ツチヤの口車 第1304回 土屋 賢二 2023/08/12

教育は難しい

 先日、教え子に教えたいことがあって電話した。

 退職して10年以上たつが、教育意欲は旺盛(おうせい)だ。在職中は逃げ腰(にげごし)だが、退職すると俄然やる気(がぜんやるき)が出るタイプなのだ。卒業して学習機会が失われると学習意欲がわき、病気になった後に摂生し、ライブでアイデアが枯渇(こかつ)してロクな演奏ができず、失意に沈みながら帰る電車の中でアイデアがあふれるように湧いてくるタイプだ。

 電話すると、教え子がいきなり言った。

「お祝いの催促なら、申し上げますが、喜寿(きじゅ、〔「喜」の字の草体「㐂」が「七十七」と分解できるところから)には遅すぎ、傘寿には早すぎます」

「早すぎることはないだろう。盛大に祝うにはそれなりの準備が必要だ。何ならわたしの葬式の香典を前払いしてくれてもいい」

「お断りします! わたしの方が先に死ぬかもしれませんから。差し出がましいようですが、ご本人が祝い事を催促するようなみっともないことはやめないと、みっともないですよ」

「みっともないことをやめないとみっともないことぐらい分かっている。だがわたしがみっともないことをしたか? 催促しないから還暦だって喜寿だって祝ってくれなかったじゃないか。この電話にしても催促じゃないんだ」

「よかった! それにしても高齢を祝う行事が多すぎませんか? 人生50年の時代なら珍しかったかもしれませんが、いまや人生100年の時代です。70歳、80歳なんて珍しくもありません。減らすべきです」

「祝う気がない者が言っても説得力がない。税金を払う気がない者が税金が高すぎると文句を言うようなものだ。それに、老人より若者の方が祝い事は多い。誕生、七五三に始まり、幼稚園から大学まで入ればお祝い、出ればお祝いだ。その後も就職、結婚、出産など無数にある。そのたびに金を取られるんだ。歳をとって一部を回収して何が悪い。しかも若者と違って老人はイヤイヤ祝われるだけだ」

「イヤイヤじゃありません。忘れているだけです」

「違う! 思い出させると、言い訳を作って参加を断るじゃないか。コロナが終息していないとか、ロシアがウクライナに侵攻したとか、こんなの理由になるか?」

「コロナとウクライナはわたしじゃありません。わたしの理由は闘病です」

「闘病って、病気なの?」

「外反母趾です」

「病気か、それ? 過食症なら分かるが」

「今後は過食症にします」

「この恩知らずっ! 手遅れかもしれないが、深く反省してもらいたい。電話したのは君にいい本を教えようと思ったんだ」

「先生の本なら不要です」

「君にはとくに必要なんだけどな。ま、それは後で議論しよう。今日教えようと思ったのは英語の論文を書くのに重宝する本だ」

「何という本ですか?」

「えーっと、あれ? 書名が出てこない! 君、思い出せないか?」

「思い出せるわけないでしょう」

「えーっ! そこまで記憶力が衰えたの? ボケるのが早すぎないか?」

「先生こそおかしくないですか? 食堂で『ぼくが注文しようと思ったのは何だった? 分からない? 君はこんなことも思い出せないほどボケが進んでいるのか』と店員に言ったらヘンでしょう」

「ヘンじゃないね。わたしが店員なら、『はっきり覚えてます。特上エビ天ぷらうどん、板わさ添え、おにぎり2個つきです』と店で一番高い料理を言う。そこらへんの人情の機微を勉強しなさい」

「人情の機微じゃなくて、あくどい強欲でしょう。あっ、思い出しました! 先生は『神戸牛を送ったから食べてくれ』とおっしゃりたかったんです」

 教育は難しい。