙虚にもほどがある。

 ねじを取ろうと手を伸ばすが狭くて届かない。かすかな磁力(じりょく)をもつドライバーを近づけると、触れたか触れないかのうちにねじは姿を消してしまった。軽率だった。強力な磁石を使うべきだった。ネオジム磁石(じしゃく)を使っていれば、パソコン本体にくっついて、磁石を引きはがすことができなくなっていただろう。

 パソコンを色々な角度に15回傾けたとき、ねじが床に転がり落ちたような音がした。ついにやった!

 だがフローリングの床1平米(いちへいべい)をコロコロで掃除しながら1時間以上虱潰し(しらみつぶし)に探しても見当たらない。体育館だったら半日かかっただろう。床に落ちた音は錯覚(さっかく)だったのか? もうパソコンの中にあるのか床にあるのかも分からない。事態は悪化(あっか)する一方だ。神を怒らせるような悪事(あくじ)を過去に働いたか自問すると、悪行の数々が雪崩を打って脳裏を占領した。ここまで謙虚だとは思いもしなかった。

 そのときわれに返った。締め切りが迫っている。もう時間切れだ。ねじが行方不明で書けませんでしたとは言えない。このまま電源を入れるしかない。ねじを落したまま電源(でんげん)を入れるとパソコンが壊れる恐れがあるから絶対にやめろと言われている。買ったばかりのパソコンだが、やむをえない。床をもう一度探し、パソコンを色々な方向に傾けて確かめ、電源を入れた。動いた! が、ねじの動向によってはいつ壊れるか分からない。こうしてねじが時限爆弾(じげんばくだん)になった。

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